イベリコ豚の血入りソーセージ

実は昨日少し長めの物を書き出したのだが、体調がなかなか元に戻らず、それで珍しく早めに十時に床に就いた。しかし辛い咳ではないがやたら続いて咳き込んでしまい、夢うつつの中でみんなはこんなときどんな対症療法を試みているのだろうか、など余計な心配が次々と襲い、そのうち咳の原因は乾麺みたいな帯状のものになっていて、それがどうやらフランス語の発音記号のようなのだ。だからフランス語は嫌いなんだよ、と訳の分からぬ呪詛の言葉をつぶやいたりしている。夜中二度ほど注ぎさしの冷たいお茶を飲んだりしたが一向に効き目なし。
 ともかくそんなこんなで朝を迎えてしまった。今日は午後から珍しく東京からの来客があるので、それまではしゃきっとしなければ、と思っていたのが功を奏したのか、来客との会話は無難に続けられた。いや少し体温が高かったせいか、それとも長年の教師生活のせいか、むしろふだんより雄弁(というより多弁)になっていたようだ。
 ところで夕食時、そんな興奮が冷めやらないのか、ふだんは350mlのビール缶を美子、頴美、そして私と仲良く三等分すればじゅうぶんなのに、今晩は私だけさらに一缶を所望した。ついでにおりよく頂いていたイベリコ豚のエムブティード(血入りソーセージ)が試食したくなり、頴美に切ってもらった。ところがすぐ隣で食べていた愛が私も食べたいと言う。日本人なら大人でも敬遠しそうな赤っぽいソーセージを何枚もおいしそうに食べるではないか。この子、可愛い顔をしてるが確かに牧畜民・狩猟民の血が流れているわい。私? 私にはもちろんアイヌの血が流れていると思っている。
 だからお行儀よく精進料理を食べることもできるが、今回のように生きるか死ぬか切羽詰っているときに(もちろん誇張表現どす)肉に似せた色と形を整えてみましたなんて類の精進料理を出されたりすると、ざけんじゃないっ!肉が食いたきゃ堂々と肉食いやがれ!それをなんだ、意地汚く、みみっちく…もどき、とか…風味なんて料理出すな、などと怒鳴ってしまうのだ(いや、実際にそんな無作法な声出したことありましぇん、たんなる願望です)。

 ともかく今晩も早めに寝ます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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イベリコ豚の血入りソーセージ への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生のご体調が早く快復されることを読者の一人として祈っています。今年は秋らしい時期を感じずに冬が到来してしまって、なかなか寒さに体がついていきません。私も十日ほど前にインフルエンザに罹り三日ほど外出出来ませんでした。

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