従来型教育からの脱却

もう梅雨に入っていたのであろうか? それさえ分からないほどに、その日の美子の体調次第ですべてが左右されるという綱渡りのような毎日を送っているが、もし梅雨に入っていたとしたら、今日はまさしくその梅雨の晴れ間、五月晴れ(すみません、天気に関する語彙が貧しくて)を思わせるような爽やか一日となった。遠来の客人を迎えるには絶好の日和である。午後一時半を回ったころ、予定通り、京都と大阪からの二人の来客があった。すなわち京都からは中桐万里子さん、大阪からは大濱啓二さんである。たぶん関空(初めて使う言葉である)で待ち合わせてこちらにいらっしゃったのであろう。
 大震災後、ふだんは考えられないような不思議な出会いがいくつもあったが、そのうちの一つが大阪の大濱さんとの何十年ぶり(40年ぶり?)の再会であり、そして彼を介しての京都の中桐さんとの出会いである。大濱さんは二度目だが中桐さんとは今日が初対面。しかし玄関でお迎えした瞬間から、その温かな人柄から構えや用心が無用であることが分かった。目の前の彼女と金次郎七代目という二つがとても結びつかないような明るくにこやかな若い現代女性(当たり前!)であった。彼女は京都で「リレイト」という親子をつなぐ学びのスペースを主宰しておられる。
 さて初めて客の接待に使われる書庫にとっても、そして数日前壁に掛けたばかりの「報徳訓」にとっても、今日はまことにふさわしいお客さんを迎えたわけだ。そこに西内君も駆けつけてくれ、挨拶もそこそこにさっそく懸案の話に入った。つまり南相馬の子供たちへの学習支援についてである。当初は阪大や京大の学生を募ってネットを使っての支援を考えたが、それだと学生たちの継続的な協力体制つくることが難しいので、実績のあるプロの協力を仰ごうということになった。現在はそのための具体的な協力者も見つかった段階であるが、いずれにしてもまったくの新しい試み、これから決めていかねばならぬ課題が山積している。
 そこで私自身は実際的な面すべてを西内君におまかせする身なので、口幅ったいことはとても言えないが、この計画の基本にあるべき理念について若干の意見を述べさせてもらった。つまり今回の学習支援が受験戦線のベルトの上に子供たちを載せるだけではまったく意味をなさない。なぜならそれだと東電によって電力が収奪されてきたように、結局は人材さえも(言葉は少々きついが)収奪されるという従来型の再生産システムから抜け出せないからだ。
 多くの有為な人材が東京という一極に集中することを不思議とも思わないことの方が実はとても不思議で奇妙なことであると先ずは気づくこと。そのためには今回の学習支援でも、教える側も学ぶ側も、単に教科や教材の学習だけでなく、それと合わせて自分たちを育んできてくれた地域社会についても学んでいく必要がある(実際の運用面では難しい問題も出てくるだろうが)。
 ここで話し合いの結果すべてをご報告する余裕は無いが、皆が期せずして一致したのは、子供たち自身が自分たちは地域社会全体によって育てられたのだと実感できるような環境作りをすることだ。つまりたとえ都会へ「遊学」しようとも、育てられたことへの感謝の念から当然のごとく地元に戻ってくるような環境を皆で協力して作っていくこと。
 そのためには従来のように子供たちの教育をすべて学校に任せ切りであってはならない。昔は当たり前にあったような、学校の先生だけではなくて近所の小父さん小母さんまでもが子供たちの面倒を見、必要とあらば手助けするような環境作りをしていくことが肝要である。(都会のように大学生の協力は得られない代わりに、小母さんパワーを最大限活用しようとの話も出た)。簡単に言えば、村興し、町興し以前の問題として、自分たちが地域に支えられているとの意識を共有していくこと。
 いや他にも有意義な話が次々と出てきたが、今日のところはこれで充分だろう。大きなことを言うようだが、今回の私達の始めようとしている計画が、地域社会とりわけ学校などのあり方そのものを変えていく力になればいいとさえ考えている。
 夢は大きく、しかし現実は一歩一歩確実に。その点、尊徳翁には大いに学ぶところがある。そしてメディオス・クラブの思想的バックボーンたるオルテガの思想(「私は私と私の環境である」)が尊徳翁の思想に意外と深く重なるとの発見もあった。なぜそう言えるかはおいおい説明していくつもりだが、今晩はこの辺でお開き。ともあれ久しぶりに知的興奮を覚えたまことに充実した午後であった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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従来型教育からの脱却 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     昔、まだ私が学生の頃でしたが、朝のワイドショーのような番組に、その年に東京大学に入学した学生が10人ぐらい出演していて、司会者が合格するためには何が必要ですかと女子学生に質問した時の答えが、何故か私の記憶に残っています。こんな事を言ってました。「受験のための勉強だけでは駄目です。例えば、自分で洗濯するとか、お米を研ぐとか、身の回りの日々の雑用も自分でする習慣を身に付けることが大切です」。「夢は大きく、しかし現実は一歩一歩確実に」。その女子学生が言っている意味を「尊徳翁」から悟らされたように私は思いました。

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