照る日曇る日、と言うが、実はこの数日曇る日が続いていた。もちろん実際の天気のことではなく、運・不運のことである。『原発禍を生きる』の中国語訳は李ご夫妻のご尽力で出版社も決まり、翻訳自体も順調に進んでいるが、スペイン語版の方がここに来て雲行きが少し怪しくなったのである。翻訳そのものはJさんが引き受けてくださっているのだが出版社探しの方が行き詰ったのだ。
出版社探しで動いてくださったのは、原発事故以後これまで何度も南相馬に取材に来られたロブレードさんだが、その彼が頼りにしていたのは、というより私の方から彼に、打診してみては、と持ちかけていた相手というのが、昨年南相馬に来られて既に長文の報告記事を発表された小説家のミリャス氏である。しかし結論から言えば、それが不発に終ったのだ。それもある意味では当然の成り行きなのだが、要するに翻訳された全文をもって直接出版社に掛け合ってくれ、との返答だったわけである。
有名作家の場合であっても実物を見せない限りは出版の約束などしてもらえないのは普通のことであり、私の方が少々(いや大いに)考えが甘かったのではあるが、しかしかなり落ち込んだことも事実である。ところが、今日になって突然また陽が差し始めたのだ。今度の場合ももちろん他にも可能性を探ってくださっていたロブレードさんのおかげである。つまりバルセローナの或る大手出版社が興味を示しているというのである。そしてこの話にさらに偶然の幸運が重なる。つまり翻訳者のJ氏がこの話とは別の用事で来月バルセローナに行くことになっていたので、彼が現地で直接出版社と話し会うことができるという願ってもない偶然が重なったのである。
ここにも常套句を使わせてもらうなら、「捨てる神あれば拾う神あり」であろうか。
そして今日は、もう一ついいことがあった。毎木曜日、美子がデイサービスでお世話になっているツクイの藤崎氏が、大変返事が遅れて申し訳ないが、と言って、以前自社への提出書類にあらかじめ御中などの敬称を使うのはおかしいのでは、という私の意見書に対する、本社総務部長名の回答を持ってきてくださったのである。つまり今後はぜひ善処したい旨の正式の書状である。いやそれも嬉しいことには違いないが、ここでいいことと言ったのは実はそれではない。先週美子を送り迎えしてくださった係りの人に、婚約前の美子と私の往復書簡、つまりは恋文をまとめた『峠を越えて』を差し上げたのだが、それを読んだ藤崎氏がいたく感激してくださったのである。
つまりこれまで介護の仕事をやってきて頭では被介護者の皆さんがそれぞれの過去をお持ちだということは承知していたが、この書簡集を読んで「頭を殴られたようなショックを受けた」というのである。いやー、そんな風に読んでいただいて、こちらの方が感謝したいくらいである。その本にも書いたことだが、もしも美子が認知症になどならなかったらまとめる気にもならなかったし、ましてや他人様に読んでもらおうなどとは夢にも思わなかったものだが、そんな感想を聞かされて、作っておいて本当に良かったと改めて思ったのである。
私自身も、毎度の食事の世話の際など、いくら声をかけても口を開こうとはしない(聴いた言葉が脳に伝わらないから)美子に、時に絶望的な思い(つまり怒っても意味がないから)をさせられるが、そんなとき若い頃の輝くばかりの美子の姿を思い浮かべて自省する。会津出身の藤崎氏が、そんな美子の昔の手紙を読んで、この南相馬の被介護者のために今後とも全力でお役に立ちたいとおっしゃる。ありがたいことだ、嬉しいことだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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先生が『モノディアロゴス』を初め『峠を越えて』他多数の本を出されている理由の一つは「ウナムーノと一緒に言おう、これを読む人よ、あなたがこれを読んで何かを感じるとき、その時あなたの中で私は生きています!と」。『モノディアロゴスⅢ』2008年4月22日「書かなければすべてが失われる」の言葉に象徴されていると思います。先生が「ありがたいことだ、嬉しいことだ」。と最後に心から実感のこもった表現をされているのは、藤崎氏が『峠を越えて』を読んで「いたく感激し」南相馬市の被介護者のために全力でお役に立つと決断されたからなんですが、大切なことは「いたく感激し」たことだと私は思います。それは、情意という言葉が単一の言葉として使われているように、情は最もよく意志、意欲と結びつくものです。そして、先生が心の底で願っていることは、何が書いたあるかという知の部分より「何かを感じる」という情、つまり、藤崎氏が「いたく感激し」たことなんだと私は思います。
先のコメントで書かれているとおり、
自分の記した文章がだれかの心を動かしたというのは
(ひいてはなんらかの意志や行動のきっかけとなるということは)、
何にも代えがたいよろこびですね。
翻訳出版までには、日本での出版以上にたくさんのご苦労があることと思いますが
心ある人から人へとうまくリレーされますように。