またもや本の話

ここに三冊の同じ題名の本がある。もっともそのうちの一冊は日本語で、著者は私である。すなわち『ドン・キホーテの哲学』。いやこんな名前の本なら、他にもまだたくさんあるに違いない。たまたま手元にあったのが三冊だったというだけの話。それがどうした? いや何も三冊の本の内容比較などに進むつもりはない。ただそのうちの一冊、すなわちアントニオ・アリエタの本について、というかその周辺事情についてちょっと話したいことがあったのだ。
 出版されたのは内戦が始まる三年前の1933年とだいぶ古い本である。新書版ほどの大きさの239ページの略装本である。書肆の名前はないが、代わりに「新哲学図書館」という叢書名が出ていて、そこにはスペインの思想家だけでなく、エマーソンなど外国の作家の名前があるかと思えば、ピタゴラスやセネカなど古代の思想家の名前もあるといった70冊ほどの叢書である。本書がその70冊目の新刊本(?)らしい。
 ガルシア・アリエタなど聞いたことのない名前だが、こんな本が蔵書の中にあるのは、もちろん題名に惹かれて購入したものらしい。しかし読んだ形跡はない。現役の教師だったころ、古書店のカタログなどを見て研究費で購入したのだろう。取り寄せてはみたが大して面白そうでもないし、といつの間にやら書庫の隅に追いやられていたものらしい。それが今回の、といってもう半年前になるが、二階から一階への引越しの際に露出(?)してきたわけだ。
 どちらにしても、スペインの古書店からやってきたこの本は、東洋(?とはまた古い言い方だが)のしがない研究者の書庫に埋もれたままやがて朽ち果てる運命だった。そう考えるとなんだか可哀相になって、さっそく蘇生術を施してやることにした。このところ布表紙の供給源になっているのは、ばっぱさんの、何と言うのか着物の上に羽織るもの、羽織? いやそんな大層なものではないが、でもやっぱり羽織と言うのかな、それを解体した少し黄ばみ始めた布地だが、表紙にすると途端にシャキっとなって、なかなか格好いいのだ。
 いやー見事に蘇生しました。いつものとおり、異様に前置きが長くなりましたが、本当に言いたかったことはこれから。この本の構成は前半部がアルファベット順・項目別に、つまりafrenta(不名誉)からzelos(妬み)までセルバンテスの著作、もちろん『ドン・キホーテ』を筆頭に諸短編などから、文章を選び出して並べた簡易引用事典、そして後半部はセルバンテスの生涯という著者オリジナルの文章から成っている。
 それで著者のことを調べようと、先日来話題にしてきた2冊の人名辞典を見てみたがもちろん出ておらず、こんな陋屋には場所ふさぎの20巻にもなるサルバットの大型百科事典を調べても出ていないのである。本には著者に関するデータは一切書かれていない。さあ困った。どこかに手がかりは?……そうだ困った時のヤフー頼み、まさか出ていないと思うけれど…検索してみました、ところがどうでしょう、出てたんですよ、それもものすごく詳細なデータが。あのウィキペディアのスペイン語バージョンです。スペイン語圏でも、だれかが無償の奉仕をしてるんですなー。
 それによると、ガルシア・アリエタさん、意外と古い人でした。つまり生まれは1775年ごろ、死んだのは1834年12月24日、つまりクリスマスの日にパリで死去となっている。ということはナポレオンのスペイン侵攻という激動の時代に翻弄された知識人の一人だということである。事実、彼の略歴には、同時代のマリアノ・ホセ・デ・ララ(1809-1837)、つまり「スペインで執筆することは泣くことである」という名セリフを吐いたララのそれに重なっている。
 さあ、やっと言いたかったことにたどり着きました。いや難しいことではないんです。つまり今じゃ、スペインについて調べるには、一冊でさえ相当の重さの百科事典など不要で、もうほとんどのことはネットで検索できるということです。いやデータを調べるだけでなく、たとえばいま目の前にあるドルスの小型本、滅多にお目にかかれない希覯本と思っていたら、それがネットでいま流行の、あれ何て言いましたっけ、電字本?形式でページをめくりながらちゃんと読めるんですよ。つまりカナダのトロント大学図書館のサイトで、ドルスの La Bien Plantada という本が読めるんです。すごい時代になりました。勉強しようと思えば、これからは大学なんぞに行かなくたって自宅でちゃんと勉強できる時代になったということです。もちろんそのためには私が前から言っているようなチチェローネ(道案内)が必要ですけど。

※翌朝の追記 そうだ思い出した、道行(みちゆき)という女物の和服用コートだ。みちゆきとはまた洒落た名前だこと。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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またもや本の話 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     呑空というのが先生の俳号ですが、それがドン・キホーテの頭文字DQのフランス語読みから作ったことを最近『モノディアロゴスⅢ』を読み返していて知りました。確か呑空を「ネットで検索」され、呑空の名前が付いている本を購入されていると思います。「ネットで検索」すれば殆どの情報は探せますが、その情報の向きは微細なもので「チチェローネ(道案内)」のようなものが確かに必要です。そう考えると先生はそれを作れる数少ない人だと思います。お孫さんの愛ちゃん、4歳のお誕生日おめでとうございます。

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