国民文学、そしてザビエル

現在の『八重の桜』に限らず、いわゆる大河ドラマと言われるものはほとんど、いやまったく見たことがないが、それらの原作に使われるような小説を指して「国民文学」というのだろうか。どんな作家がいたか、ネットで調べれば直ぐ出てくるだろうが面倒なので、とりあえず私の記憶に残っている作家だけでも挙げてみれば、吉川英治、海音寺潮五郎、大仏次郎、最近では司馬遼太郎…多くの人に読まれた作家たちだが、ならば大衆小説とどう違うか。どうも違うようだ。「純文学」などの場合と同じく、もともとはっきりした定義づけは不可能な区分なんだろう。ちなみに手元にある「ブリタニカ国際大百科事典」ではこうなっている。

 「一国の国民性または国民文化の表れた独特の文学、あるいは近代国民国家成立に伴ってつくられた文学…しかしそれは国粋主義的で排他的な民族性の表現ではなく、普遍性をもち、そのまま世界文学としても通用する文学…」

 予想通り分かったようで分からない定義である。つまりそれならどれを国民文学と言いどれを国民文学とは言わないか、などと突き詰めていくと途端に線引きが難しくなる。
 それはともかく、このごろずっとその国民文学と言われているものにハマっている。いま吉川英治の『宮本武蔵』全8巻の、その最終巻を読み始めたところである。このあと、同じく吉川英治の『私本太平記』、『親鸞』さらには大仏次郎の『鞍馬天狗』、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』など布で装丁し直された合本が読まれるのを待っている。だがこうして読み進むうち、それら小説の時代背景、つまり歴史に関して自分がほとんど無知であることを思い知らされている。それで本箱の隅に押し込められていた『中公・日本の歴史』全26巻、別巻全6巻を急いで引っ張り出してきた。購入時の記憶は無いが、おそらく八王子から原町に越してきたあと、アマゾンから古本で取り寄せたものであろう。だが全く読んだ形跡がない。
 外箱は図書館並みにすべて外してしまっているので(他の本の表紙に流用する)、少し暗がりだと小さな金色の背文字が老眼には見えにくく、そのためすべてにパソコンで題字を印刷して貼り付けた。それでいま手元に第12巻『天下一統(林家辰三郎)』と第13巻『江戸開府(辻達也)』を置き、必要に応じて該当箇所を拾い読みしている。
 その同じ流れで、そして日本―スペイン交流四百周年の起点に当たる当時の日本を知るために、どうしてもキリスト教伝来の史実を詳しく知ろうとして、先日題名だけ触れた『聖フランシスコ・デ・サビエル書簡抄』(岩波文庫、1949年)上下二巻も読み始めたのである。実はいつものように、ここまでが長ーい前置き。
 さてこの文庫本は「サビエル訪日四百年記念出版」すなわち1949年発行の特製本・非売品である。イエズス会用に特注したのであろうか。だが60年以上も前のものなので黄ばみが激しく、老眼にはちときつい。それで急遽アマゾンから同じものを安価で取り寄せ(ついでにルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』も一緒に)、計3冊を合本にしてそれを読むことにした。ところが話は相前後するが、それらをアマゾンから取り寄せる前に先の特製本をあわてて合本にし、ハンケチの切れ端で装丁し直してしまったのである。緑色の布表紙の古色蒼然たる古本だったが、むしろそのままにしておいた方が良かったと後悔している。というのも、それが特製本・非売品だけであるならともかく、巻末に「一九六一年五月十八日、ディエス神父様よりいただく」との書き込みが見つかったからだ。つまりもらい物だったわけ。
 一九六一年五月というと大学四年生のときだ。つまりイスパニア語学科の学生のまま、イエズス会の志願者として、それまで暮していた初台教会裏のレデンプトール修道会経営学生寮から上智大キャンパス内の学生寮に移って間もない時期である。この文庫本は当時舎監だったディエス神父が志願者になった私にお祝いとしてくれたものらしい。だから記念品として当時のままの姿でとっておくべきだったわけだ。
 それはともかく、この書簡抄にも読んだ形跡がない。翌年には晴れて(?)広島の修練院での都合三年間の修行(後に「魂の兵役」と呼んだ)を始め、その後東京に戻って二年間の哲学の勉強、そして思うところあって(便利な言葉だ)還俗し、故郷に戻って…あとは面倒なので省略するが、その間ずっと今日まで持ち歩いていたわけだが、きちんと読むのは今回が初めてなのだ。
 ところでディアス神父のその後のことが気になりネットで追跡したところ、2005年マドリードの病院で80歳の生涯を閉じたことが分かった。(R. I. P. 安らかに憩わんことを!)。寮の催しなどで請われるままに嬉しそうに藤山一郎真っ青の美声で「長崎の鐘」を歌った神父さんの姿を今でもはっきり覚えている。神父さんは耳が遠いのか、それとも寮生たちのいかなる密談をも聞き逃すまいとしてか、夜間、寮の廊下をボリュームいっぱいに上げた補聴器をつけて巡回しているという噂が立ったこともある。
 ついでにもうひとつ補足。今回分かったことだが、特製本は普通の版と違って、上下とも巻頭にサビエル家の紋章らしきものが挟み込まれている。いま紋章といったがアトンドとかアスピルクエタとか、ナバラ地方の地名らしき文字が四つほど並んでいるので、かつてのナバラ王国自体の紋章かも分からない。サビエルについては、ハビエルさん(つまり現代のサビエルさんだ)が沖縄に行く前に送ってくれた大型上下二巻本(それぞれ250ページほどの)がある。こちらはサビエル生誕五百年、つまり2006年にナバラ自治州政府が発行したもので、ザビエルの足跡を写真入りでたどった豪華本、日本の部分をハビエルさんが執筆している。それで例の紋章の写真でもないかと探してみたが見つからない。
 ところで先ほどはナバラ王国、そして今はナバラ自治州と言ったが、要するにスペインという国はかつての諸王国時代ばかりか現在もなお、日本とは比較にならぬほど地方自治が突出している国なのだ。中央政府からすれば、特にカタルーニャやバスクは自治に留まらず絶えず分離独立への傾向を強めている危険地帯に見えるはずだ。ナバラもそれら二州に次いでそうした遠心力の強い州で、イエズス会創立者のロヨラのイグナチオもその盟友で日本に初めてキリスト教を伝えたザベリオもスペイン人つまりイスパニア人ではなく、前者はバスク・ロヨラ城主の息子、後者はナバラ王国の首相の息子で、人種的には共にバスク人なのだ。(1980年夏、家族四人でレンタカーの旅の途中、今もほとんど往時のまま残っているサビエル城を訪ねたことも懐かしい思い出となった。)
 実はサビエルがナバラの人であったことが今回の四百周年と微妙に絡んでくる。つまり歴史的正確さを期するなら、ザビエルはイスパニア人ではなくあくまでナバラ人であり、1549年に日本にやってきたのも、イスパニア王ではなくポルトガル王ジョアン三世の求めに応じてのものだった。だから今回の四百周年というネーミングもあながち間違いではないのだが、しかしだとしても、支倉常長の慶長遣欧使節も日本国というより仙台藩主伊達政宗が派遣したものだから、ネーミングとしてはやはり正確ではないと言うことになってしまう。
 しかしいずれにせよ、今回の日本・スペイン交流四百周年の催し自体は意義深いことに変わりがあろうはずもないので、この問題はこれ以上触れない。しかしその出会いから四百年目の今日、ただその出会いの事実を想起するだけでは意味がなく、以後四百年の間に両国がいかなる歴史を閲してきたか、それをこの機会に総括もせず、ただ経済的な関係を深めようとするだけでは意味を成さないとだけは言っておきたい。ただしこの問題は、数日後に迫った或る約束原稿の内容に関わることなので、その問題を整理するためにも稿を改めて考えてみたい。
 今回は(も)長すぎる前置き、さして統一のないいくつかの話題のてんこ盛りに終始したが、しかしこれもまた人生に似ている。あっそうだ、最初話題にした「国民文学」の一つの特徴も、このように(?)一見互いに関係なさそうないくつかのエピソードが語られ、それが意表外の時と所で輻輳(ふくそう)して一気に太い流れになることであろう。てなことを言いながら、当方の支離滅裂を糊塗するようだが、でも私の中でそのうちこれらのばらばらの流れが一気にその輪郭を明瞭にする日が来ることを願ってはいます。いましばらくの辛抱。と言って、誰もそんな期待を寄せてはいないので、気楽ではありますが、はい。
 しつこいようだが、も一つ補足させてもらえば、これら一連の迷走も、原発禍を生きるうえで、今さらながらだが、日本とは、日本文化とは、日本人とは何か、を改めて考えてみようという思いゆえのことなのだ。語るに落ちる蛇足ではあるが。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

国民文学、そしてザビエル への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     十月十二日の「こころの時代」で青山俊薫さんという尼僧の方がこんなことを言われていたのを覚えてます。

     「一つのことを考えて、熟するまで続けることが大切です。自覚するとは、そういうことです」

     先が言われている「一見互いに関係なさそうないくつかのエピソードが語られ、それが意表外の時と所で輻輳して一気に太い流れになる。私の中でそのうちこれらのばらばらの流れが一気にその輪郭を明瞭にする」ということを考えていましたら、青山さんの言葉が思い浮かびました。

     アインシュタインが『物理学はいかに創られたか』の中でこんなことを言ってます。

     「コナン・ドイルの名作以来、どの探偵小説にも大概は、探偵が少なくとも問題のある方向に関しては、必要なだけの事実をことごとく集めてしまう箇所があります。これらの事実は多くの場合に、まったく異様な、支離滅裂な、何の関係もないもののように見えます。しかし名探偵は、その時はもうそれ以上の調査は不必要で、ただ思索のみがその集められた事実を関連づけるものだということを知っているのです」

     先生、青山さん、アインシュタインの言われていることを考えると、様々な断片の中から何かを思索すること、その思索力を養うことの必要性を私は感じました。

  2. 阿部修義 のコメント:

     青山俊薫と書きましたが青山俊董(あおやま しゅんどう)さんです。訂正させていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください