たまにテレビを見るとろくなニュースしかやっていない。昨晩も「福島県の看護職員就職説明会に来場者わずか5人」という悲しいニュースが流れていた。震災以降、看護職員不足が深刻化している福島県が首都圏の看護学生対象に東京・港区で開いたものだが、主催者側の来場者300人という見込みが大きく外れて、何と5名だけ。300分の5ということは…1.5%、これはもう大幅に下回ったどころの話ではない。
福島県では、看護師や保健師などの看護職員が原発事故で県外に避難するなどして人手が不足し、特に南相馬市など原発の避難区域を含む相双地区では、看護職員が震災前の80%以下となり、入院患者の受け入れを制限するなど深刻な問題になっている。
福島県は今月28日から3日間、県内の病院を回る無料見学ツアーなどを通して今後も就職を呼びかけていくという。今回の説明会を主催した福島県感染・看護室の後藤隆室長は、「想像以上に厳しい状況だと実感した。しかし、福島で看護職員不足が深刻化していることが伝われば、就職を決意してくれる学生はきっといると思う」と話している。
さあ、室長の見込みが次は外れないように祈るしかないが、しかしこのニュースを見て真っ先に思ったことは、頑張れ東北!、私たちは最後まで見捨てない!のにぎやかな掛け声の実態はこんなもの、との悲しい現実である。つまりそう叫ぶ人たちの善意を疑うわけではないが、単に一時的な助っ人ではなく、もう少し長期的に復興を手助けしようという若者、とりわけ女性の数は極端に少ないというのが実情であろう。
先日来、NHKの南相馬特集番組みやらスペイン・テレビのリポートなどについて言ってきたことだが、加熱してひたすら悲劇的な面だけを強調してきた報道界全体の姿勢が、みごと功を奏しているわけだ。だが医療は経済の復興云々の問題ではなく、人の生き死にの問題、まさに死活の問題なのだ。政府関係者はもちろん、これまでさんざん視聴率やら購読料を稼いできた報道関係者にここでしっかり落とし前をつけてもらわなければならない。
つまりこれまで過剰でしかも間違った恐怖心を煽ってきたことを自省し猛省し、たとえばここ南相馬など、現在だけでなく将来にわたっても健康被害など起こりえない「被災地」が想像以上に広いことを、そしてそこで地元の人たちと「共に生きる」ことがどんな経済的復興支援よりも確実でしかも実効的な支援であることを丁寧に、そして正確に報じていくことだ。
ここ数日、朝日新聞が最近行なった二つの、実に意味ある大型企画の成果を読んでいる。一つは太平洋戦争に新聞はどう関わったか、それこそ自らの身を切るような痛い自己検証を記録した『新聞と戦争』上下(朝日文庫、2011年)であり、もう一つはイラク戦争に日本はどう関わったかの厳しい検証作業をまとめた松本一弥著『55人が語るイラク戦争 9.11後の世界を生きる』(岩波書店、2011年)である。
これらを読み終えてから、いずれ感想などをご報告することもあろうかと思うが、しかし今のいま、まさに痛感していることは、「3.11後の日本」、それに新聞を初め報道諸機関がどう関わってきたか、その正確で厳しい検証を、ほとぼりの冷めた遠い未来にではなく、まさに今始めてほしいとの強い願いである。
はっきり言おう。その関わりの全経過の中で、報道の担った功罪は罪の方がはるかに大きいということを。
★追記 文中書こうとして辛うじてこらえた文章がある。やはりはっきり言っておく。「看護学生…人間の痛みや苦しみを他のどんな人より強く敏感に感じている人であるはずの若者たち…その人たちからしてこの反応、他は推して知るべし、嗚呼!」
【お知らせ】
Informe Semanal 10-03-12
ロブレードさんからのご連絡ですが、スペインのテレビに南相馬そして西内さん、そして貞房とその妻、そして愛の姿が映ってます。お暇のときにでもどうぞご覧ください。南相馬は9分をちょっと過ぎたころから出てきます。新しい報告が日々加わっていくので(10/3/12)のところ、今日は二番目になってます、を選んでください。
なお、これについて、同志社大学の立林良一教授から貴重なご意見が寄せられているので、右のコメント欄をぜひ覗いてみてください。お知らせはここまで。
今朝NHKで「証言記録 東日本大震災 第3回『南相馬市 原発危機・翻弄された住民』」を観ました。原発事故直後の生々しい錯綜した情報に翻弄されている市民、震災後一年経過したにも拘らず震災前の6割に留まっている人口、空家に点在しているホットスポットの存在。この番組を観た限りでは、ここで仕事を持って住もうとは思えませんでした。「現在だけでなく将来にわたっても健康被害など起こりえない『被災地』が想像以上に広いことを、そしてそこで地元の人たちと『共に生きる』ことがどんな経済的復興支援よりも確実でしかも実効的な支援であることを丁寧に、そして正確に報じていくこと」をこの番組を観て改めて痛感しました。一つ一つの断片は事実を伝えているのかもしれませんが、断片と断片を繋ぎ合わせてプラス的な方向性を見出し、そこに住んで生活している人の琴線に響くような報道の仕方を模索することが大切なように思います。