雪の日の妄想

今年の冬はいつまで居座り続けているんだろう。といって、これが例年とどう違うのか、しっかり比べているわけではない。ただ例年より寒い、のかな、と漠然と感じているだけだが。
 今朝もカーテンを開けたとたん、庭に積雪が見え、昼過ぎまで間断なく降り続いた。でもまことに景気悪そうにちびちび降っているので、明日にはもう融けているだろう…などとほとんど意味の無いことをぼやいてしまったが、昨日あたり、いや、ここ一週間ばかり、時おり一つの想念がまとわり付いて離れないのである。
 しかしそれはちびちび降っている小雪と同じく、まことに歯切れが悪いと言おうか、どう表現したらいいのか分かりかねる思いに過ぎない。こういう卑小な想念は、逆に大げさに述べた方がいいかも知れない。というわけで(テレビの司会者などが繋ぎに使う無意味な言い回しだが)、大本の考えを格言風に言ってしまえばこうなる。
 人生は悲劇と喜劇が綯い交ぜになっているが、人間の愚かさが根底にあるという意味では、喜劇に大きく傾いている。一言でいえば、人生は悲喜劇(トラジコメディー)である*。
 なんて格言でもなんでもないただの贅言である。が、なぜそんなことを考えていたかというと、最近起こったいくつかの事象(この言葉も懐かしい!)を徒然なるままに思い巡らしているうちに、そんな言葉が頭をよぎったのである。私の住む南相馬市は、何の因果か、この震災後、実に奇妙な位相に置かれた町であった。今では思い出すさえ億劫だが、原発事故に対して政府が設けた数種類の区域設定をすべて含む地域であったわけだ。
 ということは、初めから言っていたことだが、本物の悲劇と見かけの悲劇つまり喜劇が綯い交ぜになった町であったということである。個人的体験からしても、たとえば取材を受けるときの相手方の当初の対応は、悲劇の町で雄々しく(あるいは突っ張って)留まった老夫婦に対するそれであったはずで、実際に取材して、おや別に痩せ我慢してるわけじゃないんだ、と徐々に真相が伝わるという具合だったと思う。
 ちょっと格好をつければ、私たちには初めから本物の悲劇の中に喜劇が混じり合っているのが見えていたと言っていいだろう。もちろん私たちが初めから冷静かつ沈着に事態を見ていたからではなく、悲劇と喜劇が奇妙に混じり合った位相に偶然にも置かれたからに他ならない。
 もっと正確に言うと、地震・津波被害と原発事故のそれぞれが、その度合いを異にしたあらゆる断層を含み持つ地点に置かれていたということだ。だから南相馬が等し並みに悲劇の町として扱われたりすると、曰く言い難い違和感を覚えざるを得ないのだ。たとえば地震・津波被害の惨状を写した写真が、実際に線量の高い地域で防護服に身を固めた人たちが写っている写真と無差別に並べられたりすると、おいおいそれは津波の被害であって、原発事故による直接の被害じゃないぞ、と駄目押ししたくもなるのだ。つまり原子爆弾によって破壊された町並みや建物の写真とは違うのである。
 いや原発事故の直接的な被害の場合であっても、警戒区域と緊急時避難準備区域とは線量というより行政による扱いによって、それこそ雲泥の差があるわけだ。現に今も、線量は私のところとそれほど違わない小高区の母方の親戚など、可哀想に未だに我が家に戻れずに避難所生活を余儀なくされている。
 私たち夫婦のいる場所から見てさえ、被災地は実に複雑な様相を呈しているわけだが、要するに私が言いたいのは、せめて内から見える被災の実態をそろそろはっきりさせなければならない時期に来ているのではないか、ということである。つまり事態を等し並みに悲劇と一括するのではなく、そこにとうぜん含まれている喜劇の地層をもはっきり剔抉する時期に来ているのではないか、ということである。
 もっとはっきり言えば、運命のいたずらか私たちのような位相 (初めは屋内退避区域、次いで緊急時避難準備区域) に置かれた者は、悲劇と喜劇の両面をしっかり見届けられる (あゝしんど!) 稀有な状況を体験し、今もそれは続いているということ。
 つまり私たちは神隠しなどには遭わずに、実に瑣末で卑小な日常への対応を否応無く迫られながら、事態の進展にともなって展開されるさまざまな…

 ※ 昨日書き始めたはいいが、当初から恐れていたように、やはり尻切れトンボになってしまった。明日はもう少し景気のいい(?)話をするつもりである。

*悲喜劇の本当の意味は、悲劇と喜劇が地層のように峻別できる形で重なり合っているというより、両者は分かちがたく溶け合っている、あるいはウナムーノが言うように、考える者にとって人生は喜劇だが、感じる者にとっては悲劇である、つまり視点や見方を変えることによって悲劇と見えたり喜劇と見えたりすると言った方が正確であろう。ただここでは敢えて図式的に単純化したまでである。これについてはまた稿を改めて論じてみよう(と言って改めて論じたためしはめったにないが)。

 [言わずもがなの後記]  自分で読み直してみても、奥歯に物が挟まっているような、まことに歯切れの悪い文章となってしまった。読む人が読めば、あゝ貞房はあのこと、いやあの人たちのことを暗に批判しているのか、と分かるはずではあるが…ただ言い訳じみた言い方になるが、あからさまに言っちゃっちゃお仕舞いというか身も蓋も無い話なので、これで精一杯…下手に弁解するとさらに話がわかりにくくなります、これで本当にお仕舞い。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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雪の日の妄想 への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     学生時代に学校の近くに小さな古本屋があって、そこで堀秀彦著『格言の花束』を見つけ、通学の車中で読むのに良いと買ったのを覚えてます。その中でチャップリンの『街の灯』の挿絵があって、こう書いてありました。
                                           「私は悲劇を愛する。私は悲劇の底にはなにか美しいものがあるからこそ悲劇を愛するのだ」                                                                        この意味をたまに考えることがあります。ある画商の方と話す機会があり、美しいと綺麗の違いをこう言ってたのを覚えてます。綺麗は偶数的で割り切れるが美しいは奇数的で割り切れない。「人生は悲喜劇である」と先生が言われてます。人生には不条理という割り切れない部分が必然的に存在し、割り切って人生を考えようとしている人間の足枷になっているように思います。人生が複雑かつ不可解に思えるのは、そのためなのかもしれません。チャップリンがこんな事を言ってます。                                              「人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットげ見れば喜劇」

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    S兄
     コメントに長さ制限があるとは私も知りませんでしたが、いまさっそく管理を担当しているSさんにサーバーを調べてもらうよう依頼しました。とりあえず何回かに分けて送信してみてください。Sさんから連絡があり次第、皆さんにも関係することなので、ここで結果をお知らせしましょう。ともあれ申し訳なく思ってます。これに懲りずに、これからもよろしく願います。

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