お盆休み

世間ではいまやお盆休み。というと今年の正月に亡くなったばっぱさんの新盆ということか。本当はばっぱさんがどこかに仕舞っているはずの提灯でも出して飾ってあげなければならないんだろうが、昨日からぶり返した猛暑の中では何をするのも億劫で、我が家のお盆はもう少し涼しくなってからにしよう。
 小高の大田和にある母方の安藤家の墓は、たぶんまだ高線量で行けないだろうが、相馬市にある佐々木家の墓は行こうと思えば行ける。しかしその気力が湧いてこない。いやそんなことより野馬原の側の公園墓地に事故以来一度も行っていない。2002年に帰ってきてからは、毎年必ず美子とこれら三つの墓参りツアー(と呼んでいた)をしていたのだが、よく言う悪い冗談「仏ほっとけ」を地に行く生き方に堕ちたまま、まだ立ち直っていない。
 今日も一度も外に出ないまま、焦熱地獄の中にじっと耐えていた。というのは大きな袈裟を着た言い方で、先ほども言ったようにただ億劫で家の中にこもっていただけ。でもやっぱり美子と一緒に歩けないので、つい出不精になっている。もう少し涼しくなったら、今度こそ美子を車椅子ごと車に載せて外出しよう。
 そんなわけで、今日も手当たり次第のスポット読み。手に取ったのはソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』(木村浩訳、新潮文庫)。実は通して読んだことがない、だからスポット読み。場所を決めるのも面倒臭いので最初の4ページだけ。しかし酷暑の中で読むには格好の場面である。つまり極寒のラーゲリだ。指二本の厚さに氷の張った窓ガラスを通して起床の鐘が弱々しく伝わってくる。囚人の名はシューホフだが、彼が表題のイワンとどういう関係になるのかさえ知らない。ともかく彼の味わっている寒さを感じて…やっぱ無理だわ。
 次はここ数年、私の聖書となっているアントニオ・マチャードの『フアン・デ・マイレーナ』のスポット読み。いま聖書と言ったが、もうだいぶ昔の八王子時代、その時も古本蘇生術に凝っていて、ある日美子に頼んで買ってきてもらったかなり上等な革を使って(美子の古バッグなどの解体が底をついたので)、私の聖書になりたてのその本を装丁したのだ。詩人マチャードの異名者フアン・デ・マイレーナの思索や意見が断片的に書かれた奇妙な作品だが、なぜか惹きつけられてきた。アントニオとフアンの関係は、孝と貞房以上に互いに独立した存在であるが、しかし本質的な点で両者は分かちがたく一体である。以前ペソアをめぐって異名者論に少し踏み入ろうとしたが果たせず、未解決のまま今日になっている。
 すみません、状況説明もないまま変な話題になってきました。このことはもう少し問題を整理してから改めて取り上げることにしましょう。それにしても暑いっすなあー、皆さんも体調管理に気つけてください。


【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉を転載する(2021年4月15日記)。

ソルジェニツィンの愛読者とはかならずしも申せませんが、学生時代に『収容所列島』を一読しました。『イワン・デニソヴィッチの一日』も読んで友人たちとよく語り合ったものです。
マチャードやペソアに関心を持つのはずっと後年のことですが、おかげでポルトガルへ旅したときには、佐々木先生からサウダージ(サウダーデ)の語をめぐってポルトガルとスペインのちがいについてご教示をいただきましたし、いちだんと両国への思いを凝らすきっかけにもなりました。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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お盆休み への4件のフィードバック

  1. H.Y. のコメント:

    「イワン・デニーソヴィチの一日」をお読みになるなら、岩波文庫の染谷茂訳をぜひおすすめします。染谷先生は、ロシア語の泰斗と言われた方で、しかもご自身がハルビン学院教授から終戦間際には日本軍のロシア語教師として徴用されたため、ソ連の戦犯捕虜として、何と最長の11年半のラーゲリ生活を送った方です。シューホフは、イワン・デニーソヴィチの姓です。戦時中やむを得ずドイツ軍の捕虜になったために、ラーゲリ刑をたしか十年食らった囚人ですが、これが典型的なロシアの素朴なナロード。最初の4頁では、朝起きて、ちょっと体調が悪くて、何とか今日の重労働の作業に出たくないと思っている辺りでしょうが、結局零下15度くらいの作業に出て煉瓦積みの作業をしているうちに、素朴な労働者のイワンは、単純な仕事の中にも一種の生きる喜びを感じるようになります。いろいろあって、その日、作業からラーゲリに戻ってから「ああ今日も何とかうまく生きられた、むしろ幸せな一日と言ってもよい日だった」というところで終わるのです。最後もいいし、途中でバプティスト教徒との神についての論争なども面白いです。ロシア文学にしては短いものなので、是非ご一読をおすすめします。私たちの一日も、イワンのそれと同じで、毎日、何とか命を紡いでいるので、なおさら胸にしみます。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    H.Y.さま
     先日いただいたお薬で指が完治したことのご報告とお礼を申し上げないうちに、今日はまた専門家ならではの実に適切な情報とアドバイスありがとうございます。無差別に本を選んでいるようで、実はなんとかこの益体も無い現実の意味を探ろうとしている無意識の自分がいることに気づかせていただいたことに、自分でもびっくりし感動(?)しています。さっそく染谷先生訳をアマゾンで見つけて注文しました。
     ところでシューホフをショーホフなどと間違って表記しましたが、それにしてもそれがイワンの姓だとは思いもしませんでした。デニーソヴィチがそれかなと思ってましたのに。もしかしてそれは父姓でシューホフは母姓? ロシア人の名前は本当に複雑ですね。実はスペイン人の姓も外国人にはちょっと複雑です。つまり父姓と母姓の順で並べるのが原則ですが、時には片方だけ、それも父姓ではなく母姓の表記であったりして。
     ともあれこの暑さの中、どうぞ体調などくずされませんように、しっかり休養なさいますように。

  3. H.Y. のコメント:

    佐々木先生
     ここのところ、猛暑の中、どうしても他人の長い論文を読んでコメントしなければならない宿題があり、モノディアロゴスを少し拝見していませんでした。
     ロシアの名前について一言だけ。イワンはファーストネームです。英語のJohnに相当します。デニーソヴィチは、父姓というもので、これは、父親の名前から作ります。つまり、このイワンの父親はデニスという名前だったわけです。女性の場合も、例えば、アンナ・ペトローヴナとなり、これは、父親の名前がピョートル(英語のPeter)だというわけです。そのほかに、シューホフというファミリーネームがあるのですが、一般に、ファーストネームと父姓、つまりイワン・デニーソヴィチの二つを重ねて使うと、尊敬をこめた言い方になります。「~さん」という感じ。
     自分より目上の人、教師、家族の中でも舅や姑などを呼ぶとき、これを使いますし、作家でも大統領でも、丁寧に呼びかけたり尊敬をこめてその人のことを三人称で話題にする際も使います。英語でいうMr. Mrs.などに相当する単語もあることはあるのですが、あまり使いません。
     というわけで、イワン・デニーソヴィチというのは、素朴なナロードだけど、登場人物の皆からも、また作者からも尊敬をこめてこう呼ばれているわけです。

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    H.Y.さん
     暑いときにお仕事ご苦労さま。これまでもこの時期こんなに暑かったんだろうか、と戸惑ってます。でも美子の体調が元に戻ったので、こちらも頑張らなきゃと思います。
     ロシア人の名前についてのインテンシヴ・レッスンありがとうございます。良く分かりましたが、その複雑さにかえってびっくりしてます。ロシアの小説を読むときには登場人物紹介の栞が必要なわけですね。

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