異名者

家中の者がいずれもどこか風邪っぽい中、有り難いことに美子だけは元気だったが、一昨日あたりから時おり咳をし痰が絡まるようになった。しかし夏風邪の時のように洟も出ないし熱もない。念のため、夏風邪の時にもらっていた三種の薬を食後に飲ませていたら、今日の午後あたりから咳もしなくなった。明日はデイサービスの日だが、明朝このままだったら行かせようと思っている。学校や勤め先ではなく、看護師もいる施設にお願いするのだから、ある意味で家にいるより安心のはずなのだが…
 ともあれ、我が家は美子の体調如何にすべてがかかっている。長丁場の闘いなのだから、小さな変化に振り回されないようにしたいのだが、何せ一切の意思表示ができない美子なので、これも致し方ないか。
 ところで世の中、年が明けていかなる次第になっているのか。大きな事件は無さそうだ。「なべて世は事もなし」(ロバート・ブラウニング)、「めでたさも中くらいなり おらが春」(一茶)と肯定的な気分になりたいのだが、先日の挨拶文にも書いたように、とてもとてもそういう気分にはなれません。
 そんな中、今年最初の御目文字と思って、『フアン・デ・マイレーナ』を手に取り、いざ読もうとしたが、マチャードはどういう理由で異名者の苗字をマイレーナと名づけたのかが気になりだした。マイレーナ…、ネットで検索してみると、アントニオ・マイレーナというフラメンコの歌い手(カンタンテ)がいて、その祖父は詩人で雄弁家、蓄音機まで発明した人と出ていた。知らないよ、そんな人。
 ここで夜が明け(もちろん眠りましたよ)、美子を無事デイサービスに送り出した。さて昨夜の続きを…
 ともかくマイレーナという名前そのものにはとりわけの意味は無さそうなので、次にフアン・デ・マイレーナそのものを検索すると面白い事実が判明した。つまりその名を冠する文学賞がメキシコにあったのだ。スペイン語版ウィキペディアによるとこうなっている。
 「フアン・デ・マイレーナ文学賞は2008年に創設された。これはグワダラハーラ大学、もっと正確に言うと、毎年七月に一週間のあいだ開催されるグワダラハーラ夏の詩祭委員会が、詩人や教師、編集者や詩の翻訳家などその年に功績のあった人に授ける賞である。受賞者に賞金は出ないが、あらかじめ委託注文された彫刻作品が与えられる」とある。そして四人の過去の受賞者の名がそれに続く。
 A.マチャードが創作した架空の人物が文学賞のタイトルになっているわけだ。こんな賞なら私もエントリーしたいが、外国人は無理か。いやそんなことよりもその資格有り、などと何を考えとるのか、君は。
 ただこの賞の説明文に「アントニオ・マチャードの作中人物で同名異人(homónimo)のフアン・デ・マイレーナ」となっているのは、明らかな間違いではなかろうか。つまりフアン・デ・マイレーナは、A・マチャードの異名者(heterónimo)と言うべきではないだろうか。うるさいことを言うようだが、これが大事なポイントなのだ。
 スペイン語版ウィキペディアもなかなか充実しているな、と思わせるのは、まさにその異名者についての項目がすでに用意されていることである。
 つまり異名者(heterónimo)の heteró はギリシア語の「異」表す言葉、nimo は同じくギリシャ語の「名」を示す語から来ているといった語源の説明から入って、それが「ペンネーム(seudónimo)」とどう違うか、を説明する。そして複数の異名者を介して作品を生んだ作家としてポルトガルのフェルナンド・ペソアを挙げ、そしてスペインの作家としてA. マチャードを挙げているのだ。まさに私がここ数年追い求めてきたのとまったく同じ道筋で異名者のテーマに迫っている人が(誰かは匿名なので分からないが)いたのである。
 さらに検索していくと、「なぜフアン・デ・マイレーナか?」というD. タボアーデ・バレラという人の長文の論文が見つかった。冒頭、「フアン・デ・マイレーナ以上に深く、そしてラディカルに考えることを私に教えてくれた人はいない、彼はこの悲喜劇的な国 [スペインのことらしい] のすべてのリベラルな人の中で、おそらくもっともリベラルな人物である」というバスケス・モンタルバンの言葉を引用している。
 何? モンタルバン? どういう経路で求めたのかもはや不明だが、ごく最近、この作家の『楽園を求めた男』(田部武光訳、創元推理文庫、1985年)をアマゾンから購入したことを思い出したのである。二階の書棚から急いで持ってきてみる。私と同じ1939年生まれの、現在もっとも人気のあるスペインの推理小説作家である。逢坂剛氏の解説によると、彼は小説だけでなく詩やエッセイも書き、テレビ、ラジオの討論番組に出たり新聞に論説を書いたり、という売れっ子作家で、主人公の探偵ペペ・カルバイヨは「ウナムノやオルテガ・イ・ガセットを生んだスペインらしい哲学的な、屈折した性格を与えられている」という。
 時間を見つけて(時間ならいくらでもあるが、要は気力)読んでみようか。いやその前にタボアーデさんが何を言っているのかを紹介しなければならないが、年初めの仕事(?)として今日はこれで充分、続きはまた明日にでも(ラテン・アメリカの人が言う「アスタ・マニャーナ」つまり永遠に来ない明日になるかも)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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