岩屋寺の夕べ

昨日は久しぶりの夜間外出をした。映像作家・田渕英生さんからのお誘いで、上太田の岩屋寺(がんおくじ)で行われた演劇グループ「タイチキカク」による身体詩と、ピアニスト谷川賢作さん(詩人俊太郎さんのご長男)のコンサート鑑賞のためである。
 夜道だし初めての場所なので一緒に行ってくれる人を探していたら、原町二中の先生をしている辻明典さん、というより例の「サンプラスイチ語学塾」の有力スタッフとなるはずの辻君、が車で同道してくれることになった。彼は福島市での法事からのとんぼ返りなので少し遅れることを見越していたが、思ったより早く迎えにきてくれ、ほとんど定刻に間に合った。岩屋寺は夜目にもかなり大きな立派なお寺のようだ。観客が八十人ほども集まっていたろうか。
 上演の前、袈裟で正装した六人のお坊さんたちの読経があり、そのあといよいよ身体詩が始まった。つまり本堂がそのまま舞台に早代わりしたわけだ。舞台の袖から、というより祭壇の横から、それぞれ大きなスーツケースを持った三人の男女が登場した。どこか観光地に出かける設定だろうか。彼らは時おり声も出すし、パントマイムとは明らかに違う体の動きをする。「身体詩」なるものとの初めての出会いだったが、下手に意味を詮索するより、彼らの動きを先入観無しに追うことにした。そう若くも無い(と思う、失礼!)三人の肉体は、表現のために鍛え抜かれた美しい動きをしていて、無駄に肉がついて衰え行くわが肉体に思わず思いが走ったが、それも雑念、と振り払って「ただ見る」ことに徹した45分だった。
 第二部のピアノ演奏の前に、田渕さんが震災後、南相馬で撮った映像から成る10分ほどの映像詩が上映された。途中、当時まだ歩けた美子と私が、夜の森公園の坂を登っていくカットがあり、事前に田渕さんから教えてもらってはいたが、三年前の老夫婦の後姿にドキリとし不思議な感覚に捉われた。
 最後は谷川さんの弾き語りの入ったジャズ・ピアノの軽快な演奏。お話も間に入ったが、わずか4、5メートルの距離なのに、急速に難聴が進んだ我が耳には良く聞き取れない。いよいよ補聴器が必要になったのかも知れない。最後の演奏の前に、だれか地元の詩人が自作を朗読し、それに若い女性のフルートと谷川さんのピアノが伴奏した。詩人とフルート奏者の紹介もあったはずだが、これまた我が耳には聞き取れなかった。詩と音楽のコラボレーションを聴いてはいたが、しかし私の視線はもっぱらフルート奏者に向かっていた。つまりこれほど均整のとれた見事な立ち姿はバレリーナにもモデルにもいまい、などとまたもや雑念に悩まされた昨夜の貞房氏でした。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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岩屋寺の夕べ への4件のフィードバック

  1. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    昨日、国立劇場で東日本大震災復興支援の『東北の芸能』という公演を観て来ました。
    東北六県からそれぞれひとつずつのグループが参加したのですが、福島県からは南相馬市の「相馬野馬追太鼓」が出演しました。とても勇壮な演奏で迫力満点でした。
    他は、男鹿市の「なまはげ太鼓」、山形市の「花笠踊り」、石巻市の「寺崎のはねこ踊り」、青森市の「青森ねぶた囃子」、奥州市の「鹿踊大群舞」です。
    どれもすばらしい舞台でした。
    東京のマスコミは「三月ジャーナリズム」に堕してしまっていて、震災のこともあまり報道しませんが、客席は満席でしたし、各県の出店にも人が群がっていました。福島県が一番人気があったように思います。

    ところで、私の出身地(石川県)にALS患者を支援するグループを主宰している知人がいるのですが、以前その人が中心となって谷川俊太郎さんの詩の朗読コンサートを何回かやったことがありました。伴奏は谷川賢作さんのグループでした。
    今回の記事を読んでその頃のことを思い出しました。
    賢作さんのピアノは優しさにあふれていて私は好きですね。

    ただ、最近は私も聴力が衰えたかなあと思うことが時々あります。 
    今日の午前中は自動車学校の適性検査というのを受けて来たんですが、職員の説明があまりよく聞こえないんですね。職員の声が小さ過ぎるのかも知れませんが、というか、そういうことにしておきます。
    適性検査といっても、知能検査や心理テストみたいなもので運転には全然関係ないものでばかばかしいのですが、受けないと教習させてくれませんので仕方ないです。

    それから、先月、農家民宿一番星に2回目の宿泊をしたのですが、佐藤さんはすでに退職されたとのことでした。
    11月には石川県の友人夫妻と合流してまた泊まる予定です。
    それでは。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    上出さん、お久しぶりです。『東北の芸能』、盛況だったようですね。おしゃるとおり、このところマスコミばかりでなく気の滅入ることばかり続いていて元気が出ませんが、そんなときに勇壮な和太鼓演奏は気分的に助かります。
     自動車免許更新のことですが、私の場合は高齢者講習があり、2時間半も自動車学校で講習を受けなければなりませんでした。前回の場合は確か自分の車で実車講習でしたが、今回は学校の慣れない車でしたから初め大いに戸惑いました。でも地方では特に高齢者の事故が多発しているので、こういう講習は絶対に必要でしょう。しかしゲーム機器みたいな運転席に座らされての講習は機械操作に慣れないうちに時間が来てしまい苦痛でした。それでもなんとかパス。明日警察署に免許証受取りに行くところです。
     谷川俊太郎さんはまだ若いはず、もしかして徹三さんのご長男かも、と思ってましたら俊太郎さんも今年83歳なのですね。このごろ他人の年齢が分からなくなってきました。ま、歳のことは気にせず、若いつもりで頑張ります。
     S君は現在、パソコン関係の仕事を始めました。たとえばホームページ作成などの御用があればよろしく。
     11月に南相馬にいらっしゃるとか、お時間があればお友達とご一緒にお寄りください。お元気で。

  3. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    私、免許証の更新で行ったのではないのです。
    大型自動二輪車(いわゆるナナハン)の免許を取ろうと思って入校したわけです。
    先生も驚かれるかもしれませんが、受付のお嬢さんは驚いたようです。「何でこんなおじさんが?」と言う顔をしていました。無理もないですけどね。
    でも、普通自動二輪車(中型バイク)の免許を持っていることを確認したらほっとしていました。
    田舎は足がないので、400ccのバイクが置いてあって、帰省するたびに乗り回しているので運転にはわりと慣れています。
    先日帰省した際も日帰りで250キロくらい乗りました。
    58歳で普通自動二輪車の免許を取って、今度は62歳で大型ですからね。我ながら呆れています。
    でも、今日の適性検査には同年配の人がいましたし、実際にバイクに乗っているのは今はだいたい中高年です。
    来週から乗りますが、楽しみながらのんびり通うつもりです。
    合格したらまたお知らせします。
    それでは失礼致します。

  4. 田渕英生 のコメント:

    一昨日はお運び頂きありがとうございました。
    まだまだ南相馬との縁は色んな形で続いていくと思います。
    次はまたゆっくりお話しをうかがいにいきたいと思っておりますので
    よろしくお願いいたします。
    お元気で!!

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