昨夜何気なくネットの朝日新聞を見ていたら、変な見出しに目を引かれた。「トマト陥没」という文字である。記事の内容を読むと、「30日午前10時20分ごろ、熊本県御船町のスーパーのトマト2パック(798円相当)を右手親指で押し込み、陥没させた疑いがある」として、60代前後の、身長約155センチ、やせ形でうす緑色のパーカー、ベージュのズボンを着用した男が器物損壊容疑で警察に逮捕された、というニュースである。逮捕理由は、初め「証拠隠滅と逃亡のおそれがある」からと書かれていたはずなのに、寝る前に再度見直したら、「証拠隠滅」の文字が消えていた。私の勘違い? 警察は何を考えてるのか、とその言葉に強く注意が引かれたから間違いのはずがない。後からあまりの見当違いと気づいて訂正したのか(誰が? 警察が、それとも記者が?)。
それはともかく、男は犯行を否定し、「頑として身元語らず」(見出しの言葉)、そのため逮捕に踏み切ったという。なんとも嫌ーな感じの残る事件である。この男が黙秘したからといって、なぜそこまでエスカレートしたのか。「犯人」だけでなく店の側そして警察などすべての関係者のうち誰かが、どこかで、大人の知恵、大人の対応をしていれば、ここまで来ることもなかったのではないか。何かが、いや社会全体が、ギクシャクしていて、すべてが尖がっている。
ここまでくれば行くところまで行ってしまえ、とさえ思えてくる。刑法に詳しくないので、あくまで黙秘を貫いたらどこまで行くのか見当もつかない。ただ気になったのは、この事件を伝える記者のスタンスである。町に起こった奇妙な事件をただ淡々と伝えたのか。それとも…どうも分からない。事件そのものは実に些少で、そしてみみっちいとさえ言える。なぜこの事件を報道しようとしたのか。
そのうち、その「犯人」がなぜだか可哀相になってきた。一人暮らしなのだろうか、それとも家には病身の、たとえば美子のように認知症を患っている奥さんでもいるのでは、などと考えたら、とても他人事とは思えなくなった。なぜ黙秘したのか、なんだか分かるような気がしてきた。あまりにもわが身が惨めに思えたのでは、まるでエアーポケットにストンと落ち込んだように、何がなにやら分からなくなったのでは?
先日報じられた別の事件、つまり被災地にボランティアで出かけたのに、ポケットに十徳ナイフを持っていたばかりに何時間も警察署に拘留された青年のことを思い出した。なにか社会全体がギクシャクしていて、すべてにわたって遊びすなわち許容度の無い社会になっているように思われてならない。
そして対照的に、スペインの或る祭りを思い出した。バレンシア州のブニョールという町で8月の最終水曜日に行われる収穫祭、別名「トマト祭り」ラ・トマティーナ(La Tomatina)のことである。祭りの間、世界中から町の人口の倍以上の人が集まり、互いに熟したトマトをぶつけ合うバカ祭りである。2007年時点でブニョールの人口は9,720人、2008年のトマティーナの参加者は約4万人という。
これまではなんとバカな祭りだこと、トマト好きな私にはトマトへの冒涜だ、と思ってきたのだが、もともと愚かな人間、とりわけ心が狭くなった昨今の日本人には、こんなガス抜きもたまには必要なのかも知れない。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 【再掲】「サロン」担当者へのお願い(2003年執筆) 2023年6月2日
- 再掲「双面の神」(2011年8月7日執筆) 2022年8月25日
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 1968年の祝電 2022年6月6日
- 青山学院大学英文学会会報(1966年) 2022年4月27日
- 再掲「ルールに則ったクリーンな戦争?」(2004年5月6日執筆) 2022年4月6日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 【ご報告】家族、無事でおります 2022年3月17日
- 【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」 2022年3月10日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 82歳の誕生日 2021年8月31日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- オルテガ誕生日 2021年5月9日
- 再掲「〈紡ぐ〉ということ」 2021年4月29日
- ある追悼記事 2021年3月22日
- かけがえのない1ページ 2021年3月13日
- 新著のご案内 2021年3月2日
- この日は実質父の最後の日 2020年12月18日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 母は喜寿を迎えました 2020年12月9日
- 新著のご紹介 2020年10月31日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 浜田陽太郎さん (朝日新聞編集委員) の御高著刊行のご案内 2020年9月24日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- La última carta 2020年5月23日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- ¡Feliz Navidad! 2019年12月25日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 最後の大晦日 2019年9月28日
- 80歳の誕生日 2019年8月31日
- 常葉大学の皆様に深甚なる感謝 2019年8月11日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- 今日で半年 2019年6月20日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 私の薦めるこの一冊(2001年) 2019年5月15日
- 静岡時代 2019年5月9日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 鄭周河(チョン・ジュハ)さん写真展ブログ「奪われた野にも春は来るか」に追悼記事 2019年3月30日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- かつて父が語っていた言葉 2019年2月1日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- 【家族よりご報告】 2019年1月11日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日
北御門二郎という人のことを思い出しました。『モノディアロゴス』2003年2月2日「ある徴兵拒否者」の中で先生が「トルストイの翻訳家として有名な方だが、その人が『人殺しになるよりも殺された方がいい』と徴兵拒否をし、しかも無事戦中を生き抜いた人である」と賞賛されていました。勿論、この「犯人」?の方とは次元の違う話ですが、二人とも物凄い信念(言葉が適切ではない)の持ち主なことは確かなように思います。この「犯人」?の方が黙秘をしないで謝罪すれば、ここまで大袈裟な報道にはならないはずです。先生も、私の想像ですが、「エアーポケットにストンと落ち込んだように」と表現されていますから、この話を聞かれて北御門二郎さんを思い出されたと私は思いました。「犯人」?の方を弁護するつもりはありませんが、権力や外部からの大きな圧力に怯まない強固な意思と不動の信念を持つことは今の時代には必要なことなのかもしれません。