昨日、大江健三郎、坂本龍一さんなどの呼びかけで脱原発を目指す集会に代々木公園に集まった参加者は、主催者側の発表では17万人、警視庁発表では7万5千人とか。こういうときはあいだを取って15万人としようか。
最近のテレビや新聞の報じることにウンザリしていたし、ほとんど絶望していたが、メゲないで頑張っている人たちもいるんだ、と勇気付けられた。特にこの猛暑のなか集まった人たちに心からの敬意を表したい。
それにしても今年の梅雨はもう終わったのだろうか、各地の猛暑のニュースが相継ぐ。福島県でも会津や中通りは相当に暑そうだが、南相馬のある浜通りはそれほどでもないと安心していたら、今日はさすがに暑かった。息子たちのいる居間にはクーラーがあるが、私たち夫婦のいるところには付いていない。昨夏は二階だったから屋根からの照り返し(と言うのだろうか?)がきつく、それでも縁側のガラス戸に取り付けてあった簡易クーラーで乗り切れた。一階はそれほどでもないだろうと高を括っていたら、今日の暑さで自信がなくなった。
でも暑いと言っても以前住んでいた八王子に比べるとずっと過ごしやすく、耐えられない暑さは一週間もないだろう。いやその一週間もなんとかやり過ごしてきた。で、今年は息子が心配して注文してくれた涼風の出るコロナの除湿機を使い始めた。確かに約6リットルも溜まるタンクはすぐ満杯になるので相当の除湿をしてるはずだ。しかしクーラーと違って部屋全体が涼しくなるわけではなく、とうとう今日はもう一つ古い扇風機を引っ張り出して併用してみたが、夜中になっても30度を下がらない。
それで先ほど、以前孫の愛からもらっていた熱冷まシートを美子の額と私の額に貼り付けている。他人が見たらおかしな老夫婦の図だが無いよりまし。明日はスーパーなどで売っている首筋に巻くタオルみたいなものでも買ってこようか。
しかし有難いことに、もともと美子は暑さを苦にしない性質というか、たしか平熱も私よりかなり高い方なので熱中症にはならないだろう。先ほども書いたように、ここの暑さがピークに達するのは野馬追いをはさんでの一週間ばかり。それが過ぎるとその熱さがすぐ恋しくなるくらいの涼しさが駆け足でやってくる。だからなんとか元気にこの暑さを乗り越え、いや乗り越えるだけでなく楽しむつもりになろうっと。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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私も昨日の反原発の集会とデモに参加しました。
土曜と日曜は小高区の民家の泥出しのボランティアに参加し月曜日の午前中に帰京し、午後から引き続きの集会・デモ参加で、へとへとになりました。
全国から来ていて、大変な数でした。私は疲れていたので(最後の方だと会場を出るだけで3時間くらいかかります)、先頭のグループ(福島のみなさんです)に入りました。1時30分に出発して、2時半頃に解散地点の公園に着きました。私の仕事場はその公園の前にあり、仕事場に戻って横になっていたのですが、最後のデモ隊が到着したのが午後6時頃でした。3つのコースのうちの一つだけでも、3時間半くらいデモ隊が途切れなかったのです。それだけすごい数の人が参加したんですね。
それから、毎週金曜日の首相官邸前には数万人が集まります。ほとんどが労組などの動員ではなく個人参加です。
きちんと報道しているのは東京新聞くらいで、大マスコミはあまり報道しませんが、メゲない人がこれだけいます。
放射線量ですが、小高も山の方はともかく、どこも、0・2マイクロシーベルトくらいで、東京の2倍程度でした。南相馬から避難した人は5万人くらいだそうですが、ほとんどの人は避難する必要がなかったのではないかと思います。原町のスナックのマスターやお客さんと話をしたのですが、皆さんいったん避難してから帰って来られた方で、最初の情報の非公開に大変な怒りをお持ちでした。
ところで、昨年もボランティアに参加したのですが、昨年と違って、夜飲食店が開店しているところが増えていました。お客さんもよく入っていました。安くて旨いものを提供してくれます。これもボランティアに行く楽しみの一つです。
ボランティアは相変わらず、全国から集まり、皆さん非常に士気が高いです。とうとう南相馬に引っ越して来た人もいます。皆無名の庶民です。私も無名の庶民の一人として、また小高に行くつもりです。佐々木先生、あまりメゲないでください。
上出さん、コメントありがとうございます。ボランティアに参加されて小高にもいらっしゃっているとのこと、本当にご苦労様、そしてありがとうございます。南相馬に移住してこられた方もいるとか、嬉しいを通り越してかたじけないという気持ちでいっぱいです。
このブログの管理を引き受けてくれているS君も昨日、数年前から働いていた東京を引き払って故郷の復興のために戻ってきてくれました。そういう一人一人の潔い善意の点と点がいつの間にか線になって、信頼と希望の輪が広がっていくことを信じています。そうです、おっしゃるとおりメゲてなどいられません。上出さん、どうぞこれからも、できる範囲で結構ですから、ご支援お願いいたします。文面から察するとまだお若い方かと思いますが、私としては次代を背負う若者たちにひたすら願いを託すしかありません。どうぞ、どうぞよろしくお願いいたします。
佐々木先生
お返事ありがとうございます。
でも、申し訳ありませんが、私は、「お若い方」ではありません。
期待はずれですみません。
私は今年で還暦です。来月で満60歳になります。坂本龍一さんと同い年です。
おそらく、重労働のボランティアなので、「お若い方」との印象があるのではないかと思いますが、実は、60代、70代のボランティアも多いんですよ。定年退職になって時間があるので、車中泊しながら、毎日ボランティアに参加している人もかなりいます。
私なりの「末期の眼」というものがあって、その「末期の眼」が私を叱咤するのです。あるいは、大江さんの小説に、年老いた自分が少年の自分に出会うという場面があったと思いますが、「少年の私」に「お前はどういうふうに生きて来たのか」と詰問されるのですね。
私ができることはたいしたことはありませんが、こうでもしないと、「末期の眼」や「少年の私」が許さないんだろうと感じるのです。
もちろん、次世代への責任を果たさねばと言うこともあります。せめて「繫ぎ」の役目をしなければと思っていますが。
ただ、これはあくまでも自分なりに考えた「理屈」でして、こんな格好いいことはあまり考えていません。
国は頼りにならない、みな助けあって生きていくしかない、しかも、ボランティアは楽しい。
こういうことしか考えていないような気がします。全国から集まった年齢も職業も知らない人と一日一緒に汗を流し「お疲れ様」と言って、解散する。ほとんど人たちとはもう二度と会うことはありません。でも、こういう人間関係の気持ち良さのために、やっているのかなあと思います。
おまけに、家がきれいになって、じいちゃん、ばあちゃんが喜んでくれますし。
ゴルフなんかやっててもこんな楽しみは感じられないと思います。多くのボランティアもたぶんこういう気持ちなんだろうと思います。
楽天的すぎるかも知れませんが、南相馬は必ずや復興すると私は思っています。
上出さん、再度のコメントありがとうございます。来月還暦を迎えられる方とは驚きです。ますます感服いたしました、脱帽です。
「全国から集まった年齢も職業も知らない人と一日一緒に汗を流し「お疲れ様」と言って、解散する。ほとんど人たちとはもう二度と会うことはありません。でも、こういう人間関係の気持ち良さのために、やっているのかなあと思います。」そのお気持ち、なんとなく分かります。だから前回私も自然に「潔い善意」という言葉を使ったのかも知れません。
でもいつかもしもお時間があれば、原町区の拙宅にもちょっとお寄りくだされば、せめて冷たいお茶でもさしあげますので、どうぞ御遠慮なく。
私の住んでいる所は昨日梅雨明けしましたが、急激な温度変化に体がついていきません。これから8月いっぱいは、この暑さが続きますが「楽しむ」つもりで乗り切ろうと思ってはいます。日本の古本屋に『ドン・キホーテとサンチョの生涯』ウナムーノ著作集2という先生が訳されている本があったので、早速注文しました。2011年9月のユイコさんのコメントを読んでいて読みたくなりました。
先生のモノディアロゴスには様々な読者の方たちが集まっていて私にとっては良い刺激になります。上出さんのお話も非常に感動しました。なかなか行動するところまでは私にはハードルが高過ぎて出来ませんが、一つ一つ出来ることを行動することは大切なことだと思います。