原発と生存

お待たせしました。昨年12月20日に本放送、27日に再放送された韓国EBSテレビ、“Our sole earth(かけがえのない地球)”の『原発と生存 福島を行く』という30分番組です。もちろん私自身も韓国(朝鮮)語はまるで分かりませんが、女性アナウンサーの素敵なナレーションを聞いていくうち、何となく分かるような気がしてきました。ともかくカメラマン氏の達意のカメラワークをお楽しみ下さい。
最初津波や事故直後の映像が6分ほど流れ、次いで元首相やら放射線学者某氏へのインタビューの後、私たち夫婦や愛・頴美が8分10秒あたりから23分あたりまで登場します。鹿島の仮設老人ホームによっちゃん(ばっぱさんの従妹)を訪ねるところや西内さんと駅前で対話するところなどが点綴されています。
本当はこの後30分まで番組は続くのですが、後はカットされています。ご了承ください。

★1月25日の訂正 ちょうど15分のところで、事故前のテレビのスポット広告に触れて、放射能廃棄物を地下300キロのところに安全に埋める…と放送していたと言っているが、桁違いの数字を挙げてしまいました。もちろん正確には地下300メートルのところ、です。300メートルでは浅すぎると無意識に思ってキロ単位にしたのでしょうか。放送されたしまったものは訂正できませんが、せめてここではお詫びとともに訂正させていただきます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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原発と生存 への2件のフィードバック

  1. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    私も韓国語(朝鮮語)はまったくわかりませんが、映像だけでもちゃんとこちらに伝わって来ました。映像の処理が本当にいいですね。

    今年はまだ寒いので3月からボランティアに参加するつもりですので、よろしくお願いします。
    昨年、社会福祉協議会から「感謝状」をいただきました。こういうものをもらったのは生まれて初めてですが、素直に喜んでいます。

    南相馬の地元の飲食店のいくつかに馴染みの店もできました。いつも必ず行く店があるのですが、最近は予約の電話をすると、声だけで「あっ、上出さんですか」と言われます。

    農家民宿にも泊まってみようと思います。

  2. 阿部修義 のコメント:

     原発事故直後に先生が、報道されている以上に事故が深刻であれば狭い日本列島の何処に動いても意味がない、最悪な状況から引き算して慌てる必要はないと判断されたこと、勿論、美子奥様を安全に守るという大前提を常に念頭に入れられてのことですが、冷静沈着な瞬時の判断に、先生の生き方が映し出されているように私は思いました。『原発禍を生きる』の中でも、事故直後からの放射線量も細かくチェックされ、数値の動向も確認されていました。後から考えれば、私も先生の判断が正しいことは分かりますが、実際に自分が先生と同じ立場に立たされたら、瞬時に同じ対応が出来たかは甚だ疑問です。日頃の生き方、魂の重心のあり方の大切さを先生の言葉から私は感じました。

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