ウィルファB原発

震災後、我が陋屋にさまざまな国からの客人をお迎えしたが、昨日はとうとうイギリスはウェールズ地方からの珍客のご来駕である。もっとも今回は、初めから私に会いにいらしたのではなく、すぐ隣りのカトリック教会の狩浦神父さんからいわば任された形での面会であった。
 反原発運動をされている方と聞いていただけだったが、教会脇に駐車した車から降りてこられたのは何と五人。時刻はちょうど約束の四時、寒風が吹いてあたりは暗くなりかかっていた。折悪しく神父さんはお留守なので教会ではなく直接我が家にご案内することにした。美子はいつものように長い昼寝の最中。
 さて明るい電灯の下で、改めてのご挨拶。遠来のお客は、PAWB のメンバーであるカール・クラウス医師とその息子さん、そして逗子在住の建築士・長島孝一ご夫妻と案内役の若い女の方(お名前を聞きそびれてしまった)。
 PAWB とは People Against Wylfa B の略語、つまり「ウィルファB原発に抗議する市民の集い」とのこと。いつものことながら不勉強で、あのウェールズに原発があることも知らなかった。その時も「あのウェールズに」とつい口にも出したが、その名を聞いて真っ先に思い浮かべた映画があったからだ。そう言えば原発事故直後の四月二十七日、このブログでその映画のことに触れていた。

 「むかしジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』という映画があった。モーリン・オハラ、ウォルター・ピジョン主演の、炭鉱夫の一家を描いた名画である。度重なる落盤事故にも拘わらず働かざるを得ない貧しくも誇り高い一家の物語であるが、原発事故で犠牲になるのは現場で働く人たち(危険な作業は協力社員つまり下請け社員)だけではない、その周囲20キロ、30キロ、いやいやそれですまなく、地域によっては50キロ近くのところまで被害が及ぶ。しかもその最終的な解決に何十年もかかる惨事となるのだ。」

 何たる偶然、いや何と悲しい現実だろう! つまりあの美しい緑の谷の近くにも原発があったこともそうだが、それが来年廃炉になるのを受けて、なんと日本企業が新しい原発を作るというのだ。福島原発事故がまだ収束にもほど遠いというのに、トルコその他へ早々と原発輸出を進めている安倍政権の破廉恥行為についてこれまでも抗議してきたが、臆面もなくその政策を更に拡張しようとしているわけだ。自国の原発再稼動への反対表明の声は聞こえてくるが、原発輸出に対する反対運動についてはあまり耳にしない。それを求める相手側がおり、それを請け負うのが民間会社であるという仕組みがあるにしろ、もちろんそれは国策に沿った行為であることには変わりがないというのに。
 ともかく正確な事実を知らなければ、と急いでネットを検索してみた。有り難いことに NNA [共同通信社傘下でアジアの経済情報を配信する会社] が以下のように報道していた。とりあえすそのままコピーしてみる。

NNA 11月18日(月)9時0分配信

【英国】日立、ウェールズの新規原発に原子炉2基設置へ
日立製作所は15日、ウェールズ北西部ウィルファ(Wylfa)に建設する新規原発について、出力130万キロワット級の改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)2基を設置すると発表した。今後、英原子力規制局(ONR)および環境庁による包括的設計審査(GDA)を受け、来年後半には具体的な建設日程を公表する計画だ。
 日立は昨年11月、独電力大手エーオンとRWEが2009年に合弁で設立した英原発建設事業ホライズン・ニュークリア・パワーの買収を完了。これにより、イングランド南西部ブリストル近郊のオールドベリー(Oldbury)とウィルファの2カ所で原発を建設することが決まり、日立は両プロジェクトについて原子炉を2~3基ずつ建設する方針を打ち出していた。なおオールドベリーについては、同社の広報担当者は「2~3基を設置する」とした従来の計画を確認するにとどまっている。
■ウィルファ原発の名称発表
 ホライズンはこの日、ウィルファ原発の名称を「ウィルファ・ネーウィー(Wylfa Newydd)」とすると発表した。「ネーウィー」はウェールズ語で「新しい」の意味で、同原発が建設されるアングルシー島にもたらされる雇用機会や恩恵への期待を表わしているという。
[環境ニュース][日本企業の動向]       」

 窓外はすっかり暗くなっていたが、南相馬の被災から今日までの状況、はたまた彼の地での反原発運動のことなど通訳のキャサリンさんを介して熱い質疑応答が交わされた。言い忘れたがキャサリンさんはウェールズ出身で長島氏の夫人だが、私が74歳と知って「私と同じ歳!」と大喜びで握手を求められた。モーリンン・オハラというよりどちらかと言うとドイツ首相のメルケルさん似の彼女とは、初対面のときから話がぴったり合った。
 ところでこうした外来の客人たち、たとえば昨日の朝、名残惜しいお別れをした韓国テレビのクルーの場合もそうだったが、初めは南相馬の直接的な原発禍の話を聞こうとされたと思うが、災禍にめげずどっこい生きている私たちを見たりその話を聞いて最初は戸惑うらしい。しかし現況を知るにしたがって、直接的な放射能禍よりも間接的な、というか二次災害、つまり精神的なダメージの方がいかに大きいかを徐々に理解してくださるようになる。
 つまり遠方から、あるいは外から見た被災地のもう一つの顔が見えてくるわけだ。東京などでの反原発集会、あるいはなんとか太郎さんの反原発運動などを見ているときのかすかな違和感、つまり被災地を一まとめにくくったような観点に対して、被災地側、私の言い方では奈落の底から、の認識とは微妙なズレを感じるのだ。以前小出某の言動に触れて感じたものと同じ違和感である*。
 だから時には、せっかくお前たちの窮状を救おうとしているのに、そんな違和感など言い出して反対運動に水をさすな、と言われるかも知れない。しかし被災者だけでなく、一般に弱者、被差別者の視点を一度潜り抜けない運動や救済策は、その弱者たちの勇気と自立に繋がる本当の支援にはならないはずだ。事故後に作られたたくさんのドキュメンタリーのように、えてして安手のセンチメンタリズムに陥りやすいのである。
 話は尽きそうにも無かったが、これから夜道、飯舘を通って福島市経由で帰京するという一行を、また教会脇の車までお送りした。お別れに際し、今後とも日本やウェールズの原発廃炉に向かって一緒に頑張りましょうとの堅い約束の握手をした。どうかこれを読まれる皆さん、ウィルファB原発のことだけでなく原発輸出一般に関しても機会あるごとに反対の意思表示をお願いいたします。

*重要な追記
 つまり小出流あるいは山本流の反原発運動は、犠牲者の数やその程度が大きく重ければそれだけ反対運動が勢いを増し加速する、という構図になっているが、私が言うのは原発そのものが反自然・反人間の代物であり、推進者の言う安全・安心・クリーン理論そのものが最初から破綻しているからこその反対だということである。もっとはっきり言えば、犠牲者の犠牲の上に立つ反対運動は、被災者に二重の犠牲を強いるということ
 被災者にとって、原発を国策とする為政者、その手先である企業は正面からぶつからなければならぬ敵であり、それとの闘いに迷いはないが、共闘者であるべき味方や身内からの無理解は、まさに獅子身中の虫のように、こちらの神経を疲らせ、生きる力や闘う勇気を蚕食してくるということである


たとえば参議院小員会での、「厳密に科学的に言うなら福島県全体を放棄しなければならない」といった彼の発言は、馬鹿な推進派の議員相手に多少誇張したものとはいえ、その返す刀で被災者をさらに傷つけるということである。
※※要するに、たとえ直接的な被害者が一人もいなくても、その勢いにいささかのブレも見せぬ反対運動であって欲しいわけだ。つまり適切な比較ではないかも知れないが、南京大虐殺の犠牲者の数が30万人であろうとなかろうと、それが真に恥ずべき行為、非道であったことに変わりはないことと同じ理屈である。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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ウィルファB原発 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     徐京植氏が昨年十二月の衆院選の開票速報を見られながら日本の「冬の時代」が到来したことを言われていたのを記憶しています。正にあれだけの原発事故を起こしながら生き方の姿勢を変えるどころか再稼働、原発輸出と日本は今までの快適な生活だけに執着して原発自体を利便と利潤を稼ぐものとして、その存在を肯定してしまいました。徐氏の言われる「冬の時代」の意味を考えると、あれだけの事故を起こしても決して慢心から覚めようとしない日本人の心の荒びを示唆されて言われたように私は思います。徐氏の心配されている通りの流れになりつつあります。

     人間が生来持っている弱点として、あまりに順風満帆な生活をしてしまうと、他者に対する思いやりや感謝の心を忘れやすいように私は感じます。それが行き着くところは慢心なんでしょう。日本人が物質的豊かさを謳歌し、それに慣れ親しんできた生き方を変えることは甚だ難しいこと、それが原発再稼働、原発輸出推進の現政府を容認する判断を国民はしたんでしょう。そこには自分の生活にしか関心がなく、被災者のことは他者という括りで、正に他人事なわけです。

     先生の言われていることは非常に重い内容なので、私がコメントするのを控えるべきだと思いましたが、先生の言われる「被災者だけでなく、一般に弱者、被差別者の視点を一度潜り抜けない運動や救済策は、その弱者たちの勇気と自立に繋がる本当の支援にならない」、その視点の意味を言葉ではなく行動として伝えていけるかが大切だと私は思いました。

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