ポスト3.11の文学


或る大学教授宛ての手紙


 ご丁寧なお手紙ありがとうございました。私が先日ここに書いたいささか乱暴で一方的なお断りに対して、いちいち懇切な説明をくださりありがとうございました。先生が福島県関係のまとめ役をなさっておられるとか、ご苦労様です。
 出版社あてのメール書式を使って私が出したお断りの伝言に対して、その後一切の連絡が無いことをいぶかりながらも、当方としてはこれ幸いとばかりに思ってましたのに、今日のお手紙でなおも執筆のご依頼、実は少し困惑しております。出版計画の全体がすでにゴール間近であるなら、ここに来てのお断りは確かにご迷惑になりますが、しかし大震災のために全体的に計画が遅れ気味とか。それならばやはり今回はお断りさせていただこうと改めてお願い申し上げます。
 その理由の一つは、今回のお手紙で島尾敏雄の稿の執筆者として小生を推薦したのがX氏だということです。名指しされたのは光栄ではありますが、しかし今回の震災以後、氏や氏の所属する或るグループに対して距離を感じてきました。簡単に言えば、平和時に原発反対・戦争反対を唱えるのは容易ですが、昨春の原発事故のような非常時において、自分たちと意見を同じくする者たちとどう連帯し、日ごろの主張をどう守るか、が肝要と思いますが、残念ながら彼あるいは彼らの事故後の対応をはなはだ疑問に思ってきました。
 つまり事故後、ここより線量の高いところに避難したことをとやかく申しているのではありません。だれでも慌てれば不適切な行動をとることはままあることです。しかし南相馬市全域が年間1ミリシーベルト(一時間0.114マイクロシーベルト)以下になるまでは緊急時避難準備区域指定を解除することに絶対反対と主張していたことに非常に違和感を覚えました。幸い(というのも実に複雑な気持ちですが))彼らの運動は功を奏しなかったわけですが、もし彼らの主張が通っていたら、と考えると恐ろしい気がします。今でさえ過剰な脅威論で町の復興は大きくブレーキをかけられたままですが、南相馬市は二度と立ち直れないほどのダメージを受けていたことでしょう。
 そんな意味で、彼が投げてよこしたボールを、今度は彼に投げ返したいわけです。島尾敏雄については、彼も一家言持っておられます。
 いやいやそんな話は『東北近代文学事典』と関係がないと思われるかも知れませんが、私としては大いに関係があります。つまり先日も言いましたように、今回の原発事故はまさにその近代において東北が絶えず収奪され続けてきた過去のいわば総決算の意味があるばかりでなく、こうした事態に文学はどう対すべきかという、単に過去の問題ではなくヴィヴィッドな現代的問題をも突きつけているからです。
 もっと具体的に言えば、そうした負の歴史を単に慨嘆するだけでなく(たとえば神隠しにあった、とか)、それとどう闘っていくか、ということの方が文学表現としても重要であるはずだからです。もっと正確に言うと、私の住む南相馬はどういう天の配剤があったかは分かりませんが、単に悲劇の町だけではなく、行政の愚かな対応と人々の過剰な反応によってはるかに喜劇、それも質の悪い喜劇の町でもあったということです。文学あるいは文学者はそこに刮目しなければならないのではないでしょうか。
 いやX氏に対する不満などちっぽけな理由です。やはりこの時点で申し上げるのは実に酷な言い方になりますが、少なくとも私の中では3.11の前と後では、文学に対する考え方に大きな地殻変動が起こりました。確かにお手紙には「今回の事典づくりのさなかに起きた、震災と原発事故に我々はどう向き合い、そしてどう乗り越えていくか、という課題は今後も繰り返し問い返していきたい」と書かれていますが、きつい言い方になりますが、本当は…いや、お断りする身でその先のことは言うべきではないでしょう。
 実は今日、そんな私の考えなどを書いた私家本を一冊お送りしましたので、是非ご覧くださり、小生の今回の失礼なお断りの理由の一端を少しでもご理解いただければ、などと勝手に思ってます。いつか、別の企画で「ポスト3.11の文学」を語り合える機会があればと願っております。
 ともあれ『東北近代文学事典』が無事完成されますように。そして今回の失礼の段、どうぞお許しくださいますように。

追記 本来なら私信であるべきものを、お名前その他は分からないよう配慮してはいますが、しかしこのように公開の場でお返事したこと、どうぞお許しください。しかし苦しい言い訳に聞こえるかも知れませんが、話の内容そのものは個別の問題を越えて他の多くの人にも考えていただきたいものを含んでいること、そしてこの歳になると、いや大震災以後はとりわけ、私信であれ公開のものであれ、私にとって書くことは、時に照れ隠しにふざけた言い様をしますが、根本においては遺言と思ってますので、どうぞご容赦くださいますように。

★上のモノディアロゴスの宛先の先生から実に丁寧かつ好意あふれる応諾のメールを頂いた。もちろん私信であるので、全部をご紹介することは控えるが、ただ次の一文だけはご紹介したい。先生の被災地住民に対する深い理解と愛を感じるからである。

「3.11から一年たって、状況と運動にも複雑な問題が生じてきているようにお見うけしました。わたくしなどは、線量の低い安全な場所に身をおいて、原発についてあれこれ考えておりますが、当地では表に現れないご苦労がおありのことと存じます。南相馬の地から発信された言葉に接して、身の引き締まる思いです。」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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ポスト3.11の文学 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

    『原発禍を生きる』の最後に徐さんが「魂の重心」という言葉(解説に代えて)の中で言われている言葉が思い浮かびました。「3・11以後、真率な言葉に出遭うことはほとんどなかった。重心を失った言動ばかりが溢れ返った。そういう私自身も例外ではなかった。あからさまな気休めに心が傾きそうにもなった瞬間もある。だが、原発のすぐそばといえる場所を動かず、「魂の重心」を低く保って、「自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の心で感じよ」と私たちを叱咤している思索家がいる」。先生の私信を読んでいて「魂の重心」を低く保った視点に基づかれた判断からお断りの結論を出されたと思いました。そしてそこには「文学あるいは文学者」としての意志が感じられます。

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