ほんの十日前、いや待て、もっと前だったか、はや記憶があやふやになっているが、朝方起きがけに数分間痙攣を起こした美子は、幸いそのときだけの発作だったらしく、以後風邪も引かずに頑張ってくれている。もしかしてあれは脳の収縮の過程で起こったもので、あの時、脳に何らかの良い刺激が走って、それまで切れていた細胞と細胞の連繋が一部回復したのかも知れない、などと楽観的ではあるがよく考えてみるとかなり恐ろしいことを考えたりしている。いや冗談ではなく、心もち食事時の口の開け方がスムーズになったし、こちらからの呼びかけにこれまでより少しはっきり反応してくれるようになったのだ。
今日はデイサービスの日。四時半に石原クリニックの玄関先で迎えるまで、いつもとは少し違うゆったりした時間が流れている。今日は自分のベッドの上で昼寝もたっぷりした。読書もたまたま手元にあったボルヘスの訳詩集『永遠の薔薇・鉄の貨幣』(鼓・清水・篠沢訳、国書刊行会、1989年)を気を入れて読むことができた。やはり凄い作家だ。いずれの短編もすべての言葉に帯電しており、触れるとビリッとくるが、詩にはそんじょそこらの叙情性など吹き飛ばす宇宙的な時空間の広がりがあって感動と元気がもらえる。
ところで本日蘇生術を施したのは、『朝鮮短編小説選』(上下、岩波文庫、1984年)だ。既に厚紙で補強されて合本になっていたものだが、今回はそれを先日のペレス・ガルドスの長編小説に使った残りの水玉模様の布で装丁をし直し、その上に新たに書名ラベルを貼ったわけだ。ついでに拾い読みをする。
1920年から1940年にかけて活躍したいわゆる在日作家ではない本国の作家たちの短編を集めたものだ。しかしもちろん1910年以後の帝国主義日本の侵略に晒された朝鮮であったから、その影が色濃く作品に反映しているのは言うまでもない。恥ずかしいことに優れた在日作家たちの作品さえほとんど読んでこなかったし、これら本国にあって執筆活動を続けた作家たちの作品はなおのこと読んでこなかった。
だからこれから言うことは、そのまま自分にも跳ね返ってくることだが、しかしやはり言っておくべきであろう。簡単に言えば、われわれ日本人はとりあえずは日本帝国主義の犠牲になった国々の作家たちの作品を努めて読むべきだということである。東アジアの近・現代史をしっかり勉強しなければならないのは言うまでもないことだが、とりあえずはそれらの国々で書かれた文学作品を虚心に読んでみること。歴史的概観・解説とは違った肉声が聞こえてくる。
たとえば最近、私の知る限りではあの『冬のソナタ』以来、韓流ブームとやらがテレビやCDの世界を席捲している。私くらいの年齢の者なら、これが信じられないほどの大変化であることを知っている。ある人たちにとっては苦々しい事実であろうが、私などからすればあゝこれでやっと隣国の人とまともに付き合える時代が来たと大歓迎・大喜びである。それまでわが国が実に不当で差別的な対応しかしてこなかったことを知っているからだ。
だが喜んでばかりいるわけではない。美男・美女の韓国人俳優、美脚の少女グループやイケメン揃いの歌手たちなどにお熱を上げる中年女性や若者たちを見ながら一脈の不安も感じている。つまり彼女たち(もちろん男性もいるであろうが)はそのアイドルたちが昨日までは謂れのない不当な差別を受け、蔑視されてきた国の俳優であり歌手であるということをどう整理した上での熱狂なのか、それとも一切整理しないままのお熱なのか。
優れたものは優れたもの、綺麗なものは綺麗なもの、そこには国とか民族の違いなど入り込む余地はないし、入り込ませるべきでもない、とお考えならご立派としか言いようがない。でも本当にそうなのか。両国間の関係を危うくするような政治的軋轢や事件が持ち上がったとき、つまり風向きが変わったとき、容易に元に戻ってしまう底の浅いファン気質ではないだろうかと恐れているのだ。
関東大震災(1923年9月1日)のときに、「不逞の半島人」が井戸に毒を入れたとか放火しているという流言蜚語によって、またそれを鵜呑みにして報じた新聞や、ろくに調べもしないで弾圧する側に回った官憲によって、暴徒化した日本人が6千人を超える朝鮮人を虐殺した史実をいったいどれだけの人が記憶し、それを若い世代に伝えてきたか。
そんな不幸な過去は忘れて仲良くすればいいじゃん、などという多幸症的な日本人からは脱却しなければならない。でないと自分たち自身もまたぞろ不幸な過去を繰り返すことになる。じゃどうすればいい? そうだね、上に書いたように、とりあえずはそうした不幸な時代に書かれた作品を時にはじっくり読んでみるのもいいかも知れない。そしてそうした不幸な時代があった後に今の幸福な時代があることを決して忘れないこと。
ところで私には「KARA」や「少女時代」(おや良く知ってるでねーの)のはるか背後に、白いチマチョゴリを着てアリラン峠へと登っていく彼女たちのおばあちゃんたちの姿が見えています。そして哀調を帯びた「我離娘(アリラン)」の旋律が聞こえてきます。だからこそ現代の美少女たちの歌声やダンスが素敵だし胸を打つのです。それは「五木の子守唄」や「南部牛追い唄」、そして我が「新相馬節」を聞くときに経験する感動と同質のものです。
もっと本質的なことを言えば、こうしてこの世に生きていること自体の悲しみ、つまり人間存在の原悲劇、を忘れては本当の幸福もありえないということへと繋がっていきます。何?そこのところの繋がりが分かりません? いや実は私にも良くは分かりません。でも悲しみや苦しみに耐え、それに打ち勝てないまでも、その意味が分かったときに味わう幸福以外に、本当の幸福があると思います? 多幸症的な喜びなんざタモリの「笑っていいとも!」に任せましょうや。
【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉を転載する(2021年4月15日記)。
アリランで思い出しましたが、むかしニム・ウェールズの『アリランの歌』を感動をもって読みました。さらにアリランで思い出すのは、先年の春、知覧の旧特攻基地を訪れたときです。朝鮮人特攻兵士の追悼碑があり、ほど遠くない場所に映画『ホタル』の石碑がありました。映画のなかで歌われるアリランの歌が印象に残っています。
知覧にゆく前に『ホタル』は映画を見ていましたが、実際に追悼碑を前にして、映画の印象を改めて想起することになり、帰宅してから脚本を書いた竹山洋の本『ホタル』を読みました。映画で描ききれなかった部分も書き込まれており、たんなるノベライゼーションではないものになっています。
後日わたしの書いた知覧紀行に朝鮮半島出身の特攻将兵のことは出てきませんが、いずれ自分なりに調べて書きたいと思っています。
人間は人生の中で苦しみも悲しみもなく順風満帆に生涯を送れたら幸せなのかと思うと、先生が「悲しみや苦しみに耐え、それに打ち勝てないまでも、その意味が分かったときに味わう幸福以外に、本当の幸福があると思います?」と言われた言葉は非常に重い、また人間の真実だと思います。
ヒルティが『幸福論』の中でこんなことを言ってます。「悪い日が実はよき日である。悪い日がなかったら、たいていの人は決してまじめな思想に到達することはないであろう」。
日本は近隣諸国との不幸な歴史があったのは事実です。その事実を真剣に受け止めて、新たな希望と慈しみの関係を大切に作っていかなければなりません。21世紀はアジアの時代だと言われています。そのためには相互理解と寛容の精神を養うためにも「日本帝国主義の犠牲になった国々の作家たちの作品を努めて読むべき」だと先生が言われていることは極めて的を射てると思います。