さはさりながら

先日は、私が元気かどうかなど気にしてる人は十指に満たないだろうなどと、いささか拗ねた言い方をしましたが、その後、何人かの方から、いつも密かに(?)読んでます、というメールがあり、急に元気が出てきました。
 といって、正直言いますと、昨日愛たち三人が中国に里帰りの旅に出まして(八月九日まで)、一年半ぶりに家内と二人だけの生活に戻り、少し(ですかー?)淋しくなってしまいました。トイレの世話などとても一人では無理なので、毎週入浴サービスでお世話になっている「まことケア」にお願いして、毎日昼食後に来ていただくことにしました。今日がその初日なのですが、さてうまくいきますでしょうか。というのは毎週デイ・サービスでもトイレに連れて行ってもらうのですが、これまで一度も成功したことが無いからです。その日は夕食後に頴美たちにいつものようにトイレに連れてってもらうのですが、どうしたわけか、かならずその日は出ません。翌日からまたふだんのペースに戻りますが。
  美子は何も分からないようでいて、意外といろんなことを識別しているようなのであります。
  いやいや、近況報告が終末論(?)に終始して申し訳ありません。本当に言いたかったことは(もちろん私にとって終末論的問題は最重要なことなのですが)、例のニコラス総会長宛ての書簡の前に急遽、もう一つ重要な書簡を書きたくなったのであります。先日お話したように、宜野湾市佐喜眞美術館の■さんが拙宅を訪ねてくださったのですが、その折の彼女との、まるで旧知の間柄のような熱のこもったお話し合いのあと、どうしても鄭周河さんや、写真展を訪れてくださるすべての人にメッセージを送りたくなったのです。つまりオキナワの佐喜眞美術館での写真展開催の意義と重要性についての私なりの考えを改めてお伝えしたくなったのです。
 ■さんのお話ですと、最後の開催地と思ってました佐喜眞の後に他の美術館が名乗りをあげているとか、できれがこうして日本中次々と開催していって欲しいですね。 それはともかく、何とか一両日中にその書簡を書くつもりなので、愛たち不在の寂しさなどを言ってる場合じゃありません。さはさりながら……まっ頑張ります。おそらくアホらしい結果が出る参院選など犬にでも喰われっちまえ!(棄権はしませんよ)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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さはさりながら への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     原発問題は人間の欲望と自然の摂理(万物のあるべき姿)とが噛み合わないところに原因があるように思います。ある意味、人間とは何ぞやということへの問いかけなのかも知れません。自然の摂理を無視して、人間の欲望だけが一人歩きしてしまっている。つまり、人間の欲望を自然の摂理の権化ともいうべき人間の肉体(先生は以前モノディアロゴスで「愚かな兄弟」と言われていたのを思い出しました)と歩調を合わせて調和できるように調節することが大切だと思います。日本だけでなく世界的に、この調節(加減の方が適切かも知れません)機能をどうすれば正常に作動できるのか。先生が言われる「魂の重心」の問題が鍵ではないかと、ふと感じました。そして、2002年11月6日「ストップ・ザ・コンビニ」の中で先生がこんなことを言われていました。

     「昔の聖人たちはこの肉体を指して『愚かな兄弟』とうまいことを言った。たしかに愚鈍で弱虫で見栄っ張りで根性無しかも知れないが、しかし生きている限りこの兄弟を道連れにするしかない。便利さもいいが、この愚かな兄弟をないがしろにすることだけは避けたいものである」

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