毅然は偽善

領土問題がどのような解決に向かうのか、それともこのまま混迷の度合いを深めていくのか、それこそ予断をゆるさない。なーんていかにも心配しているかのようだが、ぜーんぜん。あまりに馬鹿げていて、ニュースを追う気にもならない。それでも、昨日は三つの大新聞(といっても発行部数のそれだが)の社説をざっと飛ばし読みをしてみたが、具体的な解決策を提起している新聞などありゃしない。
 簡単な解決法などあるはずもないのは初めから分かっていたことだが、いずれも今後日本の立場を国際社会に広くアピールしていくべきだとか、冷静に法と正義に訴えていくべきだとか…すみません正確な文言を引用すべきでしょうが、そうするのもシンドイので大体の論調をナゾルだけです、…それにしてもまったく出口無しの状態を、それでもあたかも以後になにか事態の好転をもたらすものが控えているかのような言い草、それこそ落語家の常套句、「お後がよろしいようで」を繰り返しているに過ぎない。
 自民党総裁選への候補者たちも異口同音に、この際日米同盟の堅固なところを見せつけなければ、などと言って、いつもの通り親分を担ぎ出すところはいかにも情けないが(彼らの期待を見事裏切ってパレット、いや間違ったパネッタさん、当たり前だが、どちらの味方もしません、などと言っている)彼らの言っているいわゆる強硬姿勢を聞いていると、あんたそれ本気にそう思ってるの? それで解決へ近づくことができるの? とからかいたくもなる。
 政治家たちがなにか問題があると、というより明確な解決策がなくて窮しているときの常套句も気になってしょうがない。「粛々と」? いや今回特に気になっているのは、もう一つの方、そう「毅然として」である。
 わが敬愛する大作家・武田泰淳さんに『政治家の文章』(初め雑誌『世界』に昭和34-35年に連載し、のちに岩波新書としてまとめられる)という面白い文章があり、久しぶりに、といって今までまともに読んだことは無いのだが、書棚から『全集』第13巻を取り出して読み始めた。ところが武田氏の槍玉に上がっている日本の政治家たちは宇垣一成にしても近衛文麿にしても、その思想はともあれなかなかの文章の書き手であり、これなら真剣に渡り合うのも面白いだろうが、最近の政治家の文章など俎板に載せるほどの文章を書く人などどうもいそうもないので、彼らの常套句にイチャモンをつけるだけなのだが…
 「毅然として」、この言葉を聞くたびに、ははーん、やつは明確な方策のないことを誤魔化してるな、と思わざるを得ない。つまり西部劇などの対決場面で、相手のガン捌きがもしかして自分より上かも、ここで抜き合えばヤバイかもと思い、「今回は諸般の事情があってこの勝負は一時お預けとしよう、その時まで逃げるなんてことはするんじゃあねえぞ」などとカッコよく啖呵を切りながら背中を見せて立ち去ろうとするのだが、内心はビクビク、背中は冷や汗ビッショリ、といった図を連想するのだ。もちろんこの場合の相手はガン・マンというより、問題の総体そのものなのだが。「毅然として」、これを英語で言うと resolutely だろうが、人間の本性を辛らつに暴いたアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』で resolute はかく定義されている。「われわれが容認する方向で頑固な」。
 つまり、自らの姿勢を他人がそう見るのではなく、自らを煽り立てながら「毅然として」とか「決然として」と美化するのは、たいていの場合、い日本の政治家の場合は百パーセント、己れの無策と弱さをことさらに誤魔化すための方便であるつまり相手の主張やら意見をひとまずしっかり聞いた上で、それにどの点でどの程度まで折れることができるか、しかも自らの主張と利益をどのようにして相手に認めさせ、納得させられるか、その具体的な智恵を持たない場合の常套句だということである
 言うまでもなく、史上どの領土問題においても、一方がまるまる得することなど、武力をもって封じ込める以外(しかしそれは一時的なもので、かならずツケが、それも結局は大損となって返ってくる)絶対にありえないことだからだ。賢い政治家、外交官なら、どこまでなら譲れるかを実にシビアに計算してから交渉に臨むはず。つまり私の見るところ、双方がそれぞれ面子を立てながら、しかも互いに利益を得るには、当該地域の共同管理しかありえないのである。
 最後ににわか仕立ての格言もどきと、古典的な英語の格言を紹介しよう。

「毅然は偽善に通じる」
「欲張りの丸損」Grasp all, lose all.(欲張って格子から手が抜けなくなったサルの姿が見えてくる)

 領土問題に口を出さないと言いながら、今晩もつい…こんどこそ絶対に口をつぐみましょう。 でも守れないかも…

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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