この猛暑の中で

朝七時ごろ、わずか数メートル先で打ち上げられたのでは、と思われるほど大きな音で(たぶん三百メートルとは離れていない)炸裂する花火で始まった一日。言わずと知れた(とはまた古臭い言い草だが)相馬野馬追いの中日、メーン・イベントの日である。
 だがいわゆる熱帯夜だったのだろう、朝方あまりの寝苦しさから眼を覚まし、既に点けていた扇風機の他のもう一台の「弱」にスウィッチを入れてから二度寝をしたのにこの花火で眠気が吹っ飛んでしまった。疲れが抜けきらない重い体を奮い立たせるようにして起き出した。
 流石に今年は祭り見物の気分にはならないが、愛は昨夜からずいぶんと楽しみにしていたようだ。十時ごろ、その愛を連れて息子夫婦は行列見物に出かけるという。これでなんとか祭りに対する務めが果たせるように思われ、彼らの気が変わらないようにと小さな組み立て椅子や麦藁帽子などを持たせて送り出したが、でもあまりの暑さに二十分ほど見物しただけで帰って来たようだ。従弟の直人さんが出陣していたかどうか聞こうと思ったのだがこれでは分からずじまい。でも今年は例年通り400騎近くが出場したというので、たぶんその武者の中に入っていたのではないか。私自身が見物に出かけるのであれば、電話をするなり気楽に問い合わせたであろうが、つい聞きそびれてしまった。
 ともあれこの暑さの中で美子に風邪など引かれると困ったことになるが、いまのところその気配が無いのでほっとしている。朝方メールをチェックしてみると、ハビエルさんが、先日思わせぶりに「綱渡りのような危うい均衡の毎日」などと下手なスペイン語で書いたことに対して、心配して問い合わせてきていた。「かなり細い綱の上を歩いているような毎日」は少し大げさな表現だったかも知れない。要するに、美子は自分の体の状態について一切表現できなくなっているので、少し熱が高かったり、鼻水をたらしたりしていると、クリニックからもらった薬を三種類飲ませるなど、とたんに生活全体のリズムが狂ってしまうことを文学的(?)に表現したまでなのだが。
 来信メールの中には北京の李建華さんご夫妻からのものもあり、とうとう中国語版『原発禍を生きる』の翻訳が終り、九月出版を目指して最終段階の作業に入ったとの嬉しいニュースが届いた。内容的には論創社版に『モノディアロゴスⅥ』から9編ほどを加えたものになるそうで、その選ばれた9編をチェックしたところ、さすがよく読んでくださっていると感心させられた。私も中国の読者宛てに2000字ほどのメッセージを書くよう依頼されたので、この暑さの中なんとか頑張ってみようと思っている。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

この猛暑の中で への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     私の住んでいる所では季節の風物詩的なものが最近ありません。相馬野馬追い祭りはNHKのニュースで紹介されていて初めて見ました。恐らく先生を知らなければ見ていても何処かのお祭りぐらいで記憶には残らなかったでしょう。発射台から軍旗?のような黄色や赤の色鮮やかなものを天空に飛ばし馬に跨って鎧を身に着けた軍使のような人たちが争奪している映像が印象に残っています。

     竹の節のように人間には季節を象徴するようなお祭りは必要なのかもしれません。それは生きるための原動力になるんでしょう。伝統を継承していく中で新たな出発を体に刻み込み人生の節目を実感できると思います。

     日本全体が何となく節度のないように私は感じます。原発一つとっても快適な生活重視で再稼働の話ばかり一人歩きしているように思います。孟子の言っていた「為さざる有るなり」という言葉を思い出しましたが、人間にとって節度を守ることは大切なように思います。

     モノディアロゴスの中で相馬野馬追い祭りを境に先生のお住まいの所は暑さが和らいでくると言われていました。私の住んでいる所は暑さはこれからです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください