大雪の中で

一昨日書き始めた手紙を続ける前に、とり急ぎ今回の大雪に触れないわけにはいかないでしょう。いやーびっくりしました。記録的という形容詞がおかしくないほどの大雪でした。予定されていたコンサートの開催が危ぶまれたのですが、図書館の早川さんが福島駅まで演奏家さんたちを車で出迎え、降雪のなか、八木沢峠を迂回して相馬回りで無事会場まで運んで(? 大切な楽器もありましたので)くれました。おかげでコンサートは成功裡に無事終了。
 大雪のため来場者は少なめでしたが、でも窓外に深々(しんしん)と降る雪のために不必要な雑音が吸い上げられたみたいで、妙手たちによって奏でられる純粋な楽の音だけが沁みじみと響く音楽会となりました。
 さて一夜明けて今日、お帰りは昨日のコースは無理ということで、早川さんが今度は六号線を通って仙台まで送っていくことになりました。出発前、我が家に来ていただいて、頴美手作りの餃子を食べ、ワインを飲みながら(運転する早川さんには申し訳ない)しばしの歓談。
 宴の終わり近く、川口さんと菅さんがテーブル越しになにやら相談している。最近めっきり耳が遠くなった私にはちょっと聞き取れない。すると二人が立ち上がって昨夜会場に行けなかった美子のためにミニコンサートをしてくれると言うのだ。さらにヴァイオリンの島戸さんも加わる。昨夜は至近距離での演奏で、まるで貴族の館での贅沢を味わわせてもらったのに、今日はそれにも勝る、まさに王族の気持ちにさせていただくわけだ。
 最近買ったばかりの電子ピアノも、菅さんの手にかかると、川口さんのヴィオラ、島戸さんのヴァイオリンというそれぞれの名器に引けをとらぬ(とは言い過ぎか)名器となって、粗末な居間にびんびんと響く。音響効果の整ったどこかのスタジオと錯覚されるほど。
 次々と懐かしの曲メドレーとなったが、いかんせん、雪道を考えるとそろそろ出発しなければならない。早川さんの、たぶんフォルクスワーゲンのゴルフ、に4人(言い忘れました、川口さんのお友達の志賀先生もいらっしゃいました)が乗ります。とりわけ恰幅のいい菅さんは助手席、後部座席に決してやせてはいない女性3人が乗って、よたよたと(いえ、重厚な走りを見せて)一路仙台へと向かいました。今は夜十時、今頃はきっと無事に東京に、そしてそれぞれのお家に着かれたことと思います。本当にご苦労さんでした。
 その東京、やはり舛添が当確らしいですね。うーん、残念! 夜の番組で共産党のお偉いさんが、宇都宮さんはそれなりに頑張った、存在感を示せてよかった、なんてしゃべってたけど、存在感示すだけで満足してちゃまずいんとちゃいます? 革新政党としてそれなりの存在感? 万年野党、老舗の革新政党でっか? それじゃ世の中変えることできませんぞい
 まあ終わったものはしゃーない。フンドシ、もとい鉢巻締めなおして、明日から頑張ろうっと。手紙はまた明日にでも続けましょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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大雪の中で への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     自宅の近くの中学校が投票所でしたので、昨日の二時半ごろ細川氏に一票を投じてきました。一昨日の大雪のため道路の両端に積まれた雪で、道幅が狭く車の往来を避けながら、ふと、お年寄りの方は投票に行くのを辞めた人も多いんじゃないかと思っていましたら、投票を終え出口に集計表が貼り出されていて二時時点の投票率が十七パーセントとありました。素人目でも随分低い数字だと思っていましたが、案の定、最終的に四十六パーセントという半分以上の有権者が棄権した結果になりました。投票率が低ければ、組織票を多く持っている舛添氏が有利だと思っていましたが、正にその通りの結果になってしまいました。非常に残念に思いますが、原発ゼロを訴えていた宇都宮氏と細川氏の票が約二百万票あり、投票した人の半数近くが原発ゼロを支持していたことに今後の確かな光明を感じています。

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