千(珍)客万来

いまガラス戸越しに見える我が家の狭い庭は、柔らかな春の夕陽を浴びて静まりかえっている。互いに少し距離を置いて植えられた(そのとき愛は側で見ていたはずだから一昨年の秋だったろうか)、梅と柿の木が心細そうに、それでも有難いことにひょろりと一メートル半近くにも育っている。真東にある比較的大きな建物の影になっているところだから、昨年三月の事故のときに放射線を被ったかも知れないが、たぶん極小のものであったに違いない。でも線量計で調べる気など毛頭ない。どうかめげずに大きく育っておくれ。
 さて昨日に続いて今日も遠来の客を迎えた、それも一気に十人も。そしてその中には、なんとチェルノブイリからの背の高いロシアの青年とその通訳役の若いロシア人女性も入っていた。カトリック東京ボランティアセンターの人たちである。ともかく文字通りの我が陋屋が事故以来、千客万来、ついにロシアからの客人をも迎えたのである。
 狭い夫婦の居間になんとかかき集められた小さな椅子たちの上に座った十人の聴衆(失礼!そんなつもりではなかったでしょうに)を前に、いらっしゃる前から自ら予想していたとおり、一時間半以上もまるで舞台に上がった講談師のように(あの愛嬌のあるカイゼル髭の弁士よろしく)、あるときは悲憤慷慨のあまり涙さえ浮かべ、またあるときはあまり品の良くない駄洒落を交えながら、滔々と原発事故以後の問題についてまくし立ててしまったのである。
 それには、実は伏線があった。つまりスペイン・テレビでの私の発言が、実際の百分の一に縮小され、しかも一番言いたかったこと、すなわち我が南相馬は悲劇と喜劇が混在する、というよりはっきり言えば喜劇性がはるかに勝る奇妙な町であるという主張がものの見事にカットされていたからだ。それでも我が友西内君や孫の愛が映っていたし、意味もなく笑いながらではあるが「あなた方スペイン人は原発なんて持たないでね」というメッセージの音声は拾ってもらったので諒とせねばなるまい。いや意味なく笑いながら、と言ったが、全編暗い色調の南相馬リポート中、その笑いはもしかして一服の中和剤にはなったかも知れない、と自ら慰めている。
 こうなったのはアリサさんが悪いのでも、ましてやあの人の良さそうなカメラマンのフアン・マヌエルさんが悪いのでもない。つまり短い時間に東日本を押し込めたら、結果として悲しい被災地としか見えないであろうことは想像に難くないのだ。とりわけ外国人の目から見れば。でもコメント欄の立林教授が言うように、あの映像を観たら、日本の大学に赴任する我が子を送り出す家族の不安は弥増したであろうに。
 そんなこともあって実はいま水面下で動き出そうとしている『原発禍を生きる』スペイン語訳計画を、どうあっても実現させたいと熱願している。原発事故をめぐってはそれこそ解説書やら暴露書などゴマンと出版された。でも原発事故の悲劇性だけでなくその喜劇性を喝破した本は意外と少なく、ましてや学者や専門家ではなく、一介の市井人の視点から描いたものはさらに僅少であろう。
 それに私からすれば、この本のスペイン語訳が出れば、これまでさんざんお世話になってきたスペイン思想の親元への恩返しにもなるわけだ。今のところ訳者が決まりかけているだけの段階だが、推進役を買ってくれた人がまれに見る情熱家(もちろん学問上の)で粘り腰の人だから、実現の可能性大なり、と楽観している。
 ついでに白状すると、中国語訳の方も密かに画策している。この方は一切見通しが立っていないが、頴美や愛のもう一つの祖国である中国の人たちの、原発に対する見方が少しでも厳しくなるために何とか中国語版ができないだろうか、と強く願っている。どなたかその手の伝(つて)をお持ちの方がいらっしゃれば助けてください。
 遠来の客人たちだけでなく、今日の午後は地元からも来客があった。震災前まで毎週開いていたスペイン語教室の受講生四人である(中にもちろん西内君が入っている)。今年の正月に亡くなったばっぱさんへの弔意を示していただいただけでなく、たぶん四月からでも、毎週は無理としても隔週くらいの教室再開のご相談に見えられたのである。再開に異存があるはずもなく、南相馬の真の復興は先ず教室再開から、との意気込みで始めたい。これを読んでおられるお近くの方で参加ご希望の方はぜひ名乗りをを上げていただきたい。以上本日のご報告・お知らせまで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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千(珍)客万来 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     物事を判断する場合、多面的、出来れば全面的に考察しなければ真意は伝わらない場合が多いと思います。それに、出来るだけ長期的、尚且つ枝葉末節に拘らず根本的な視野に立つことが大切なように思います。特に報道する立場の人たちには必要です。「短い時間に東日本を押し込めたら、結果として悲しい被災地としか見えない」、大衆の存在があることも事実だと思います。

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