長ーい助走

以前、ため息の効用なんてことを書いたような気がするが、ここ数日、自分でもびっくりするようにため息が多くなっている。幸い美子は気にしないので助かるが、思わず知らず大きなため息をついている。効用とはつまり声を出すことによって、体の中の邪気(?)や疲れを吐き出すということだが、これって気づかないうちに疲れが溜まっているからだろうか。 そんなことを言ったら、昨年の今ごろはもっと大変だったはずだ。確かに美子は歩けたが、食事・洗濯など家事一切を切り回していたわけで、それに比べると現在はいろんなところで頴美に助けられている。だから疲れも少ないはずだが…行動半径が限られていることから来る閉塞感だろうか。以前のようにDVDで映画を観るようなことは、震災後一度もなかったような気がするし、読書も小説などまとまったものを読むようなことも一切しなくなった。
 ただ体だけは以前より丈夫になったかも知れない。散歩はほとんどやらないが、このところ朝晩の体操(?)は欠かさずやっているからだ。つまり起床後すぐと就寝前、スクワット11回(10回じゃなく11回というのがミソ)、片足立ちそれぞれ50秒(だと思う、壁にかかっている時計の秒針の音50回分だから)、それから両腕を水平に大きく広げる運動50回、同じく両肩を前後に動かす肩甲骨の運動を50回。
 そのためもあってか、美子をベッドから車椅子に抱きかかえて移すという、腰に負担のかかる危険業にも雄々しく耐えている。毎年のようにやっていたギックリ腰にも、ここ二年以上もなっていない。しかしそんなわずかな運動でも、あるいは美子を起こしたり寝かせたり、おむつ交換をしたり、ともかくいちいちの務めに取り掛かる前に大変な気力を必要とする。そんな折は、ため息の代わりに大きな声で自らを叱咤激励しなければならない。
 ともかく毎日が時間や曜日が分からなくなるような単調な生活の連続だから、たまの来客があったりすると、元気が出る。
 昨日も昼前、隣のカトリック教会のK神父さんと、ボランティア・センターのシスターHさんが訪ねて来てくださったときも、たまりに溜まった思いのたけを立て続けにしゃべったようだ。K神父さんとは初対面であるにもかかわらず、神父さんの温かな笑顔をいいことに。途中気がついてあやまったが、その後もその勢いが止まらない。それもあってか(?)お二人から思いもかけないお仕事をいただいた。あまりに嬉しくて正確なことは聞き漏らしたが、ともかくこんど長崎で何かの大会があり、それに派遣される福島の高校生が七人ばかり先日できたばかりのセンター(宿泊施設あり)で合宿をするので、彼らに一場の講話をしてくれないかとの依頼である。もちろん喜んで引き受けた。
 昨日は午後にも嬉しいことがあった。たしか二週間の予定で「別荘」に出かけたはずの西内君が予定を四日ほど早めて帰ってきたことである。すべて順調に進んだそうで、何はともあれ嬉しい限りである。別荘で読んだ堀田善衛の本の話や、メディオス・クラブの今後の進め方など、以前のように元気に話してくれた。しかし正直言うと、昨日だけでなくいつもそうなのだが、私の耳が遠くなったこともあって、そして彼の早口の相馬弁のせいもあって、彼の話は8割方しか分からないのである。でも肝心の大筋は分かるので、それで何の支障もないのである。これが気心の知れた幼友だち同士の付き合い方である。
 (すみません、今日は別のことを書くつもりでパソコンに向かったのですが、実はここまでは本論に入る前の助走でした。つまり行動を起こす前の「ヨッコイショ!」という掛け声でした。やっぱり疲れているようです。本論は明日か、そのうちに、ということで今晩はこの辺でお開きにさせていただきます。どなた様もお休みなさい。)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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長ーい助走 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の所では今年も野馬追い祭りをやっているのでしょうか。「軍馬のいななき、土を蹴る蹄の音、法螺貝の響き、馬上の荒武者の高揚した顔々、行列の側を疾駆する軍使のしわがれた声音、馬が向きを変えるたびに沿道の観客に生ずる一瞬の緊張・・・その時人は己れの肉体の中に埋もれ忘れられ眠っていた太古の血の流れを確かに実感する」。2002年7月26日「祭りの後、あるいは後の祭り」

     私は野馬追い祭りを見たことはありませんが、情景描写、観衆の心の機微を見事なまでの表現力で、まるで私が見たかのように伝わってきます。

     若い人たちにとって先生の「講話」を聴けることは必ず将来に向けプラスになると先生の素晴らしい文章を読んでいて感じました。

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