間接間接民主主義

世間では今ゴールデンウィークの真っ只中らしいが、こちらは年がら年中連休みたいなものだから、郵便局などのまん前まで来て、ありっどうして休みなの?なんてことがしょっちゅう起こっている。しかし差し当たってのノルマがないようでも、けっこう毎日雑用が目白押しである。あれっ、なぜメジロが出てくるんだろう、メジロっちゅう鳥は押し競(くら)饅頭が好きなのかな。そして枝の先で押し競饅頭をしている数羽の可愛い目白の姿を想像する。やっぱ暇なんだべさ。
 先日「身ぶるひ」したおかげで、今日は3通の注文が舞い込んだ(ご安心めされ、まだ10冊残っております)。なんと中の一通は南仏から。もちろん在仏の日本人からだが、陽光まぶしい南仏の町のどこかでピンク色の表紙の分厚い『モノディアロゴスⅤ』を読んでおられる日本人マダム(お元気ですか? 明日本お送りしますよ)を想像して、あゝ時々は不貞腐れながらも書き続けてきてよかった、とつくづく思ったりしている。
 それはともかく、例の「民主主義をどう建て直すか」という大問題にまだ半分も答えていない。連休を利用して、じゃない、世間の人の連休に当て付けるように、今晩もちょっとだけ考えてみよか。
 「清き一票」という言葉、ずーっと前からウサン臭いと思っていた。良く考え見識もある人の一票ならいいけれど、何も考えず、街頭演説の声に説得力があったからとか、商店街をニコニコ笑って握手戦法に出た禄でもない候補者のその手の温もりが忘れられないという理由での投票なんて「清い」どころか、時には豚でもない、いやとんでもない泥票になることだってある。
 そして話はいつも振り出しに戻る。つまり有権者の意識が低いままに、投票行為に人を駆り出すことがどれだけ真の民主主義から遠のくことか、時には反省すべきであろう、ということである。特に大震災後の世の中の動きを見ていると、あれだけの犠牲を払いながら、そして今なお払い続けながら、そこからの教訓を何一つ生かさない政治家や選挙民たちが、またぞろ衆愚政治の坂道を下っているように思えてならない
 なんて言うと、いかにも高踏的な、つまり高みからの批評のように聞こえるかも知れないが、言いたいことは唯一つ、「清き一票」というスローガンの下に、あるいは背後に透けて見える政治屋や選挙屋の口車に易々と乗っかるな、と言いたいのである。
 それならどうしたらいいのか。簡単に言えば、誰が優れた政治家か、誰がまともな政治をするか、が分からないときには投票行為をするな、ということ。結果、低い投票率で、選挙民の政治離れとか無関心への批判続出だろう。しかし高い投票率で下らない政治家が登場するよりよっぽどマシだと思う。これじゃいけない、と選挙民も勉強したり関心を持ち始めるかも知れない、保証はできないが。
 もっと具体的な話をしよう。たとえば私の妻は前からずっと政治的な見解は私と寸分違わなかった。夫婦でもそれぞれ政治的見解を別にして悪いわけはない。むしろその方が政治に高い見識を持っている夫婦と評価されるかも知れない。でもそんなことはどうでもいい。私たち夫婦はずっと同じだったと言っているだけだ。で、その妻が認知症になった。さて投票はどうするか。
 たぶん認知症患者の投票についてはまだ何も規定がないと思う。私の意見では下手に規定などすべきではないと思っている。世の中、すべてを規定化などしない方がいい。どこか曖昧なところ、ハンドル操作で言えば「遊び」があった方がいい。しかし問題になった場合の世間の常識・意見はだいたい予想がつく。つまり政治的見解は高度に知的行為であるから認知症患者からは投票権を返上してもらわなければ、となるであろう。しかしそんなに簡単に割り切っていいの?
 現在、妻は車椅子になったから、次回の選挙には連れて行かないかも知れない。しかし歩くことが出来た過去二回ほどの選挙には家内の手を引いて投票所まで行き、投票記載所では並んで妻の代わりに記入してやった。認知症患者の投票行為にさえクレームが付きかねないのに、妻の投票の代筆までした、と問題視されること必定だろう。しかし、でも、この私の行為は反民主主義的行為ですか? 万が一そう判定されるとしたら、敢えて言いましょう、そんな民主主義など犬にでも喰われっちまえ、と。
 認知症ではあっても、妻はこの社会の一員です。その妻にも、社会から受けるべきさまざまな恩恵を享受する権利があります。そしてそのためには自分の権利を代弁してくれる政治家を選ぶ権利があります。しかし実際には、残念ながら、意に反して、政治的な判断を下す能力も、さらには字を書く能力さえも失ってしまいました。しかしこんな私を一生涯守ってくれる夫がいます。こんな夫にすべての政治的判断を委ねることが反民主主義的だと言うのですか?
 愚かな政治の動きを見ていると、果たして今の選挙制度でいいのか、考えてしまう。スペインではかつて民主主義制度を阻害するものとしてカシキスモという仕組みが批判の的にされたことがありました。カシーケとはもともとは中南米インディオの酋長を指す言葉で、転じて地方ボス政治を意味するようになりました。しかし、衆愚政治における多数者の付和雷同の政治判断と、部族の実情を熟知した賢い酋長の政治判断のどちらが民主的でしょうか。民主といっても、今の日本の政党名と違いまっせ。要するに民が主人ということですばい。
 いや何もカシキスモに戻ろうなんて言っているわけではない。しかしこれだけ通信機器・伝達手段が発達した時代です。たとえば妻にとっての夫のように、こころから信頼する人に政治的判断を委ねる仕組みをなんとか作れないだろうか、と考えている。つまり危険で愚かな集票マシーンではなく、確かな情報と先を見通す見識を持った民間の、しかも固定せずその時々の政治的イシュー(論点)ごとに的確な投票行為へと導くグループのようなものである。
 簡単に言えば、間接間接民主主義である。つまり誤解を恐れずに言うなら、今の中途半端な(?)間接民主主義よりも、この間接間接民主主義の方が、ときには真の民主主義の実践にはるかに効果的に近づくことが出来るのではないかということである。じっくり、しかしなるたけ早く具体像を出す必要がありそうである。もっと具体的に言えば、この「モノディアロゴス」そしてそのコメンテーターたちが作りだすゆるやかな連帯のようなもの…もちろん私はカシーケなんぞになるつもりはございませんけどね…… 
 今晩も本論に入る前の話が長すぎ、大事な本論が舌足らずのままです。まっ連休の中日ということで今晩はここまで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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間接間接民主主義 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が「思わぬ展開に」の中で「相馬の復興は精神的なそれが最重要であるという持論」を言われていますが、これは国の復興も同じだと私は思っています。山田方谷の『理財論』に影響された渋沢栄一は著書『論語と算盤』のなかで道徳経済合一説を唱えてこう言ってます。「事柄に対して如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会も利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである」。今の日本社会、経済が疲弊している根には、この道理に合わないやり方で利益至上で事を進めて来たことに原因があるように私は思います。長期的視野に立てば、教育の問題、つまり、人間の心の問題、伝統的な訓化を疎かにして来た結果のように思います。先生の持論は正に的を射ていると思います。そして、「民主主義をどう立て直すか」の根には先生のような見識のある人達の輪を広げていくことが大切だと思います。

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