木になる紙

変なタイトルだが、そこに至った経緯を語ることで、人間の、というかこの場合は私の、思考の連なり、というよりもその空回り、連続性というよりも不連続の連続、の面白さ(どうかな?)を感じてもらおう、というのがこの小文いやたぶん中文(といって中国語のことではない)の狙いである。
 初め文化の持続性ということを考えていた。つまり文化というものは、生き物であり、絶えず世話をしなければ枯渇するものである、と。なぜそんなことを考えたか、というと、国全体の文化行政だけでなく、地方のそれも、現実はその名にふさわしい運営からはほど遠いものになっていて、すべてはばらばら、先細り、へたをすると枯渇にまで至るのではないか、と思ったからである。
 ではなぜそう思ったか、というと、ごく個人的な例だが、拙著『原発禍を生きる』の中国語訳の可能性がここに来て急速に現実性を帯び始め、またスペイン語訳の方も、確実に一歩進んだことを考えていたとき、これら二つともが或る特定の個人の創意と熱心かつ持続的な努力に拠るものであること、ところが公的な文化行政は一年毎の配置転換や会計年度などによって作業が分断されるという事実。つまり持続性が命の文化の維持・発展が、分断と遅延によってうまく機能していないからである。
 これもごく個人的なことから連想した。つまり先日ここで紹介したビスカイノの翻訳の話が、最初に話があったときからかなりの時間が経過して、先日ようやく行政の方から正式の依頼があったこと。これは当初から予想していたことなので別段驚かないが、要するに担当の人も会計年度が変わらない限り、予算などの関係から、自信を持って相手と交渉するわけには行かない事情があったということである。つまり交渉が中断のあと再開したのは、新会計年度になったからというわけであろう。
 で、そこからそもそも文化とは何ぞや、というまことに基本的な問題を考え始めた。文化、これは他のほとんどすべての知的営為を指す用語の例にもれず、明治初期、もともとは中国語にあった言葉から転用された言葉である。つまりこの場合の文は文字のことであり、文字を習得することによって初めて無知や野蛮から変(化)わることができる、という意味であった。
 しかしその文化という言葉を当てられた西洋語はカルチャーでる。今さら言うまでもないが、このカルチャーはラテン語の colere、つまり耕すから出来た言葉(土地<ager>を耕すことを農業<agriculture>というように)であるからして(古い日本語ですなー)、決して頭脳的なものに限定されるものではなかった。つまり音楽や絵画のように五感をすべて使った行為を意味していたのだ。じゃ「教養」と「文化」の違いは? という問題に繋がっていくが、今回はそこには触れない。
 少し論点がずれてきたが、気にしないで前に進む。そこで思い出したのは、東北が生んだ偉大な思想家・安藤昌益のことである。つまり彼は、自らは体を動かしもせずに農民を搾取するすべての特権階級・知的階級、彼の言う聖人君子を徹底的に批判して「直耕」(直接耕作)を主張した。つまり同時代の支配層を非難する言葉として「不耕貪食(ふこうどんしょく)」を使ったのである。孟子の「不耕而食(ふこうじしょく)」つまり耕さずしてしかも食う階級を痛烈に批判したのだ。
 で、ここに来て、あれっ俺も耕してないぞ、と遅まきながら気づいて、はたと思いついたのだ。そうだ俺は耕さないけれど、木を植えてるぞ、と。それが今夜の表題である。こんな破れかぶれの弁解を思いついたのは、本棚の上に積んであったコピー用紙の箱に書かれた文句が目に入ったからだ。
 このところずっと私家本の用紙に、古紙パルプ配合率70%、間伐材パルプ利用割合30%の「木になる紙」を使っている。白色度が69%と白過ぎないのと安いということで使っているのだが、今回その商品名を改めて考えてみたのである。そしてその宣伝文の中に「不耕貪食」を辛うじて免れる弁解を見つけのだ。宣伝費をもらっているわけではないが、いい機会なのでそれをご紹介する。

 「<木になる紙>とは、<国民が支える森林づくり運動>推進協議会が命名した間伐紙の商品シリーズです。<木になる紙>コピー用紙1箱(A4サイズ2,500枚入)には、1 kgのカーボンオフセットが付いており、これを購入することにより、私たちが生きていく上で避けることができない様々な行為により排出した二酸化炭素(CO2)を1 kg相殺(オフセット)できます。
 また、<木になる紙>コピー用紙は、売り上げの一部(例:A4サイズ1箱あたり50円)を、原料の間伐材を供給した森林所有者に還元する仕組みとなっており、購入することで間伐の一層の促進を後押しすることができます。」

 つまり間接的ながら(あれっそれじゃやはりまずいか)木を植えているのである(苦しい弁解)。
 今晩は本当は文化の持続性について真面目な話をしようと思っていたのに、連想が連想を呼んで、たどり着いたのが「木になる紙」だったというわけ。そして今まで、たとえば日立のCMソングと映像で頭にこびりついていた「気になる木」(これはモンキーポッドという巨木でレインツリー、あの大江の健さんの『「雨の木」を聴く女たち』の木、正式にはアメリカモミの木、というやつ)を単にもじった呼び名だと思っていたが、本当の意味は「木に生(な)る紙」ではなく、文字通り「木に為る紙」のことだとやっと気づいた次第。
 いや待てよ、これで終わったらほんとアホみたいなことを長々と書いてきたことに為(な)る。なにも俺はシンデレラじゃないんだから十二時に鳴(な)る時報を気にする必要などはないわけだ。ここはひとつビシっと締めよう。
 …というわけでありまして、会計年度ごと、あるいは数年毎に職場を換えることは、民主主義の仕組みの一つである「機会均等」の実践であろうが、しかしこれは文化行政の場合には非常にまずい結果をもたらしている。文化は無機質のものではなく、香りや色合いが大事な、要するに個性的なものである。機会均等の育ての親のビューロクラシー(官僚制度)と同じく、文化の育成・維持にとってはマイナス要因となる。日本が真の文化の国になるためには、文化行政の抜本的見直し(さんざ手垢の付いた政治用語に成り下がっている言葉だが)が不可欠である。
 やっぱビシっと決まりませんでしたな。お後がよろしいようで、今夜はこれまで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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木になる紙 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     安藤昌益の『自然真営道』の序に「転定は自然の進退退進にして無始無終、無上無下、無尊無賤、無二にして進退一体なり、故に転定に先後有るに非らざるなり。惟自然なり」。とあります。転定とは昌益独自の天地宇宙を意味するものです。これは『忘れられた思想家』E・ハーバート・ノーマン著から引用しましたが、先生を知る以前に昌益に興味があり買い求めた本です。人間社会では学歴、家柄、職業など人間が作ったもので人間を判断していますが昌益の言っている事は真実だと思います。人間が作ったものを後生大事にしているのが世間一般の大衆なんでしょう。しかし、全ての人は死んでいく運命にあります。死を前にして、そうしたものは無力なことだと悟るんでしょう。自ら反って内に何も持たない人ほど外物を追い求めるように思います。自己と人生の真実を模索されている先生の生き方に私は魅力を感じますし、大いに学ぶところがあります。

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