先日、ネットの朝日新聞に「文脈棚」という面白い見出しの記事が出ていた。「ネット書店に対抗しようと、街の本屋さんは頭をひねっている。答えのひとつが「文脈棚」。本を著者別や分野別でなく「意味」でつなげて棚に並べる。この手法で実績をあげているのが東京駅そばの丸善丸の内本店4階にある「松丸本舗」。監修するのは松岡正剛・編集工学研究所長」との記事である。松岡氏が本棚に魅せられた原点は、作家の武田泰淳氏の書庫を見せてもらったことらしい。要するに本が星雲状に並んでいたようだ。
武田泰淳といえば、一度、渋谷の映画館の前でご夫妻の姿を見たことがある。後年百合子夫人とはお話する機会ができたが、氏の存命中一度でも赤坂の御宅を訪ねておけばよかったと残念に思う。ともかく最近、わずかばかりの蔵書だが、どのように並べようか考えているので、他の人の書庫が大変気になるのだ。
ところで(図書館以外の)書庫らしい書庫を初めて見たのは、原町高等学校の社会科の先生だった広瀬先生の書庫ではなかったか。書庫と言っていいのか、たしか玄関を入って直ぐの部屋に床から天井まで二面の壁にぎっしり本が並んでいたことを覚えている。しかし私たちの学年は広瀬先生から授業を受けたわけではない(はずだ。はや記憶が怪しくなってきている)。兄の担任だったか、あるいは兄が属していた社会問題研究会とかいうクラブの顧問だったかで、その兄に何かの用事を頼まれて一度だけ先生の御宅を訪ねたときの印象だろう。
次は上石神井のイエズス会哲学院時代、そのころ『ロヨラのイグナチオ』(桂書房、1966年)の出版などを契機に、修道会としても第二バチカン公会議後の新しい活動を模索していた時代だが、作家の椎名麟三氏や遠藤周作氏、評論家の佐古純一郎氏などに近づいたことがあった。そんなある日、確か哲学院(正式には神学院だが)近くの佐古氏宅を訪ねたことがあった。書庫は一階と二階を吹き抜けで繋いだ(と言っていいのか)図書館のような書庫で、個人用としては大きすぎる書庫だった。そのときは羨ましいというより、評論家はたくさんの本を相手にしなければならないので大変だな、という印象しか残っていない。
その頃から、島尾敏雄さんの紹介で安岡章太郎さんのお宅をかなり頻繁に訪ねるようになったが、書庫は応接間からは見えないところにあって、本当は見せていただきたいのだがとうとう言い出せないままに終わった。またやはり島尾さんの紹介で、吉祥寺にあった埴谷雄高さん宅も頻繁に訪れたが、やはり書庫は奥の方にあるらしく、不思議と本の印象は残っていない。ただ未来社から出ていた評論シリーズを下さるとき、必ず目の前でハトロン紙を破いてから下さったのが強く印象に残っている。
他に恵比寿にあった評論家の奥野健男さん宅も何回か訪問したが、佐古氏のところほどではないがやはり本があふれるようにあったことを覚えている。で、そんなある日、文芸評論をやりたいという私に、評論家はいっぱい本を揃えないといけないんで大変だよ、と島尾さんが言ったことが妙に印象的に残っている。
でも結局は、服の裁断と同じ、自分で決めていくしかないんだろう。私の場合、スペイン語書籍、そして英語、中国語の本が少々と、少し構成が難しいが、いま漠然と考えているのは、私のこれまでの足跡をなぞる形で本を整理していくしかないかな、ということだ。本は隣りの書庫だけでなく、二階のかつての居間や廊下や鴨居のところなどいろんなところに分散しているから、さて何処を起点としようか。いっそ胎内潜りのような具合にしてみよか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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先生が本についてモノディアロゴスで取り上げた中で強く印象に残っている言葉があります。「萃点(すいてん)」。これは、「脈絡がくり返し戻っていく場所、脈絡が重なりいちばん色濃くなっている場所ということ、(中略)私の萃点は、さしあたってはオルテガやウナムーノ、そこから次第にA・カストロとビーベス、最近の萃点は、ペソアそしてA・マチャードということになろうか」。『モノディアロゴスⅣ』2010年1月4日「二つの萃点」。本を選ぶ場合に何を基準にして選ぶかという問いに対しての明確な答えがこの「萃点」だと私は思います。そう考えていくと「文脈棚」という発想は的を射てると思います。美子奥様が非常に好まれていた作家は武田百合子さんだと記憶していますが、その「萃点」にはT・S・エリオットがあったように私は思います。