つけまつけるの歌

どういう経緯でそうなったのかは知らないが、今日の午後、愛がジャスモールというショッピング・センターの催し物会場で、他の二人の年少さんと一緒に、キャリーぱみゅぱみゅの「つけまつける」という今はやりの曲に合わせて踊ったそうだ。先日、幼稚園のクリスマス会で踊ったのが好評だったから引きがあったんだろう、なんて爺ちゃんは勝手に推測しているが、果たして真相は?
 踊りそのものは、数日前、夕食後のいわば予行演習で、美子と私は既に見ている。大きなリボン、ピンクのひらひらがいっぱい付いたスカートで、付けまつげの歌に合わせての奇妙なダンスなのだが、身のこなしもなかなかに「切れ」があって、贔屓目かも知れぬがなかなかのものだった。本番では、たしかオシメが外れないSちゃんという三歳児も一緒らしく、想像しただけでもこのSちゃんががっちり笑いを取ってくれるので、バレー仕込みの愛の本格的な踊りはたぶん面白いコントラストだったろう、とこれまた爺ちゃんの妄想である。
 冬休みに入ったら、一度鹿島の仮設老人ホームにいるよっちゃんを訪ねるつもりだったが、今度行くときには頴美と愛が一緒に行ってくれると言う。それで爺ちゃん、いいこと考えた。つまり今日の舞台衣装(胸のところに大きな付けまつげを付けた)を着た愛に、よっちゃんだけでなく他のご老人たちの前でも躍らせることだ。頴美も愛も乗り気になってくれた。即席慰問団の結成である。
 念のため施設に電話してスタッフに明日の予定を聞いてみると、明日の日曜は午後から近くの集会所でクリスマス会をやる予定だという。競合はまずい、ならば明日は止めて火曜あたりに行くので、よっちゃんによろしく伝言頼みます、と言って電話を切った。なんだか、「♪笛に~浮かれて逆立ちすれば~♪」のあの何だっけ? そう角兵衛獅子の親方みたいな気分? おっとそれは古過ぎ、つまり芸能プロダクションの社長みたいな気分になってきました。
 それで「つけまつける」の歌をゆうちゅーぶあたりからテープに録音しようとインターネットを操作中、ついでに『原発禍を生きる』関連の検索もしたところ、とんでもないものにぶつかってしまったのである。何と『原発禍を生きる』の四月十日の「あゝ「想定外」!」が最後の二行を除いて全文、D大学のK学科後期推薦入試の小論文問題に出題されていたのだ。こんな設問になっている。

 資料の文書[A][B]、[A]は、法哲学者でハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏がインターネットを通して行なって、テレビでも放映された国際特別講義での討論を載録したブックレット、[B]は、スペイン思想研究家で元東京純心女子大学教授の佐々木孝氏が福島原発事故後、緊急時避難準備区域内(南相馬市)の自宅での生活を続けながら綴られているブログを載録した書籍から、それぞれ抜粋したものです。今回の震災と原発事故によって顕在化したと思われる日本社会と日本人の特徴について、二つの資料に述べられている見解を比較しつつ論じてください。関連して、日本の教育の在り方についての意見や、大学での学習と生活についての志望を含むことを歓迎します。(なお、[B]の冒頭にある「美子さん」は、佐々木氏のご夫人で病を抱え一人で散歩することも難しい状態とのことです。また、末尾近くの「稟議書(リンギショ)」とは、官庁や会社などで、権限をもつ関係者に回付して承認を得るための書類を指します。)

 先日、論創社の松永さんからこれまでの販売実数を教えてもらい、そのあまりの少なさに茫然自失といった態だったので、今回の入試で何十人(もしかして何人?)かの受験生が拙文と真剣に格闘してくれたことに大いに励まされている。そうっ量じゃなく質で勝負しなっきゃねー、とかなんとか負け惜しみを言ってます。

蛇足
 「キャリーぱみゅぱみゅ」という歌手(タレント?)の名前、どうしても覚えられません。音の響きが可愛いだけで連ねた言葉らしいのですが、特に前の部分、ラッキーだったかメリーだったか、すぐ忘れてしまいます。
 やっぱ純粋な感覚人間にはなれないんでしょうね。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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