わずかな冊数の蔵書ではあるが、ときおりまったく見覚えのない本にぶつかることがある。先日もそんな一冊に出くわした。一冊とは言ったが、48ページほどの小冊子、「学問と自由」(Science and Freedom)というイギリス、マンチェスターで1956年に発行された機関誌の第6号である。裏表紙の説明を読むと、1950年、21カ国の作家、芸術家、哲学者、科学者がベルリンに集まった際に設立された委員会で、国籍を問わず学問の自由を脅かすすべての全体主義的な動きと戦う組織の機関誌らしい。
名誉会員として、ベネデット・クローチェ(物故者)、カール・ヤスパース、ジャック・マリタン、ライハルト・ニーバーなど七人の錚々たる学者が名を連ねているが、嬉しいことにスペインのサルバドール・デ・マダリアーガの名もある。
いやそれだけだったら、たぶん捨てるか、あるいは他のバックナンバーの雑誌と一まとめにして本箱の隅にでも放り込んだだろうが、その雑誌に二通の書簡が挟まっていたのである。書簡といっても私信ではなく、世界の知識人宛てのアピールである。一通はこの委員会の議長 George Polanyi のもの、そしてもう一通はハンガリーの大学教授たち連名のものを英語に翻訳した書簡である。
ここでようやく気がついた、これらが書かれた1956年という年があの有名なハンガリー動乱の年であったことを。つまりソ連軍の侵攻の前に束の間の自由を再び奪われたハンガリーの知識人たちの緊急アピールと、それに呼応した委員会が世界中の学者・研究者に向けてハンガリーの危機に対して署名なり書簡で抗議の声を上げて欲しいとの依頼書なのだ。
ただ依然謎なのは、なぜこんな小冊子が我が貞房文庫にあったのか、ということである。最初考えたのは清泉女子大で教えていたころ、先生方に協力するよう渡されたものでは、ということだったが、それにしては年代が早すぎる。だいいち1956年なら、私は教職に就かないどころかまだ高校一年生だ!
では一時期スペインから研究書など取り寄せていたときにマダリアーガの名に引っかかって古書として注文したものか? いやその可能性は薄い。彼の名は執筆者の中にあるのではなく、巻末に名誉会員の一人としてひっそりと記されているだけだし、注文のために見ていたカタログに彼の名が出ていたはずもない。
ただその号の五つの収載論文の中に気になるものはあった。「ガリンデス教授の失踪」というM. イルホという明らかにスペイン系の執筆者のものである。しかしガリンデス教授にもイルホという著者にもまったく思い当たる節がない。でも念のためガリンデス教授という名前をネットで検索してみると、当時ハンガリー動乱に勝るとも劣らないほどスペイン語圏のみならずアメリカにおいても世間の耳目を集めていた大事件の主だったことが分かった。
つまりこのガリンデスという教授は、スペイン共和制時代、バスク自治政府のために尽力していたが、一九三六年のフランコ台頭の結果ドミニカに亡命。その地で初めは独裁者トルヒーリョに重用されていたが、次第に独裁権力へと傾斜していくトルヒーリョと袂を分かってニューヨークに移りコロンビア大学で教職に就く。しかし彼がトルヒ-リョの独裁を批判する論文執筆を知ったトルヒーリョとその一味に命を狙われ、ある日忽然と姿を消したという事件である。
幸い事前に危険を察知したガリンデスは友人に論文を預けていたため、ついに真相が究明されないままではあるが、無事出版され、トルヒーリョ体制に大打撃を与えた。実はこの事件については、外務省出身で1978年には在ドミニカ共和国日本大使を勤めたという前田正裕の『ラテン・アメリカと海』(近代文藝社、1995年)に詳しい経過が書かれていることをネットで知り、さっそくアマゾンに注文して手に入れた。なにをそこまで、とは思ったが、まるでサスペンス映画のように謎めいた事件に興味があったのと、例の魔法の一円で購入できたからである。
ところでこの二日間ほど、ガリンデス事件だけを追っていたわけではない。大半の時間は、実は『モノディアロゴスⅦ』の編集に使っていたのだ。ネット画面だけで編集するのは疲れるので、プリントアウトしたものを本の形にして、それで編集をしている。1ページ15行にしたいのだが、どうしても13行にしかならない。たぶんフォーマットとか何とかのためであろうが、それの解除(?)とかが分からない。しかし段落を固定値にして15行を指定すると、たちどころに15行になった。しかしまだ分からないことがある。つまりいま皆さんがご覧になっている画面の文章をコピーしてワード文書に移すのだが、そのさい行を空けていないのに勝手に行が空いてしまい、強引に字送りしてくっつけると、今度は段落冒頭の一字下げができない。
おやおやずいぶん専門的なことに話が行っちゃいましたが、おそらく「禁制」とかなんとかが関係してるんでしょう。どなたか教えてください。
そんなこんなで過去の文章を読み直していたのですが、これがなかなかいいんですなー(また始まったよ自画自賛)。今のところ今年正月から七月初めまでのもので、三三〇ページという量になっているんですが、中にはもちろん削るものがあって、最終的には310ページくらいにしようと思ってます。大幅に削ったのは、恥を忍んで私家本の宣伝をしたのに注文する人がわずかだったときの「ボヤキ」部分でした。こんな醜態もこのモノディアロゴスの一部なので、そのまま収録しようかな、と思ったのですが、醜態は醜態、さすがに自粛しました。
読み返しているうちにあゝそうだったのか、と分かったことがありました。それは『原発禍を生きる』の中国語版をどなたかお世話していただけないでしょうか、と呼びかけていたからこそ、それを札幌の若松雅迪さんが密かにキャッチなさって李建華・楊晶ご夫妻に働きかけてくださり、それがめでたく実ったということである。
つまり今回も二匹目の「どぜう」を狙って、どなたか「モノディアロゴス」の出版を働きかけていただけませんか、と呼びかけるだけはしておきましょう。今回で七巻目になりますが、もちろんこれまでのものを適当に編集なさって出版することでも構いません。なーんて図々しいお願いまで書いてしまいました。この辺で今晩はやめましょう。
先ほどの1956年の二つの事件の話に戻りますが、ほんとうに言いたかったことは、貞房文庫所蔵のわずかな数の本たちと丁寧に付き合っていると、時には面白い事件やお話にぶつかるということです。つまりこの先、ハンガリーやドミニカに旅したり、あるいはガリンデス誘拐を目論んで密かにニューヨーク港に潜入したドミニカ国籍の謎の貨物船を見に行くことなどできなくても、想像力を少し働かすだけで空間的にも、あるいは時間的にも自由に動き回ることができますぞ、ということでした(ちょっと強引な結論ですが)。
ついでに宣伝を。たぶん今週中に『モノディアロゴスⅦ』は印刷態勢に持っていけると思います。先行予約を本日から受け付けますので、ご希望の方はご連絡下さい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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昨年の震災以前からのモノディアロゴスの読者の方たちからのコメントが良いと思っていましたが、皆さん寡黙な方が多いようですので本を購入する意味を僭越ながら一言言わせてもらいます。
私はまだ一年にも満たない読者の一人ですが、『モノディアロゴス』は全部購入して一通り拝読しました。何が書いてあるかを知るだけならパソコンの中で先生は全てオープンにされていますから、それで事は済みます。しかし、この本は繰り返し読んで、自分で考え、自分が何かを感じるところに醍醐味があると私は思います。
先生はこの本をご自身の遺言だと言われています。ヒルティが晩年に書いた『幸福論』は私の愛読書です。若い時から何度も繰り返し読んでいますが、未だにわからないことだらけです。最近わかってきたのは、この本も何が書いてあるのかを知るのではなく、自分で考え、自分が何かを感じることに意味があるんだとわかってきました。『モノディアロゴス』は私が『幸福論』で感じたものと同じような魅力を持っています。そして、正に人生の正路を歩むためのチチェローネ(道案内)だと思います。論創社さん、行路社さん、出版を検討されてはいかがでしょうか。これからの混沌とした難しい時代に人間が幸せに生きていくための智慧がこの本にはあります。