ここらでちょっと(二)

明日話を続けます、などと言った手前、実は未だ自分の中で固まっていないことを話す羽目になってしまいました。いや、もともとこの「モノディアロゴス」自体、当初から未だ具体的に固まっていない想念をとりあえずは書いてみる、もっと正確に言えば、書きながら考えていく態のものでした。
 で、ぶっちゃけた話、実はこのところ、私自身の来し方行く末をつらつら考えていたのであります。きっかけは、『原発禍を生きる』のスペイン語版やそれを紹介したスペインテレビを見ているうち、佐々木孝という人間が世間的には「イスパニスタ [スペイン文学研究者]」として分類されていること、それも恥ずかしいことに「第一級の」などの形容詞が付けられていたことです。もちろんそれは一種の外交辞令なのですが、妙に気になってきました。 といって遁辞はいつも用意しておりました。たとえばスペイン語訳の最後にある「自画像」の中では、「私の専門はウナムーノ、オルテガなど現代思想であり、それらの源流ともいうべきビトリアやビーベスの人文思想にも大いに関心を持って迫ろうとはしたのですが、しかし <生来の怠けぐせ> が災いして最後の詰めを怠って来ました」などと断ってはいるのです。
 そんな折もおり、昨日、急に思い立って、それら放り出したままのスペイン思想研究のうちの一つ『内側からビーベスを求めて』を読み始めました。これには大学紀要などに断続的に書いた四つの論考が収録されています。私家本にしてから読み直すのは初めてです。そして自分で言うのも変ですが(いや本当に)、これがなかなかいいのであります。エラスムス、モア、ビュデと並んでヨーロッパ人文主義の四大高峰と称えられたビーベスの人と思想を主に彼の書簡、そして彼宛てのエラスムスやモアの書簡などから解明しようとしたなかなかの力作なのです。これを未完のままにしておくのはいかにも勿体無い。
 かといって、今さら研究論文を書く、たとえばビーベス論の(五)を書き加えるというのもためらわれます。つまりもう少し若かったら、手元にあってまだ読んでも使ってもこなかった研究資料を駆使して、ビーベス論を一応の完結まで持っていくことも出来ましょう。しかしいかんせん、限られた時間の中でやらなければならないことが山積してます、たとえば?、たとえば日本や世界から原発や核兵器が無くなるための運動、運動たって美子の介護があるから、せいぜい文章を書いたり共鳴者と連絡しあったりすることですが…
 そんなときです、マドリードの■さんを通じて、ローマのイエズス会のニコラス総長に献呈した拙著のスペイン語版に対して、実にていねいなメールのお返事が届いたのは。確かにかつては同じ釜の飯を食べた尊敬すべき先輩ではあります。しかし今は文字通り雲の上の存在、全世界二万人のイエズス会士の頂点に立つ方です。返礼があったとしても秘書官を通じての公的文書みたいなものだろうと思っていました。それが個人的なメールで、しかも「親愛なるタカシ」と呼びかけてくださったのです。私が原発事故の被災民になっていたとはご存知なかったようで大変びっくりなさり、しかもしっかり本を読んでくださった上での礼状であることのはっきり分かる文面でした。
 急いで返事を書きました。以前から私の終生の恩師であった、そして今もそうである故メンディサーバル神父の純粋で高潔な徳を、そしてイグナチオの精神を、忠実に引き継ぐのはニコラス神父さんだと思っていたので、2008年、総長に選出されたときは心から喜んだこと、そして現代は大変化の時代であるという意味で、イグナチオやビーベス(ちなみに両者は新世界発見の年1492年に相前後して生れた全くの同時代人である)の時代に似た時代であり、このような時代に総長という難しい役に就かれた神父さんは必ずやカトリック教会だけでなく世界のためにも良き仕事をなさると確信している、私も老骨に鞭打って、世界平和のため、とりわけ原発や核兵器の無い世界が来るよう頑張るつもりです。これからも時々神父さん宛てにお手紙書きたいと思いますが、さぞかし大変ご多忙な毎日と思いますので、お返事など心配なさいませんように、と書き送ったのです。ところがすぐ折り返し、お返事が遅れたとしたら、それは旅行か仕事が溜まっているためですので、どうぞこれから遠慮しないでぜひお考えなど聞かせて下さい、そして日本語はまだ読めますので、時には日本語で書かれても一向に構いませんよ、との嬉しいお返事でした。
  さあ、思ってもみなかった展開です。つまり私としては、この小さなブログの場を使って、ニコラス総長に、世界平和や原発・核兵器ゼロの世界実現のための貧しい思索を、いわば公開書簡のような形で書かせてもらえないだろうか、と考え始めたのです。それには伏線として、ビーベス論と同時に読み始めたエラスムスの『平和の訴え』(箕輪三郎訳、岩波文庫、1991年、弟7刷)のことが頭にありました。ビーベスとも親しかったエラスムスが「いとも令名高きユトレヒトのフィリップ司教猊下」に宛てた書簡です。
 自らをエラスムスに擬えようなどとは不逞な考えですが、でもユトレヒトの司教よりもはるかに影響力をお持ちのイエズス会総長に書簡が送れるというこの千載一遇の機会を見逃すというのは、それこそ「平和の神」に申し訳が立たないほどの……
(唐突ではありますが、老体にはきつい真夜中です、シンデレラさえ十二時を回ったら急いでカボチャの馬車でご帰宅、この私めも続きはまた明日ということにしてここらで退場いたします)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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