『死の棘』再読(再評価)

先日、鄭周河写真展でのギャラリートークで、政治にしろ文学にしろ、3.11以後、果たして従来の見方・対し方のままでいいのだろうか、いやいいはずがない、根本からの見直しが必要だ、と勇ましいこと言った。で、お前はどうなんだ、どう具体的に変わったんだ、という恐ろしい問いかけを自らにはしないまま今日に至っている。
 ところが今日、それが急に気になりだした。そしてそのときまずいものが眼に入ってしまった。島尾敏雄の『死の棘』である。いくつか別の版があるが、たまたま目に入ったのは、自家製の装丁を施した新潮文庫版である。昨夏の(だったかな?)紙魚騒動の際に下の部分が薄く綺麗に喰われた文庫本である。実は大震災前まで小高の浮舟文化会館で毎月一回やっていた文学講座でも読み直す気にはどうしてもなれず、話の対象としては注意深く避けてきた作品である。
 しかし今回は、3.11以後という問題設定もさることながら、例の企てのことが頭にあるためか、スペイン語に翻訳するとしたらどうか、という視点も加わってしまった。つまり自分のもののスペイン語訳よりも、これをスペインの読者に紹介してはどうか、などという余計な考えが加わってしまったわけだ。それには伏線があった。昨日だったか何気なく観ていたテレビ画面に、村上春樹の新作が飛ぶように売れているニュースが流れたのだ。まるでテレビゲームの新作ソフトやスマホ(と言うんでしたっけ?)の新機種に行列が出来るような具合に。へーそんなもんなんだ、と鼻白んでしまった。つまり本当の文学とはどんなものか、声を上げたく(?)なったのである。
 例のギャラリートークでも南相馬は単なる被災地ではなく、埴谷雄高や島尾敏雄を生んだ町でもあることをあまねく世界に知らせるべきだ、などとこれまた勇ましいことを言ったばかり。で、それでさっそく豪華な総革張り美本に変身している『死霊』も引っ張り出してきた。ただしこちらは『死の棘』のあとに取り上げよう。
 待てよ、南相馬ゆかりのこの二人の作家の代表作の題名にも注意すべきではないか。つまり共通している「死」という言葉である。いや共通するのは題名だけではない。二つとも「日本文学大賞」受賞作(それがどんな賞なのか詳しいことは知らないが)であり、二つとも書き出されてから完成するまで(といっても『死霊』は未完だが)長い年月がかかっている…つまりです、それぞれ追い求めている主題は異なるが、二つとも根源からの問いかけをしている作品であり、3.11以後に改めて読むべき作品であり、文学とは何かという喫緊の問題を考えるためのまさに格好の作品ではないか。
 そう、でもひとまず『死の棘』である。作者が貞房氏と血の繋がりがあるということもあって、これまでどうしてもこの作品を適正な距離を置いて読むことができないできた、とまずは白状しなければなるまい。しかし3.11を経たいま、これまでとは違った読み方が出来そうに思えてきたのである。要するに、確かこの作品は深刻な読み方をするより、一種独特なユーモアに満ちた作品として読むべきでは、などと文学講座で言ったことはあったが、それに確信があったわけではない。やたら深刻で暗い作品、読み通すにはシンドイ作品という通念を覆すまでの手がかりを見つけられないままに来たわけだ。
 しかし今ぱらぱらと部分読みをしただけでも、この作品がいわば実生活の実況報告という日本独特の「私小説」とは明らかに違う文体で書かれていることに改めて気づかされた。つまりここに描かれている「事件」から長い年月を経て、作者の頭の中で充分な「読み直し」をされた上での叙述となっていること、またこれまでは分からなかった意表外のすばやい場面転換や思い切った省略がなされていることにも驚いた(欧文脈への翻訳の際、その処理が意外に難しいかも知れない)。
 今回の再読は、もしかすると純粋な(?)読み方ではなく、かなり翻訳家の、もっと言えば編集者の読み方が混じっているようだ。その証拠に、あゝここにエバさんの挿絵が欲しいな、ここには小栗康平監督『死の棘』の一場面をデフォルメしたカットがあれば、などと思いながら読んでいるからだ。
 そう、小栗監督の映画(白状すると、私自身は彼の『泥の河』よりも低い点をつけている)がカンヌ映画祭で「グランプリ・カンヌ1990」「国際批評家連盟賞」をダブル受賞したことや、日本でも芸術選奨文部大臣賞、キネマ旬報、毎日映画コンクール、日本アカデミー賞等の主演賞を松坂慶子・岸部一徳が独占したことなどなど、スペイン語版のための追い風になるだろう。
 改めて考えるまでも無く、もしもこの『死の棘』スペイン語版の「たくらみ」が万が一動き出したとしたら、これまた原発禍が一つのきっかけとなって「紡がれ」た「想い」の輪には違いない。さてどうなるか、少し風を起こしてみようか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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『死の棘』再読(再評価) への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     今日から埼玉県東松山市にある原爆の図丸木美術館で鄭周河写真展が開催されることを先生のお知らせの中で知り、午後2時から鄭氏と東海林牧師のトークショーがあるので是非ご本人と直に会って肉声を聞いてみたかったので行って来ました。

     東海林牧師が「自分の弱さを受け入れること」の大切さをご自身の人間としての弱さを俎上に載せて話されていたのが強く印象に残りました。最後に質疑応答で「自分の弱さを受け入れる」とは自然と調和して生きることですかという私の解釈に対して頷いてくださいました。

     たくさんの柿の実が地上に散乱している鄭氏の写真がありました。収穫期なのに誰も柿を見向きもしない一枚の写真と、それでも秋になれば柿は実っていく自然の摂理。多くの実りあるひと時を過ごしました。

     

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