スポット読み

さしもの暑さもようやく峠を越したのだろうか、部屋を吹き抜ける風にも、心なしか涼しさが感じられるようになった。いやいや残暑がまだまだ続くと覚悟した方がよさそうだ。それに昨日の広島平和宣言に脱原発の意思が明確にされていないとの新聞の見出しを見て、宣言本文を確かめる気にもなれないし、何事に対しても楽観できないという気持ちが先に立つ。
 でもこちらはやることをやるだけ。と言っても特にやらなければならないことがあるわけでもなく、とりあえずは古本蘇生術を再開することにした。今日の獲物(?)はアマゾンから届いたばかりのペレス・ガルドスの長編小説『フォルトゥナータとハシンタ』。何とこれが上下二巻本でともに500ページを越す大長編。
 先日、スペインの近・現代文学の名作が訳されないまま、中南米文学に訳者も読者の関心も移っていってしまったと嘆いたが、しかし良く調べてみると、私が気づかなかっただけで、今回のように大物が訳されていたわけだ。
 ベニート・ペレス・ガルドス(1843-1920)、トラファルガル海戦(1805年)からフェルナンド七世の死までを描いた歴史小説『国民挿話』が有名だが、ルイス・ブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演の『哀しみのトリスターナ』の原作者としてその名を記憶している人がいるかも知れない。しかしいずれにせよ、ディケンズやバルザックにも比肩しうるこの作家の代表作の一つが密かに(といって私が知らなかっただけだが)訳されていたことに数日前に気づいたのだ。
 訳者は浅沼澄(きよし)という私より4歳年上で、長らく商社マンだったが、あるとき一念発起して、独学でスペイン語を学び、「会社の仕事の傍ら、残業の無い夜と休日だけを使って」翻訳に精進したらしく、その見上げた根性にまず脱帽した。読者の活字離れ、出版界の構造不況の波に逆らってのこの快挙、世の中には偉い人がいるもんだと感心することしきり。
 で読む前に、まずその努力に敬意を表さねば、と小豆色の小さな水玉模様の切れ端を使って、豪華とはいえないがそれなりに品の良い布表紙の装丁を施した。版元は水声社というあまり聞いたことが無い出版社だが、新刊でも一冊2,800円では元が取れないな、と心配したが、良く見てみると扉裏にグラシアン基金から助成を受けたと記されており、それでこそ暮らし安心グラシアン、と安堵した。
 先日ここで紹介したクラリンの長編小説もそうだが、十九世紀小説の中には実に悠揚迫らぬゆったりした時間の流れがあり、現在のようなあまりにも効用主義的というか能率本意というか、要するにこせこせと慌しい時間の流れに疲れたときには、筋のことなど考えずに、ゆっくりと小説世界を逍遥するのも精神衛生上いいかも知れない。
 昔は、と言ってももう60年以上も前のことだが、本を買うときには小さな活字でぎっしりページが埋まっているものを選んだものだが、最近は…止そう愚痴をこぼすのは。ともかくA5判2段組1,000ページを超えるこの長編、おそらくは読み通せないだろうが、時おり開いたところを2、3ページほどゆっくり読むという、何と言えばいいのか、そう例のスポット読み(?)でもして楽しもうか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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スポット読み への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     最近は本屋に行かずにネットで注文することが多いですが、以前のように当ても無く本屋に行っていろいろ物色しながら本を選ぶ醍醐味を味わうことに楽しみがあったんじゃないかと私は思います。その際に「スポット読み」というのを私はやっていたように思います。

     先生の「スポット読み」は、私の想像ですが、検証としての意味が含まれているように思います。それだけ持っている知識が深く広いから可能なんでしょう。

     とても先生の域までは私には至難なことですが、モノディアロゴスを読んでいたら「味読」という言葉を先生が使われていました。なかなか奥が深い、文字通り、味のある読み方だと思います。先生ぐらいになられると、「スポット読み」でも「味読」できるんでしょう。

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