お願い

今朝、A4サイズの封筒が郵送されてきました。差出人の名前が書かれていないので、不信に思いましたが一応開封してみました。中にはどうやらいくつか右翼関係サイトのコピーでした。要するに従軍慰安婦報道はウソだといった類のまことアホらしいサイトの数々です。読む気など一切ないので即座にゴミ箱に捨てましたが、新料金切手、たぶん2百円以上?今さらゴミ箱から拾うつもりもないので分かりませんが、を使っての無駄はどうぞこれからしないように。でも、まさかお主、日本郵政の回し者? それとも過去に私と何らかの接触があった人? まさかね。おそらくこのブログを読んでの反応らしいですが、住所まで調べて、ほんとご苦労さん。
 それにしても右翼的な言動をする人にはなぜ匿名が多いんでしょうね。名乗るほどの者じゃございやせん、と謙虚なんでしょうか? それとも、もしかして警察とか債権者に追われてんの? まさかね。どちらにしても不愉快であることには変わりありません。関係ない人には変なお願いなどして、それこそ御迷惑でした。お許しください。南相馬も桜が咲いて、ようやく暖かになってきました。どうぞ皆様お元気で。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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お願い への3件のフィードバック

  1. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    こういう卑怯者はまた同じことをしてくる可能性がありますから、今度からは「証拠物」として保管されたらいかがでしょう。結構特定できることもあるようですよ。
    以前闇金業者とやりあっていたとき、事務所にピザ、ポテト、コーラがそれぞれ8人前届いたことがありました。もちろん闇金業者の嫌がらせです。依頼者宅には寿司20人前が届きました。腹が減っていたので、一人前だけなら買うよと言ったのですが、駄目なんだそうです。もったいない。

    確かに反韓・反中の「愛国」を名乗る人たちは匿名が多いですね。
    そのくせアメリカに対しては何も言いませんね。
    例えば、尖閣列島の問題についても、石原慎太郎は大正島と久場島については国有化しろなどとは言いません。この両島は米軍が射爆場として管理しているからです。
    彼らの「愛国」はこんなものです。

    ネットで他人に罵詈雑言を浴びせる人もほとんどが匿名ですが、こういう人は100万人いてもちっとも怖くないですね。
    でも、最近は狭量で懐が浅く器の小さな人物ばかりが跋扈していて嫌になります。

    明るい話を。
    先週末、農家民宿「いちばん星」に宿泊しました。地元の野菜料理がいっぱい出て来て、これを肴に地酒を毎晩1本空けました。
    奈良から来た大学生7人と北海道から来た大学生1人も宿泊していましたが、彼らと一緒に小高で家屋を片付けるボランティアに参加しました。三重県からお父さんと一緒に来た6年生の男の子もいましたよ。
    頼もしいですね。

    それではまた。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    上出さん  そうだ、お友だちにばりばりの現役弁護士の上出さんがいたんだ! 心強いですねー。
     ところで「いちばん星」に泊まられたとか。あそこにわがHPの管理人をしてくれている若い友人のS君が働いてます。次回名乗っていただければ美味しいキューリ一本くらいはサービスされるかも。
     それにしてもご苦労さんです。ありがとうございます。蟄居老人には肉体労働は無理なので、もっぱら口と筆でがんばってますが。
     上出さんは歌声喫茶というのは御存知でしょ? あの流れを汲む「全国青年のうたごえ交流会」の大会が今年は南相馬で6月14,15日に「ゆめはっと」であり、講演を頼まれました。その本年度の実行委員の仙台グループが打ち合わせに拙宅に来たとき、夜の親睦会でいいから「麦と兵隊」の替え歌「原発難民行進曲」を歌ってもらえないか、と言ったところ、もしかすると実現するかも知れません。となれば全国から百人近く青年たちが集まるので、あの切なくも哀しい替え歌が少し世間に広まるのでは、と期待しています。上出さんも飲み屋さんに行ったおりにでも、小さい声で(大きければなおいい)口ずさんでいると、じんわり広がっていきますよ。歌詞は上の「オリジナル作品」の中にあります。ぜひご覧になってください。ではまた。

  3. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    歌声喫茶のことは知っていますが、世代が10年ほど後なので実際に行ったことはありません。

    でも、「麦と兵隊」は知っていますし、歌えます。
    私の父親は大正14年産まれで(三島由紀夫と同い年です)、兵隊に取られ、モンゴルの前線に連れて行かれたそうです。
    行ってすぐに足を撃たれ日本に帰されたそうです。
    私の同年代の者の父親たちも兵隊に取られた人が多く、宴会などでは大人はみな軍歌を歌っていました。それで自然に軍歌を覚えました。
    他にも「海ゆかば」とか軍歌でも好きな歌はあります。
    ただ、前々から疑問なのですが、日本の軍歌は単調のもの悲しい歌が多いですね。

    替え歌挑戦してみます。

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