厄介な習性

 『原発禍を生きる』のスペイン語訳はしばらく前、ハビエルさんのおかげでめでたく完成し、嬉しいことにいまスペイン人ジャーナリスト・作家のラモン・ビラロ(Ramon Vilaró Giralt)さんが序文を書いてくださっているところ。それで今日、訳者ハビエルさんのところに、彼から序文完成のためにさらにいくつかデータが欲しい、とのメールが入った。
 本来なら、すべてが陽の目をみるまで(?)、この種の書き物は公開すべきではないのだが、困ったことにここ数年「モノディアロゴス」執筆の姿勢をとらないことには頭がスムーズに働かないという厄介な習性が身についてしまっている。それでネットに載せる載せないはともかく、少なくとも載せるつもりで以下のように書き出すことにした。
 ハビエルさんが伝えて来た要点は二つ。①ネットその他でこれまで履歴や業績をまとめたものがあるかどうか ②スペインあるいはスペイン文化が私の人生にどのような意味あるいは重要性を持っているか
 さて①についてであるが、昨年スペインの作家ミリャス氏が拙宅に寄られたとき、あわてて自己紹介の文章を書いたことがある。その時のスペイン語原文はパソコンに取り込んだはずだが、今探してもどこにも見当たらない。しかし幸いなことに、『モノディアロゴスⅥ』の十月九日の項に「唐突な自己紹介」として日本語訳(?)を載せておいた。私の下手なスペイン語よりハビエルさんが完全なスペイン語に訳してくださるであろう。
 さて難問は②である。ハビエルさんは5行から10行の文章を求めておられるが、はたしてそんなにうまくまとまるかどうか。ともかく書いてみよう。
 十代中ごろの田舎の若者でも、狭い周囲世界を抜け出してもっと広い世界に目覚め憧れることがある。外国と言えばまず頭に浮かぶのはアメリカやイギリス、文学好きな若者だったらそれにフランスやロシア、広く芸術好きな若者だったらイタリアなどにも目が向いたであろう。しかし私は、なぜかスペインに憧れを持った。それにはたぶんにその当時観たアメリカ映画『誰が為に鐘は鳴る』や珍しくやってきたスペイン映画『汚れなき悪戯』などが影響したのかも知れない。だから当然のように大学ではスペイン語を専攻することにした。
 この調子で行くと長い半生記になりそうなので少し急ぐが、イエズス会経営の上智大学の三年生の秋、急に修道生活が視界に入り、翌年イエズス会の志願者になった。そして卒業と同時に広島にある修練院に飛び込んでしまった。しかし五年目、入会の時もそうだったが退会の決意も突然やってきた。五年間の修道生活を、ふざけて私の「魂の兵役」と呼んだこともあるが、白状すると未だに私にとっては謎の五年間である。おそらくその意味を終生突き止めることのできない謎であり続けるのかも知れない。
 その後、結婚し、男女双子の子をもうけ、いくつかの大学で人間学やスペイン思想を教えた。一応専門はスペイン思想だが、ウナムーノ、オルテガなどの現代思想から、その源流を求めてビトリアやビーベスなどのスペイン人文主義思想に至り、そこに掘り下げるべき貴重な鉱脈を見つけたと思ったが、生来の怠け癖から抜けきれず、いずれも中途半端のまま今日に至ってしまった。
 しかし今回の大震災・原発事故という奈落の底で改めて強く実感したのは、私の人生観・世界観そして価値観の主要な筋道は、曲がりなりにもこれまで関わってきたスペイン思想との対話の中から得たものだということである。だから今回拙著がスペイン語に訳されてスペイン語圏の読者にお目見えするということは、わが魂の第二の故郷への帰還そして恩返しの旅の意味を持っているのである。
 こんなところかな。それではいい機会なので、今回序文を書いてくださるラモン・ビラロ(1945年生まれ)さんの略歴をご紹介する。

新聞記者・作家。ブラッセル、ワシントン、東京での20年に渡る通信員として、日刊紙エルパイスの記事を書く。後にカタルーニャの経済紙シンコ・ディアスから派遣される。ラ・バングアルディアをはじめ現在、エル・ペリオディコ紙と週刊カンビオ16にも配信している。
著書として、『ハンバーガーだけでないアメリカ』『カウボーイのズボン』『ビデオと芸者以外の日本』レポート「ニューヨークとワシントン」、歴史書『大日、フランシスコ・ザビエルの偉業』(訳が平凡社から出ている)『タバコ、カミージャ侯爵の帝国』、随筆『ヤンキーの国、アメリカの断片とスペインの影』などがある。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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