逆転の発想を!

今度の日曜が南相馬市長選挙の日だそうだ。だそうだ、とはいかにも他人事のようだが、ちょっと待てよ、大震災後、モノディアロゴスでも考え、怒り、訴えてきたことが、今回の選挙にどう反映されるのか、本当はもっと本気に考えなければならなかったのでは、と急に慌てている。「反映」という言葉を使ったが、もちろん立候補者たちが私の主張を読んでいたはずもない。しかし私としては、その私の主張を理解し、少しでもそれに応じてくれそうな人に一票を投じなければなるまい。
 実は立候補者三人の市長選に望む趣旨表明は、一応は眼を通してみた。しかしはっきり言おう、あれだけの大異変を経験したあとの市長選にしては、いずれも従来の市長選とさして変わり映えのしないスローガンを並べていて、甲乙付けがたいのだ。つまり、これは!、と新しい展望が開かれるようなヴィジョンが見えてこないのである。もちろん、それぞれ復興、再建の青写真を、そしてそれを加速させる決意を述べてはいる。しかし、厳しい言い方かも知れないが、はっと胸を衝かれるような言葉が、気概が感じられない。
 震災後の首長選挙でいずこも現職が軒並み落選するという現象が続いている。それは復興への道筋が未だ明確でなく、眼に見える成果が少なすぎることへの不満が蓄積しているからであろう。かと言って、それに代わる有能な新人が出てきているわけでもなさそうだ。事実、今回の南相馬市長選でも、現職、元職、新人とはいえ現市議会議長、という顔触れである。だれもが呟く。「どれもこれも代わり映えしねーなー。かと言って選ばなきゃなんめー、現職より少しはやってくれかっも知んねーとの淡い期待感で投票するしかねーべ」
 復興への意志表明はいい。しかしあれだけの大被害を蒙りながら、未だに誰も応分の責任を取らないままに来ている事態をどう反省しているのだろう。しかも候補者のうち二人は事故後の市行政を直接導いてきた当事者である。確かに南相馬に原発は立地してなかったとはいえ、事故発生以前までは原発推進に何の疑いも無く応援してきたし、少なからずその恩恵を受けてきた。おまけにあの事故が無かったら、浪江・小高は東北電力による原発建設へと進むはずだったのだ。その小高町との合併話が進んでいたとき、東北電力との契約を、白紙撤回をも含めて改めて協議すべきではないか、と疑義を呈したがだれも耳を貸そうともしなかった。
 いや事故前のことはともかく、事故後の対応について、とりわけ病人や老人についての間違った対応について再三再四抗議したが、だれも問題にしなかった…すべては「想定外」のこととして「水に流す」つもりなのだろうか。私の知る限り、それに関して行政側から「反省の弁」は一切聞こえてこなかった。中央政府を筆頭に、この国は「だれも責任をとらない国」に成り下がっている。一億総無責任国である。
 いやいや事故発生以前のことはともかく(これとて重要な論点ではあるが、この際)、事故後の対応に一体どれだけのミスリーディングがあったことか。たとえば老人や病人の不適切な(強制)搬送以外にも、「屋内退避区域」という国の指示があったにもかかわらず、慌てふためいての自主避難をむしろ誘導した責任(毎晩、市の広報車が近くの小学校の避難バス説明会に出るように、とマイクで放送していたことを思い出す。あれを聞いて避難せねばと思った市民がどれほどいたことか)……いま思い返して、当時の怒りがぶり返してくる。すべては「想定外」という錦の御旗でおのが不明と誤りを糊塗するつもりなのだろうか。まるで無責任体制国家のミニチュア地方版ではないのか。
 いま選挙選真っ最中の候補者たちに語りかけても聴く耳を持たないだろうから、せめて市民サイドでしっかり肝に銘じておかなければならないことを大急ぎで確認しておく。
 あれだけの、いやこれだけの悲惨な体験の中から辛うじて得た「覚悟」を前面に出せ! 虹色・ばら色の選挙公約にあまりなじまない表現・言葉かも知れないが、あの、いやこの「奈落の底」で悟った貴重な目覚めを前面に表現せよ! あなたたちの選挙公約は、虹色というより従来どおりの「玉虫色」の公約を一歩も出ていないですぞ。せいぜい新たな企業誘致を謳うに留まっている。
 もっとはっきり言おう。今からでも遅くはない、ぜひ「逆転の発想」をしてもらいたい。なに、まだ分からない? つまりでんな、今や南相馬はかつての南相馬ではない、ということ。年に一度、「野馬追い」で思い出される東北の「僻地」ではない、ということだ。そりゃー津波・原発事故被災地というのは不名誉な呼称かも知れない。でも幸か不幸か、今やフクシマ、ミナミソーマは世界的に「有名な」町なのだ。それを逆手に取らない法があろうか。ヒロシマが世界の平和運動のメッカであるように、ミナミソーマは脱(反)原発のシンボルとなり、野馬追い、美しい海岸線(毎夏、サーフィン世界大会があった)、羽根田・カンポス彗星発見の美しい星の降る町(これ今は亡きばっぱさんの宿願だった)として観光面でも有名になるチャンスなのだ
 私個人のことに関してだけでも、事故後、ドイツ、スペイン、アメリカ、イギリス(ウェールズ)、メキシコ、中国(そして香港)、韓国の客人を拙宅に迎えた。彼らとは拙著の翻訳版を介してだけでなく、それ以後もメールその他での親しい関係が続いている。
 つまり、南相馬を世界の脱(反)原発の一大拠点にする下地が出来ているということだ。これまで南相馬は、あっても島尾敏雄を通じての小高と奄美の交流、海外とは馬を介してのアメリカ・ペンドルトン市との姉妹都市交流ぐらいしかなかった(と思う)。「災いを転じて福と為す」、そうっ「逆転の発想」である。「奈落の底」から見えてきたものに具体的な形を与える、あるいは魂の液状化現象の中で思いがけなく見えてきた確かな人脈(というより今は点だが)を紡いでいく好機と捉えるべきである。もう少しで事故発生後三周年(危うく三周忌というところだった)を迎えるが、それにピッタリの格言を最後にご紹介する。「災いも三年置けば用に立つ」、その意味は、わざわいも時が経てば、幸いの糸口になる、ということだ。
 具体的には? 私にそう聞く? さてはおぬし、私のモノディアロゴスを読んでこなかったな? もうくどいほど繰り返しいろんな提言をしてきたから、どうぞ読み直し、いや改めて読んでくださいな。
 もちろん身動きがままならぬ私めができることと言えば、無い知恵を絞ってささやかな(時に大胆な)提言をすることだけ。でも幸いにわが盟友・西内さんが今回もいろいろ活躍しており、いずれ新市長にしつこく働きかけてくれるに違いない。それを強く期待している。

今さら言うまでもないが、埴谷雄高・島尾敏雄・荒正人という戦後文学の泰斗、記録映画作家の極北・亀井文夫、平和憲法の骨格を構想した鈴木安蔵など錚々たる俊才を輩出した文化の町でもあることをお忘れなく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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逆転の発想を! への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     明日の南相馬市の市長選に立候補されている桜井勝延氏、渡辺一成氏、横山元栄氏の発言をユーチューブで視聴しました。渡辺氏と横山氏は南相馬市のインフラや除染が遅れているのは現市長の桜井氏が国や南相馬市の人脈を通じたパイプがないことを強調されていて、自分たちには人脈があり、それらを今後加速して対応すると言われていたのが印象的でした。桜井氏は自分が責任と覚悟を持って、現地、現場で自分の眼で見たことを率直に市民に伝え、自分が何をするかの具体的なメッセージを打ち出すことが市民の安心に繋がること、自然を敬い自然に対して素直になれることが人間が生きていく中で大切だと言われていました。私の個人的な印象ですが、先生の言われる「逆転の発想」という視点で考えると世界に対する脱(反)原発の発信力は桜井氏が秀でているように思いました。

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