それじゃー浮かばれねえ

今になってじんわりと怒りが湧いてきている。瞬間湯沸かし器にしては珍しく時間がかかった。相手は別に悪い人ではない。見方によってはいい人であろう。ともあれ特定されると相手方に迷惑が及ぶかも知れないので、固有名詞など適当にボカして話を進める。
 昨日のことである。ある外国の首都に住む日本人Xさんからのメールで事は始まった。私は30年近く当地で或る業界で働いてきた者だが、今回の東日本大震災で日本のために心を痛め、これまで当市の市長や大寺院を動かしていくつか追悼の行事をしたり、当国だけでなくスペイン、イタリアなどでもいろんなことをやってきた。それでお話したいことがあるので夜お電話したいがご都合はどうか、という内容である。もちろんどうぞ、と夕食後の時間を指定した。
 ところがその約束の時間の直前にマドリードの■さんからメールが来て、実は今アンヘラさんからの電話で、今晩先生のところにそのX氏から電話が行くはずだが、私は言葉の問題もあって、その日本人のことがよく分からないから、先生が直接話して判断してくれ、との伝言だという。そこで初めて、なぜ彼が遠い外国からわざわざ私と話したがっているかが分かった。
 さて電話での対談が始まった。一時間以上にもわたって、これまで彼が手がけてきた華麗な(?)各種イベントの話など実に友好的に話してくれた。その内容を思い切りはしょると、どうやら話のポイントは復興のシンボルとして彼地の有名人を動員して「起き上がり小法師(こぼし)」の絵付けをしてそれを展示することを始めたが、マドリードでの展示会のあとその販売のためにアンヘラさんの協力が欲しいらしい。しかしそのとき、そうした行事は決して脱原発や反原発をアピールするためではない、原発問題はゆっくり時間をかけて考えていくべきだと思う、それに脱原発色を鮮明にすると当国のみならず当該諸国の政府からの支援が期待できなくなるから、とのたもう。えっ、それじゃ何のための催し? すると電話先で一瞬沈黙が入った。
 そしてこう続けた。いやもちろん未だに原発事故の収束が遅れていることに対する抗議の意味はありますが、原発は当国をはじめEUなどでも継続の意向を持っているので…いやちょっと待ってください、津波被害の死者を慰霊すること、その被災者を応援することは確かにありがたいし有意義なことです、でもこと原発事故に関してはまったく違う対応が必要じゃないですか、あれは自然災害ではなく明らかに人為的な災害なんですよ、それに正確な数字は出ていませんが、今なお間接的とは言え日々そのためにかなりの数の死者が出ています。そのことを座視しての復興支援では、これら死者たちの魂魄はそれこそ浮かばれません。
 あなたが進めておられる催しの「起き上がり小法師」だって、愚かな国策によって生じた苦しみをこの先もずっと耐えることの象徴などに使わないでくださいな。小法師は、飢饉とか病とか貧困の中でも人間の尊厳を失わずにりっぱに耐えてきた会津の人たちの思いのこもった郷土玩具なんですよ。
 あなたは先ほど、被災地の子供たちがこの苦しみに耐えることによって明日の日本を背負う立派なリーダーに育って欲しいと言われましたね。だったら申し上げますが、原発推進にも明らかに見られる現政権の富国強兵路線に唯々諾々と従うのではなく、国策といえどもおかしなことに対しては断固立ち向かわなければならないのは会津や福島の子供たちなんです。彼らこそが「起き上がり小法師」の精神で、愛する東北や日本を正道に戻さなきゃならない。今さら戊辰戦争の再現なんぞ夢にも思いませんが、でもそうしたかつての長州藩的イデオロギー路線を現在に蘇らそうと画策しているのが長州出身の安倍首相だというのは、因果はめぐると言いましょうか、まるで大河ドラマの筋立てみたいですな。
 そうした反論を電話口でそのまま言ったのではなく、私の反論を聞いて黙って電話を切ったX氏に、その後送ったメールを補足して再現したものである。悪い人じゃなさそうだと思ったのは、私の反論に対して抗弁するでもなく黙って電話を切ったからだ。もし私が彼だったら(?)言葉を濁してともかく協力を得ようとさらに強弁したであろうから。
 アンヘラさんはあるとき、私を指して cabreado と評した。スペイン語の辞書にも出てこないカスティーリャ地方の言い回しらしいが、もともとはカブラすなわち山羊から出た言葉である。つまり喧嘩っぱやい人、何にでも突っかかる人、の意らしい。いやいやそう言うアンヘラさんも、被災者が真に求めているのは同情や哀れみではなく、核のない世界を求めて共に闘う友なのだ、と言う私の言葉に激しく共鳴したなかなかの cabreada なのである。要するにカブレアードとは何のことはない、例の「瞬間湯沸かし器」のことだ。これからもおかしいと思ったことには間髪を入れずに突っかかっていこう。でもやっぱ時々疲れちゃうなー。


【息子追記】父が当氏に追って送ったメールは以下の通り(2021年9月6日記)。

■様 
 以後お話することはないと思いますが、一言だけ言わせてもらいます。
被災者が望んでいるのは同情や哀れみではなく、こんな理不尽な災厄をもたらした人や考え方に対して断固として闘ってくれる真の友です。
 そして起き上がり小法師は、為政者の愚かな政策によって生じた重荷を背負うのではなく、貧しくても人間らしく生きるための苦労に耐えることの象徴です。お間違えのないように。アンヘラさんも小生とまったく同じ考えです。さようなら、御元気で。佐々木拝

2014年4月11日午前0時10分付

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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それじゃー浮かばれねえ への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の「瞬間湯沸かし器」は私的なことに対する怒りではなく、道理に合わないことに対する正義感からの怒りだと思います。2011年11月17日の朝日新聞の社説の中で先生はこう言われています。

     「必要なときに正しく怒ることが、この国をもっとましな国にする」

     先生が指摘されているように、安倍首相が目指している国の方向は「富国強兵」のように私も感じます。しかし、市場が世界規模で動いている現代において、日本だけが豊かで強い国になれば良いという考えは極めて危険だと私は思います。日本国内に目を向けても円安メリットのない多くの国民は輸入品全般の値上がり、今回の消費税アップによって生活が厳しくなっている、正に弱者切り捨てのように思います。「魂の重心」を常に低く作られている「起き上がり小法師」であって、初めて、非常時の様々な環境の中でも地にしっかり足をつけて対応できるんでしょう。安倍首相に欠けているのは、調和と平等、そして平和を維持するために何が必要かの洞察力だと思います。アベノミクスに踊らされている私たち国民も大いに先生に追従して怒るべきだと思います。

  2. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    集団的自衛権の特集をやっているので、『世界』5月号を買ったのですが、冒頭の写真に胸を衝かれました。『麦と兵隊』の替え歌を連想しました。
    以下引用します。

    今日も暮れゆく
    仮設の村で
    友よつらかろ
    せつなかろ
    いつか帰る日を想い
    一時帰宅
    平成二十三年五月

    今年は梅の花まだ
    開花せず
    「主なしとて
     春を忘るな」
    平成二十四年四月一日 一時帰宅

    拝啓 東京電力殿
    仮設でパチンコできるのも
    東電さんのおかげです
    仮設で涙流すのも
    東電さんのおかげです
    東電さんよ
    ありがとう
    十二月十二日 里帰り

    I Shall Return!
    老兵は死なず。いつの日か必ず
    この地に帰る。放射能如きに
    負けたまるか
    平成25年3月3日 一時帰宅

    二本松八時出発
    ここはお国の何十里
    離れて遠き二本松
    開戦記念平成二十五年十二月八日 一時帰宅
    まもなく三年
    来年はよい年であるように

  3. 上出勝 のコメント:

    書き忘れましたが、この写真は浪江町の民家の窓ガラスの張り紙を撮影したもので、一時帰宅のたびに書いたものと想われます。

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