柔よく剛を制す

最近はほとんどテレビも見なくなっていたが、それでもロンドン・オリンピックの番組はときどき嫌でも眼に入る。しかしスポーツ・ファンとしては邪道も邪道、ひたすら勝ち負けにこだわって見ている。暑さのせいだけではない。昔から純粋にスポーツを楽しむ余裕というか度量というか、残念ながら持ち合わせていないようだ。その意味では、もうバリバリの愛国者に成り下がっている。そこんところは「愛国無罪」でご勘弁願いたい。
 でも、たまたま見た画面で、石原知事が「西洋人の柔道ってのは、けだもののけんかみたい。(国際化され)柔道の醍醐味ってどっかに行っちゃったね」なんてことを言っていた。この人は小説家で通っているが、「西洋人」「けだもの」などという言葉遣いというか発想自体に知性の片鱗も見られない。つまり彼特有の差別意識丸出しで、都民には悪いがよくこういう人が都知事やってるな、と感心してしまう。
 たしか以前も、フランス人は数の数え方が分からない、などという問題発言があったと思うが…それでなくともこのクソ暑さ、こんな不愉快な話はやめたいが、ただこれだけは言っておきたい。つまり嘉納治五郎の創始した柔道、つまり「道」が国際化されて「スポーツ」になった以上、「技」より「体力」勝負になるのはとうぜん予想されたことで、参加する以上は、そのときどきのルールに沿った選手養成をするしかない。その意味ではこの負け戦を総括した篠原強化委員長(でしたっけ?)が「いくら技ができても力がなきゃどうしようもない」というコメントの方が正確だし理屈が通っている。
 要するにくやしかったら「西洋人」を「けだもの」呼ばわりするんじゃなくて、明日から、いや今日から、「柔よく剛を制す」柔道の根本精神をどう現行ルールの中で生かせるか、それこそ血の滲むようなトレーニングを…そんなこと知ってる? でもそこを今一度…それは無理? いやー何かまだ見過ごしてたかも知れないよ。
 ともかくだね、相手を罵倒したり泣き言いったりするんじゃなくてさ、きれいな負け方、潔い負け方をしてだね、世界の人に柔道の美しさというか、散り際の美学っていうか、それを訴えていく……何を奇麗ごと言ってるって? それもそうだね、もう言うの止めようっと。でもとにかく差別発言や相手を罵倒することはやめようよ、それこそ「民度」が問われます。
 最後にちょっと役立つ豆知識を。「柔よく剛を制す」という言葉は、「孫子」、「呉子」、「六韜(りくとう)」に並ぶ中国古兵学の一書として広く流布された「三略」の冒頭に出てくる言葉。「略」とは戦略の意味。興味ある方は、今年六月二日に九十二歳で亡くなられた我が宗匠・眞鍋呉夫氏の訳で中公文庫から出版されているのでご覧下さい。

※追記 もしかして「西洋人」という言葉自体は差別用語ではないのでは、と思った方がいるかも知れないので、ひとこと補足します。つまり言葉というものにとって「文脈」は命。文脈によっては「毛唐」や「第三国人」と同じく差別用語にもなるということです。念のため。


【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉を転載する(2021年4月15日記)。

石原のスポーツ愛国主義ももちろんいただけませんが、作家としての没品性・没知性は小説でも随筆でも明らかです。それを活字にしてしまうマスコミも出版社も同罪です。日本語堕落促進加速に貢献した第一人者が石原慎太郎でしょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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柔よく剛を制す への2件のフィードバック

  1. はまだ のコメント:

    また名作が生まれましたね。
    石原さんは橋下さんと同じく、多くの人が感じていることをすくい上げて言葉にしてみます。それで人びとは溜飲を下げる。そこで終わらせず、議論をもう一段の高みへともっていくのが知性ですね。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    はまだ様 
     これはまた涼しいところからのコメント、ありがとうございます。中標津の佐伯牧場のHP覗いてみました。いやー羨ましい。帯広生まれだから分かりますが、北海道は日中どんなに暑くても朝晩は毛布が必要なくらい涼しい。暑さにうだってる身にとって、このあまりに残酷なまでの差。
     でもどうぞ存分に北海道の夏を楽しんでください。ではまた。

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