叔父への手紙

健次郎叔父さんへ

 その後お変わりありませんか。いつもお電話していただき、そのたびに勇気づけられ元気をもらっています。もう少しで九十七歳になるというのにお元気そのもの、連日のパークゴルフ、ダンス、カラオケそして温泉三昧、しかもそれらの日程を次々と自ら運転する車で回りながらこなしておられるとは羨ましい限りです。前から130歳まで生きると豪語されてましたが、この勢いではそれも充分射程距離に入ってきましたね。叔父さんより二十二歳も若い私の方が先に行ってしまう可能性も出てきました。
 だからというわけではありませんが、年下の私がなにやら遺言めいたお手紙を書くこともそれほど長幼の序を違えることにはならないでしょう。いやいや私とてまだまだ生きるつもりです。だって叔父さんがこよなく愛したお姉さん(ばっぱさん)も99歳でしたので、その息子の細胞核にも長生きDNAが含まれているはずだからです。でも大震災・原発事故のあと美子の介護をしながらの日々、自分の寿命のことより脱原発のことやらこの国の行く末について考えない日はありませんでした。
 原発事故収束への作業工程が未だに確立されていないというのに、為政者たちは、いや国民の大多数は、はや深刻な現実から目をそらし経済優先、果てはオリンピックへとまっしぐらです。景気を良くして事態収束に弾みをつけようというならまだしも、実は自分たちの利便・快適さ追求に一生懸命なんだと思えてなりません。
 でも私がもっと心配なのは、この国のあり方そのものです。今まで何度も言ってきたことですので今さら繰り返すと老いの繰言と思われるかも知れませんが、今日はいま一度自分の基本的な考えを整理してみたいと思っています。いや白状しますと、そろそろ締め切りの迫った、或る国の、或る平和研究集会へのメッセージを書き出すはずみをつけたいという下心もあります。でもだからといってこの手紙が単なる下準備、粗雑なデッサンとお考えになりませんように。というのは法学や国際政治学の専門家に向かって自説を展開するより、叔父さん宛てに書くことの方が、或る意味でもっと難しいからです。
 つまり叔父さんのことを、さまざまな体験を積まれて、人間や世界について確たる信念をお持ちの方、失礼な言い方かも知れませんが、日本人の圧倒的多数を占める良識人の典型であると思ってきましたが、そのような人に納得してもらう文章を書くことの方がはるかに難しいからです。要するに、叔父さんを納得させられないのに、学者さんたちに自説を披瀝することなど、それこそ机上に空論を重ねるようなものだということです。ともかくこの手紙を少し早めの私の白鳥の歌と思って聞いてください。
 さて本来なら論拠を順序良く次々と重ねていって、最後に結論を出すというのが論争家の常道でしょうが、私はだれかに論争を挑もうなどと考えているわけでなく、先ほども言ったように、大震災・原発事故を経験した人間の、いま考えられる精一杯の白鳥の歌をうたおうとしているだけなので、最初にいちばん言いたいことから始めることにします。それを思いっきり簡単にまとめれば、私たちはもうそろそろ狭い国家観を抜け出さなければならないのでは、ということです。
 事故直後からどういう風の吹き回しからか領土問題や歴史認識にまつわるさまざまな問題が踝を接するようにして起こりました。ところがそれら問題に対する為政者たちの対応の仕方が実に愚かで、場当たり的で、真に国のあるべき姿を見据えての行動とはとても思えませんでした。現に近隣諸国との関係は悪化の一途をたどるばかりで解決への糸口さえ見つかっていません。安倍首相のつもりとしては、中国などが近年次第に経済力を蓄えてついにはGNPではわが国を追い抜き、さらには軍事力の増強などでアジアにおける存在感を日増しに増大させていることに危機感を覚え、なんとかその劣勢をはね返そうとしているのでしょうが、私から見れば彼はただいたずらに摩擦を起こし、愚かなパワーゲームはまり込んでいるとしか思えません。
 たとえば尖閣諸島や竹島をめぐる領土問題です。その問題が顕在化してきたときにも書きましたが、かつて石橋湛山は満州の帰趨をめぐって緊張が高まってきた1914(大正3)年、こう発言しました。「かくて我が軍の手に帰せる青島は、結局いかに処分するかを以て、最も得策となすべきか。これ実に最も熟慮を要する問題なり。この問題に関する吾輩の立場は明白なり。アジア大陸に領土を拡張すべからず、満州も宜しく早きにおよんでこれを放棄すべし」 (石橋湛山評論集「青島は断じて領有すべからず」から)。
 それからの日本は湛山が危惧したとおりに危険な隘路をがむしゃらに突き進み、ついには坂道を転げ落ちるようにして最大級の国難に遭遇してしまいました。戦後、自民党第二代総裁にまでなった彼がかつてそういう発言をしていたことを安倍総裁は知っているのでしょうか。もし知っていたとしたら今それをどのように考えているのでしょうか、大いに気になるところです。ましてや問題はチンタオや満州とは比較にならないちっぽけな無人島なのです。
 領土問題を考えるとき、いつも思い出すのはアルザス・ロレーヌ地方の領有をめぐるドイツとフランスの数世紀にも及ぶ流血を伴った確執と、それが現在では両国親善・交流の磁場となっているという事実です。ここに至るためにはさまざまな紆余曲折があったと思いますが、根底にあるのはドイツの為政者そして国民が第二次世界大戦を通じて近隣諸国に多大の迷惑をかけたことを一貫して率直に謝罪してきたことです。日本もさまざまな機会に謝罪してきたではないかと言う人がいるかも知れません。いやそういう意見の人が、安倍首相だけでなく最近増えてきているように思われます。
 でも本当に謝罪したのでしょうか。領土問題に限らず、従軍慰安婦問題や河野談話や村山談話をめぐっての一部の政治家たちの再三にわたる発言・行動を見れば、それがまったくのまやかしである、と当該諸国が考えるのも無理はありません。たとえば従軍慰安婦問題ですが、南京虐殺問題の場合とまったく同じです。つまりわが国の一部の人たちはそれを公式文書が見つからないとか、規模・数字に誇張があったとして、行為そのものさえをも否定しようとしてきました。
 私はこうした態度は、過去の行為以上に絶対に許されないことだと思います。時に人間は過つもの、そして戦争の最大悪は、人的・物的損害よりも人間性を獣以下の状態に追い込むことです。しかし平和時に、正常な精神状態の中でおのが罪の言い逃れをしようとしたり、さらには行為そのものを否認することは、かつての悪行以上に人間の品性を貶めることだと思います。かつての過ちを心から悔い、相手方に率直に謝罪すること、これを自虐と言いふらすことの方が人間のさもしさ、情けなさを晒す自虐行為だとは思いませんか。自虐と言うなら、自らを三百代言に貶めることの方がはるかに自虐の名に値しませんか。
 かつてルス・ベネディクトという日本民族の精神文化を鋭く分析した人類学者は、西洋文化を罪の文化、日本文化を恥の文化と分類しました。おのが罪を絶対者との関係性の中で深く悔いることのできる西洋民族と、絶対者ではなく世間とか仲間社会に対する恥と捉える日本民族とを対比させて、前者を上位に置いたことは間違いないでしょう。確かに日本人は西洋人よりも世間体を気にするようです。小さいときから、世間様に、他人様にどう思われるかを躾(しつけ)の根本に置いているようなところもありますから。
 でも最近、ルス・ベネディクトの説に疑問を感じるようになってきました。その経緯を簡単に言うと、震災後しきりに「日本を取り戻す」とか「日本人の誇りを!」といったスローガンが声高に叫ばれ、その度に何か違和感を覚えたことが発端にあります。つまり取り戻すべき日本人そして日本とは何なのか、自分でもしっかり見極めたい。その取っ掛かりとして、たとえば国民文学と通称される小説や、日本的伝統の真髄を形作っていると言われてきた武士道などを改めて見直してみようと思ったのです。吉川英治や司馬遼太郎の小説、『葉隠』や宮本武蔵の『五輪書』、新渡戸稲造の『武士道』など今まで手にもしなかった本を少しずつ読んでいるのもそのためです。
 つまり、一般的に保守的な人や右翼的な人が何かと言えば引き合いに出す日本人像や日本観に対して、いやいや実際のものはあんたたちの言うような排他的なものでも唯我独尊的なものでもないよ、と思いながらもそれを実証する手立てがなかったことに思い当たったからです。
 その成果は、と言うほどのものはまだありませんが、しかし昨今の近隣諸国との問題にひきつけて言うなら、安倍首相を初め現政権の言動は武士道から大きく逸脱したものとだけは断言できます。その理由をごく簡単に言うと、「武士の一言」、つまり武士に二言無し、ということです。武士道においては、虚言遁辞はもっとも卑怯なこととされました。これは世間体とか対・他者のものと言うより、おのれ自身に対するもの、そして二言、すなわち二枚舌は、死を持って償うべきものとする厳しい内面の掟だったはずです。
 先ほど悪行そのものより、それを隠蔽しようとすることの方がはるかに恥ずべきことだと言った理由もこれに尽きます。こう考えてみるとルス・ベネディクトの恥の文化に対する評価はここで大きく覆されることになりませんか。つまり罪を犯した人間はそれを悔い改め、神から赦免されることをもって、ある意味で晴天白日の身になりますが、恥ずべき行為をした人間は、たとえ相手が許したとしても、恥はさらに内面深く食い入り、ついには自らの死をもって償なわなければならないのですから。
 もちろん国粋主義的な主張を繰り返してきた人たちの主張がすべて間違っているわけではありません。彼らの国を愛する気持ちは分からないでもありません。一般的に彼らは真面目です。お国のことを一生懸命考えている人たちと言ってもいいでしょう。先般の都知事選に立候補した田母神という男を例に出しましょう。叔父さんは海軍、彼は航空自衛隊という違いはありますが、彼も叔父さんと同じく戦闘機乗りでした。彼の主張は私からすれば噴飯ものですが、しかしそれを別にすれば感じのいいおじちゃんです。決して腹の黒い男ではありません。付き合うとしたら当選者の桝添より気が合いそうです。
 でもそこがいちばん問題なのです。つまりかなりの若者たちが彼に票を入れたことからも分かるように、なんとなく話が分かりそう、人が良さそうですですが彼の国家観はまるで太平洋戦争以前のものだからです。つまり敗戦経験から何も学ばないままなのです。お国のためを思いながら、結果的にはお国のためにならなかったという苦い体験を未だに検証しないままだということです。
 もちろん叔父さんのように実戦の経験はありません。安倍しかり。叔父さんは確かアメリカのグラマン戦闘機と何度も渡り合って、そのうちの何機かを撃墜しましたね。私はもちろんガキでしたから兵役経験もありません。でも満州の僻地熱河での敗戦そして引き上げを体験しましたから戦争の後姿は確実に見ました。確か朝陽の駅近くの鉄路にへたり込んでいた敗残の日本兵の姿を夕陽の中で見たときのことを今でも思い出すことができます。そのときばっぱさんは、と言ってもまだ三十台半ばの母でしたが、腹をすかしたわが子三人を差し置いて、なけなしのお金をはたいて彼らにスイカを買ってやりました。そのときは腹が立ちましたが、いま考えると、ばっぱさん実にすばらしい愛国婦人であり烈婦でした。でもばっぱさんはその体験からいろんなことを学びました。大きく言えば国と個人の関係性の問題、もっと簡単に言えば国民の真の幸福に沿わない国策に対する強い怒りです。先だってもこのブログで紹介したばっぱさんの文章からも明らかなように、原発には当初から反対でした。
 実は生前、原発や国はどうあるべきかなどについてばっぱさんとじっくり話し合ったことはありませんでしたが、以上ここまで述べてきたことは間違いなく分かってくれるし、賛成してくれると確信しています。またその連れ合い、つまり叔父さんからすれば義兄、私からすれば実父の稔は、34歳の若さで熱河省灤平で病死しましたが、ばっぱさんが繰り返し証言していたように、「すべての日本人は悔い改めて出直すべきだ」というのが父の白鳥の歌でした。父のその言葉の重さを今日なお一層強く感じています。
 いま日本はまたもや危険な傾斜をすべり落ちそうな気配です。戦争体験者は高齢になり、その貴重な体験談を確実に次代の者たちに伝えてきたとは思えません。ですから時おり新聞の読者欄などで戦争の悲惨さ、そして昨今の危険な兆候に警鐘を鳴らしている老人がいると、これからも機会を作ってぜひ多くの人にその考えを伝えて欲しいと心から願ってます。
 あの困難な時代を誠実に一生懸命生き抜き、お国のために粉骨砕身努力された叔父さんとしては、あの戦争が間違ったものだとはなかなか認めたくないでしょうが、しかし怖いのはそうした善意の人たちの願いすらも踏み砕き、しかも相手があることですから相手国の人たちの命や生活をも破壊し奪ってしまう戦争です。それを絶対に許すまいという強いメッセージを叔父さんからも発して欲しいのです。
 安倍や田母神の言動を見たり聞いたりしていると、戦争ができる普通の国にそんなにしたいなら、戦争ゲームでも買ってきて、好きなだけ戦争ごっこでもしやがれ、と言いたくもなります。
 いま地球上で起こっている紛争のすべては古い国家観の呪縛から抜け出せないでいることから起こっています。このあいだのウクライナとロシアもそうです。国の指導者たちの権勢欲に踊らされた国民の悲劇。それまでさまざまな文化を持ちながらも仲良く共存してきた人たちが、そうした古き国家観によって敵対し分断される悲劇は、1998年のコソボ紛争でもありました。それに懲りもしないで、いまだに国家の威信とか面通にこだわる政治家や指導者は引きも切りません。人間はどこまで愚かなのか呆れるばかりです。
 でも明るい兆しが無いわけではありません。その歩みは時に乱れがちですがヨーロッパ連合(EU)は、古き国家観から脱皮するための一つのヒントにはなります。そして先日の「朝日新聞」(3月14日)で初めて知ったのですが、フィンランド領のアハベナンマー(スエーデン名はオーランド)諸島のことがあります。フィンランド南西、ボスニア湾口にある六千近くもある島々で、古来ロシアとスエーデン間の係争の地でしたが、現在はフィンランド領、ところが住民のほとんどはスエーデン系という不思議な諸島です。もちろん長年フィンランドとスエーデン間に確執がありましたが。1921年、国際連盟の裁定で主権はフィンランドに帰属するが、島の自治は保障され、しかもスエーデンの意向に沿って非武装・中立地帯となったのです。
 そして新聞はこの島々がわが国とも無関係ではないとするこんなエピソーもド伝えてます。すなわちこのとき国際連盟の事務次長がなんと前述の『武士道』の著者・新渡戸稲造で、このときの彼の言葉も残されていました。
「将来、諸国間の友好関係を妨げる類似の問題が生じた場合、大小にかかわらず、その処置の先例を確立することになりましょう」。
 白鳥の歌を、などと格好いいことを冒頭に述べましたが、結果的には尻切れトンボもいいところ、まるでアンデルセン童話の醜いアヒルの子のつぶやきに終わってしまいました。どちらにせよ、絶唱を歌うのはまだまだ遠い先のことと考えて、残された日々さらに精進します。どうぞこれからも遠い北国から、あの明っかるーい声でお電話ください。
 最後にもう一つお願いがあります。叔父さんの戦争体験のことですが、最近も帯広の有志の方たちの前で戦争体験を話されたそうですね。ところが私自身はいままで叔父さんの戦争体験を詳しく聞いたことがありませんでした。いつかぜひ聞かせてください。お願いします。

わが生誕の地・帯広に今日も元気に暮らしておられる叔父健次郎様

   東日本大震災三周年を閲して間もない叔父さんの生誕の地・南相馬から愛をこめて


                2014年3月26日
                            孝より

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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叔父への手紙 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の文章を拝読していて、先生が長年研究されているオルテガの言葉が、ふと、頭に浮かびました。

     「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」

     この「環境」という意味は、原発問題に対しては自然であり、領土問題では隣国の中国や韓国の人たちと私は解釈しました。先生が「日本におけるスペイン研究の一時代」の中で非常に重要なことを言われています。

     「私たちが日ごろから効率性や数値にのみ目が行く近代的知性にあまりに冒されてしまって、一つの事象が他のあらゆる事象といわば有機的に繋がっていることが分からなくなっている」

     私たちが生きるということは、オルテガの言う「環境」と共に在ることをしっかり認識するということが大前提になければならないと先生の著書を拝読していて強く感じています。

     戦争の実体験もなく、日本の高度成長期に生きてきた安倍首相を含めた多くの国民は、先生の言葉を借りれば、正に「魂の重心」を限りなく高くした視点からの発想でしか物事を見れなくなってしまっているのかも知れません。集団的自衛権を巡る憲法改正(改悪)などは正に、先生が言われるとおり、「危険な傾斜」への序奏のように思います。オルテガが言う「この環境を救わないなら、私をも救えない」という意味を私たちは「魂の重心」を限りなく低くして熟考しなければならないと改めて私は感じます。また、そういう心の在り方でなければ、オルテガの言葉は理解出来ないのかも知れません。

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