生きる覚悟

マドリードのRさんからのメールで、どこかのメルマガが「南相馬特集」というものをやっていることを知り、覗いてみた。見ていくうち、英語で「一人生きる男」というような意味のタイトルのユーチューブの動画があった。富岡町(?)でダチョウや牛たちの世話をしながらひとり生きている男の話だ。変な言い方かも知れないが、何とカッコイイ男!と思った。いや確かに「いい男」の顔だ。いまテレビで「イケメン」と言われる男たちの、ただ顔立ちがキレイなだけで、内容のない薄っぺらな男たちとはまるで違う五十台の「いい男」の顔をしている。埴谷雄高先輩なら、ビクター・マチュアや花田清輝並みのいい男と言ったかも知れない。何、そんな人知らない? じゃネットで調べてみて、すぐ出てくるよ。
 しかし残念ながら彼が何を言っているのか、早口でなまりが強いせいか良くは分からなかった。しかし大体の内容はこんなもんだったろう。つまり避難するリスクと留まるリスクとを比べたら、前者の方が大きい。だったら残って可哀相な動物たちの世話をした方がいい。放射能のせいで自分に病気が発症するとしても、それは何十年も先のこと、その前にこっちが死んでいる。
 彼がなぜ「いい顔」をしているのか、すぐ分かった。彼には「生きる覚悟」が出来ているからだ。ということは、つまり「死ぬ覚悟」が出来ているということ。
 放置されていた子牛の話は哀切きわまりない。がりがりに痩せた仔牛が母牛に乳をせがんで近づくと、母牛の方ではそれが辛くて邪険に追い払う。それでも仔牛はめげずに二度、三度と母牛に近づく。母牛はとうとう仔牛を蹴って遠ざける。諦めた仔牛が、軒先に吊るされたロープの先端が母牛の乳首に見えたのか、それをちゅーちゅーしゃぶり始める。
 あの男は家畜は屠殺すべしというお上の指令に従わずに、最後まで牛の面倒をみるつもりらしい。日本にもこんな男が一人でもいたことに救われる思いがした。実は先日、もう直ぐ出版される拙著のスペイン語版表紙絵を担当した建築家でイラストレーターのエバ・バスケスさんが、昨年来日した時に日本人は協調の精神において秀で、目標に向かって一丸となる(como una piña todos juntos hacia algo bueno)国民との好印象を持ったけど、プロフェッソールはそんな日本人に点数が辛すぎないか、と書いてきた。ありがたいような日本人観で反論するのは申し訳ないが、でもその同じ日本人は非常時や逆境になると自分で考えることをせず、付和雷同の民に成り下がってしまう、と説明しようとして止めた。
 でもこの富岡町の男のような人間がいまの日本人の中に何人いるだろうかと考えたとたん悲しくなった。動画の途中で、例のK助教が出て来て、そんな危険なところで生活するなんて信じられない、なんてコメントをのたもうていたが、そうだろ、そうだろ、あんたには金輪際分からないだろう、あんたは科学的数値のままに、ただそれだけを生きる基準にして生きてるんだからな、数値なんて糞食らえと思う男の心などけっして理解できないだろうな、と思った。
 こんな男が百人中二人、つまり2%いたら、液状化した日本人社会に打ち込まれたパイルのように、日本も少しはマシな国になるのだが。
そういえば、貞房だって被災地に留まった男として報じられてきたのでは? いやいやとんでもない、一人ではないっす。家内がいたから留まったんで、一人ではとても…でももしベコ飼ってたら、留まったかも。
 実はこの文章、朝方書き始めたときには、どんどん怒りが、悲しみが込み上げてきて、一篇の文章には収まりきれないな、と思ったが、昼飯を食べ、昼寝をし、買い物に出かけたりしているうちに、昂ぶっていた気持ちがみるみる萎んでしまい、結果、以上のような文章になってしまった。でもあの男への熱い共感は一時の感情ではなく、いまもそれは続いている。正確なデータを得るにはもう一度動画を見るべきかも知れないが、それは止めた。あの男が今日もベコたちの面倒をみながら、元気に暮らしていることを祈るだけだ。
 ところでエバさんだが、先日来話してきた例の企て(はかりごと)に共感してくれ、仲間(同盟者)になってくれるとのこと。だから初めから敬語を使うのをやめた。とりあえずモノディアロゴスの中から、スペインやスペイン文化について書いたものを貞房が編集し、Rさんが訳し、それをエバさんのイラストが飾るような本を考えたが、しかし今日の富岡の男のことがあったので、その前にもう一冊(いったい何冊出すつもり?)、原発事故後のさまざまな思いを書いた文章を集めたものを作ってもいいかな、と思い始めている。他の同盟者たち(aliadas)に相談してみよう。
 最後にエバさんの作品をぜひご覧いただきたい。以下二つのサイトを訪ねてください。


Eva Vázquez

Eva Vazquez dibujos
http://evavazquezblog.blogspot.com.es/

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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