般若峠遺聞

今朝、急に思い立って、埴谷さんの『不合理ゆえに吾信ず』を探しに新棟二階階段横にある書棚に探しに行ったのだが、当の探し物は見つからず、代わりに思わぬ収穫を得て降りてきた。それらは本棚最下段奥に埃まみれになっていたもので、おそらくあの大地震のあと、奥に落ち込んでいることに気づかないままにしておいたのであろう。一冊目はベゴーニャ・ロペス『死がお待ちかね』(竹野泰文訳、文藝春秋、1989年)、もう一冊は鶴見俊輔『埴谷雄高』(講談社、2005年)である。
 前者の著者略歴を見ると、1923年キューバ生まれの心理学者・教授で、本作が1989年のサントリーミステリ大賞の最終候補作に残った知らせを受けた後、逝去とあった。買ったことさえ忘れていた本だが、プロローグを読んだ限りなかなか面白そうで、彼女の追悼の意味でもたぶんその先を読むだろう。
 さて問題は、というか、わざわざ報告しようかな、と思ったのはもう一冊の方である。鶴見俊輔が埴谷さんと親しい哲学者であることは承知していたが、実はこれまでまともに彼の作品を読んだことはなかった。この機会に読んで見ようか、と思ったこともそうだが、文中或る引用文が眼に留まったからだ。以前このモノディアロゴスでも触れたことがあるが(右上の検索エンジンを使えばそれがいつかすぐ分かる)例の般若峠について埴谷さんが鶴見俊輔に向かって語っているくだりである。短いので引用する。

「故郷は福島県相馬の小高なんですが、夜、小さい山を越えて自分の家へ帰るとき、道がどうなっているかわからないんです。下は断崖ですから、落ちないように反対側の崖を手でさわりながら、曲がった道を少しずつおりて行く。そしてある程度まで行くともうだいたいの感じですっすっと行けちゃうんですが、落っこちかもしれないと思いながらも、またさわってみる。結局歩いてみれば家へ到達するわけですが、初めはどこに家があるのかわからないんですよ。
 だから、どちらかといえば、白昼の人は論理派でいわゆる哲学者なんですね。ところが、夜の人は夢の世界と闇の世界、で文学者なんですよ」

 この般若峠のことを知ったのは、既に書いたように小高浮舟文化会館での文学講座受講者と一緒に般若邸跡を訪ねたとき、たまたま近所の人から教えてもらったのが最初である。いつか機会があれば、小さな案内板でも建ててもらうつもりだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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