或る公開質問状

東京電力株式会社 福島原子力補償相談室御中

 本日、貴相談室より、先日お送りした書類に不備があるからとのことで返送されてきました。よく見ますと「自己情報開示請求に係る同意書兼委任状」の

  1. 「おもて面」の氏名(自署)欄の「佐々木美子」のふりがなが抜けていること。
  2. 「うら面」の証明書類の申請先記入欄に「南相馬市」が抜けていること。以上二つの不備が指摘されていました。

1. に関して、確かにご指摘のとおりですが、先日記入の際、認知症の妻が自署することなど不可能なのだから、本当は委任者の私が自署すべきなのでは、などと考えているうちに忘れたようです。
2. に関しては、その上の住所記入欄が福島の後の「県」を○で囲んだあと南相馬の後に「市・区・町・村」の一つを○で囲むようになっていますが、そうすると原町区の記入が出来ず、大いに迷い、結局、南相馬市原町と「市」を自分で書き入れました。非常に分かりにくい記入欄でした。
 そんなわけで、「介護保険被保険者証」の申請先の欄にまた「市・区・町・村」のいずれかを選ぶようになっていましたので(つまり「市・町・村」の三者択一でしたら当然「市」を選ぶはずですが),また迷いました。それで、ここは係りが適切な記入をするだろう、と未記入にしたようです。
 さて、以上のご指摘を受けてさっそく記入して返送しようとしましたが、しかし考えてみると実に愚かしく、また無駄なやりとりをしたものだなとだんだん腹立たしくなってきました。確かに請求先が南相馬市ということで正確を期したいという事情は分かりますが、しかし「ふりがな」や開示請求先が南相馬市であることは、これまで再三にわたっての書類提出で分かりきったことなのに、なぜ被災者に何度も面倒な書類を書かせるのでしょうか。「ふりがな」などは署名ではないので、第三者つまりそちらで記入しても法的にはなんら問題ないはずではありませんか。ましてや請求先の記入などそちらの係りが記入しても何の問題もないはず。
 要するにこれまで数度にわたるやり取りの中で、既に当方のデータはすべて報告済みですから、それを適宜使ってそちらであらかじめ「模範回答」を作成し、それを当方(被災者)が「以上のとおり相違ございません」の後に、署名・捺印すれば済むことではありませんか。これまでのやり方は、分厚い書類の山を送りつけてきて、それに眼を通しても当方に求められている回答にたどり着くまで大変な苦労を強いられます。これでは書類を整えることの方が大事で被災者を「救済」することなど二の次なのだと思わざるを得ません。率直に申せば、「弊社原子力発電所の事故により、大変なご迷惑とご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます」とまるで自動録音テープ並みに繰り返し言われても、それが全く口先だけのことだと思わずにはいられないということです。
 震災後、市役所、郵便局、などあらゆる公的な機関で繰り返されてきた書類・印鑑・署名の山にうんざりしています。被災者を生身の人間ではなく、ひたすら書類とデータの対象としか見ていない日本社会の愚かしい構図に辟易しているわけです。私などまだ少しは対応する事が出来ますが、歳をとられ健康状態が思わしくない老人たちがこうした書類の山の中で困惑し途方に暮れているのは、誰の眼にも明らかな事実です。
 そんな体たらくの市役所や郵便局にしてもいわば被災者側に属しますが、東京電力は加害者であることを忘れてはいませんか。大事なのは書類ではなく被災者です。被災者のことを思うなら、書類など手続きをもっと簡略化し、あなた方の言い草を借りるならもっと「スピード感」を持って対処してください。
 実は震災後の役所や郵便局の対応の愚かさを指摘した拙文が一昨年の大東文化大学の試験問題になっていますので、御参考までにお送りします。ぜひお読みください。
 また今書いている拙文も、そのまま私のブログに載せます。つまり一種の公開質問状となっています。特に正式な文書による回答は求めませんが、しかし少なくとも小生の指摘を検討なさるおつもりかどうかくらいは簡単な意志表示をしてもらえればと思います。私のメールアドレスに「了解しました」とだけのメッセージでも構いません。よろしく。

      六月二十七日      佐々木 孝 


生来の気弱さ(?)からあのように書きましたが、「公開質問状」としたからには、やはりどなたか責任ある方からの回答をお願いいたします。もちろん無回答という選択肢もございますが、それをも含めていずれこの場で結果報告をさせていただきます。もしかして今年、どこかの大学がまた小論文の問題に取り上げるかも知れませんのでその点もご配慮ください。

※推薦試験問題(小論文・教育学科)は以下のとおりです。 

[問題]
 資料の文書[A][B]は、[A]は、法哲学者でハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏がインターネットを通して…[B]は、スペイン思想研究家で元東京純心大学教授が福島原発事故後、緊急時避難準備区域内(南相馬市)の自宅での生活を続けながら綴られているブログを載録した書籍から、それぞれ抜粋したものです。今回の震災と原発事故によって顕在化したと思われる日本社会と日本人の特徴について、二つの資料に述べられている見解を比較しつつ論じてください。関連して、日本の教育の在り方についての意見や、…後略…

 [B]原発禍を生きる

4月10日(日)晴れ

 久し振りにいい天気。昼ごはんのあと、美子を連れて散歩に出る。途中、何日か前から郵便物が原町郵便局留めで来ていると聞いた(隣町の支店長から)ので、念のため電話を入れるとSさんからハガキが来ているという。行ってみると、道路側の夜間窓口ではなく、中庭に入ってふだんは小包などの積み入れ積み出しに使っていたプレハブが仮事務所になっていた。細長い部屋に細長い机が置かれ、局員が四、五人で応対している。住所と名前を告げハガキが来ているはずだ、と言うと、紙片が差し出され、そこに住所と名前を書けと言う。書いて渡すと局員は奥の部屋に入り、しばらく経ってからハガキをもって現れた。なにか身分を証明するものを出せ、と言う。
 戦場で故国からの郵便物を渡すとき、いちいち兵士の身分証明を求める? いやいや例としてはちょっと大げさか。私が言いたいのは、たとえば現金書留あるいは親展扱いの封書などなら、とうぜん引き取り人は自分の身分を証明するものを提示しなければならない。しかし一ヶ月あまり、郵便局としての機能を一方的に放棄したあとの再開である。もう少し人間的な対応の仕方があるのでは? 細かいことを言うようだが、ハガキならハガキに印刷あるいは添付されている50円切手は、本来ならあて先の家までの配達料込みの値段ではないの? 利用者にさんざん不便をかけ続けたあとの業務再開である。まずは利用客へのお詫びの言葉から始めるのが真っ当なやり方とちゃう? 
 それに対し、たぶんその局員はこう答えるであろう。万が一間違って他の人に渡して抗議されたら困る、と。そう来るだろうな、いつもそう答えるよな。要するに間違ったこと自体ではなく、自分に責任が問われることが死ぬほど怖いのである。ようがす(とは言わないか?)あっしが全責任をとりますので、ここんところはどうぞおまかせを…という局員なり、店員なり、駅員なり、社員なり…は現代日本には絶対に存在しないのである。あゝ安全で間違いない日本….
 規格どおりの商品を産み出すことにかけては世界に冠たる日本。ちょっと小さすぎる例かも知れないが、たとえば日本のタバコは、暗闇でも手探りでセロハンの開け口のぽっち(あれ何て言うのかな?)を見つけ、造作なくタバコを取り出すことができる。しかしたとえば、ですぞ、スペインではそれが実に難しい。つまり箱ごとに微妙にぽっちの位置が違っていて、暗闇でタバコを抜き出すのは至難の業となる。
 ことほど左様に、たばこだけじゃなく、社会のあらゆる仕掛けがていねいかつ安全に作られている。そして人間も….ありがたいことに治安もたぶん世界一いいのではないか。いや、そのことにいちゃもんをつけているのではない。日本はあまりにも快適かつ安全に出来上がっているので、想定外のことになす術(すべ)を知らないと言いたいのである。
 たとえば今日の局員。成熟したまともな人間ならとうぜん備えているべき咄嗟の判断、臨機応変の対応ができないのである。ファーストフードの可愛い(とはかぎらないけれど)女の子が、マニュアル通りの応対をするならまだしも、妻も大きな子どももいる立派な大人が、非常時での適正かつ迅速な判断やら対応ができないのである。
 話を急に大きな問題に広げたとおっしゃるのか? いやいや、初めから局員の応対なんぞに問題を感じたのではありません。今回の大震災、というよりはっきり言って原発事故に関わるすべての事象(この言葉もよく使われましたな)で、あまりにも「想定外」という言葉が飛び交っていることが気になってました。そしてその根っこには何があるのか、つらつら考えていたのですが、今日ようやくその答えが見つかったのであります。つまり日本の社会があまりにも規格どおりに、マニュアルどおりに、安全に、確実に、作られていること、いやそれが悪いのではなく、それにあまりにも慣れすぎているという事実こそが問題ではないか、と思い至ったのであります。
 事故後すぐの、自衛隊のヘリコプターによる放水作業の折もそうだった。隊の内規に定められた放射線数値を超えたから作業を打ち切ったと聞いて唖然としたのだが、もしかすると事故後の初動対応にも、内規で想定されたものとは違った事態に直面して、そのときとうぜんしなければならない行動に踏み切れなかったということはなかったのだろうか。組織内の統一ははかられていたとしても、それとは別の組織との共同作業など想定外のことゆえ、もっとも大事な相互信頼がないまま、ばらばらな対応をせざるを得なかったことはなかったか。日本式経営システム(たとえば稟議書)が想定外の事態ではまったく無力だったのでは。部下あるいは現場が上司にお伺いを立てなければ動けないような、平常時ならうまく機能するシステムがかえって仇になったのではないか。
 いやいやそんな大問題まで話を進めるつもりはなかった。ただ我が愛する日本が、日本人が、平常時だけでなく非常時にも、いやそのときにこそなお沈着冷静に、しかも人間らしく行動できる社会そして人間であってほしいと願うだけである。授業料としてはそれこそ想定外の高額とはなったが、この大震災の経験を生かさない法はない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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