釣りは短気な人に向いている、と言われている。常識的に考えればその逆のような気もするが、でも何となく分かるような気もする。美子の食事の世話は、言って悪いが、まるで釣り糸をたれて魚の「引き」の瞬間を待つ釣りに似ている。といって私自身はこれまで本格的な釣りを楽しんだことはないが。
匙、それも大きさ・形・厚さがこれでなければ駄目という代物、をちょんちょんと唇に触れて、いろんな呼びかけをしながら口を開ける瞬間を待つのだが、これが実に難しい。なぜなら、美子はいま食事が口元に差し出されていることを認識できないからだ。かといって、一度料理の美味しさを味わったら次々と口を開けてくれるというわけでもない。
先夜の賑やかなパーティーで一気に完食したように、その時の雰囲気などに左右されることはある。実はパーティーの翌朝、宿泊客の三人を夫婦の部屋に招いて介護体験をしてもらった。そのときもなかなか口を開いてくれなかったが、入れ替わり立ち代り匙を近づけてもらっているうち、菅さんが「美子先生!」と声をかけたら思いなしか笑顔になり口を開いたではないか。
美子が東京純心高校の英語教師であったことをいまでも覚えてて、菅さんは何時も「美子先生」と呼んでくれるのだが、そのとき、この言葉がアリババの「開けゴマ!」効果を及ぼしたわけだ。その時以来、私も困った時にこの呪文を唱えることにしている。
ところで釣りと食事介護の類似性に話を戻すが、いつ釣れてもいいよ、と悠長に構えている人とは違って、短気な人は、いわば瞬間瞬間が勝負とばかり緊張して待ち構えているから、浮子(うき)のわずかな動きにも即応する。食事介護の場合も、相手の口元のわずかな変化も見逃さないし、口の中に食べ物が詰まっているな、と感じたら、即座にアクエリアスの吸い口を持っていって水分補給をしたりする。
だから食事介護は……疲れます。一回の食事にたっぷり1時間以上かかるから、それが一日となると……怖いので数えないことにしています。
要するに、短気な私もずいぶんと鍛えられて忍耐強い男になりました。だから我が瞬間湯沸かし器も最近はほとんど機能しなくなっていたが、ここにきて小さいながら三回も沸騰した。しかし食事介護の話が長引いたので、その内の一つ、いかにもちっちゃな沸騰の話だけにする。舞台は最多出場の郵便局である。
ばっぱさんの『虹の橋 拾遺』を五つほど「ゆうメール」で送るため窓口に出した時、何時もの局員ではなく、見慣れぬ新人らしき女の子が応待したが、封筒横の小さな窓(?)に指を突っ込んで中を見ようとしている。思わずドスの聞いた声で注意する。「おいおい、さっき言ったとおり本しか入ってないよ!」「あっ、すみません」「それにねえ、さっき出したレターパックだけど、どう見たって3センチの厚さなど越えてないよ、正確に言えば1センチ5ミリ強。それをだね、客の目の前でこれみよがしに(?)定規で測るとは嫌味だねー。プロならちょっと見ただけで計りもしないぜよ」
世界の郵便事情など知らないが、あの「ゆうメール」ってのは奇妙なシロモノでんな。つまり「信書」もしくは「手書きの書き物」は送れないという規則。おそらく旧郵政省あたりから続く律儀な規則だろうが、たとえば信書が本のあいだにでも隠されてあったとして、小さな窓からいくら内部を覗いても見えるはずがない。要するにお客さんの良心(?)を試すような、実に日本的というかみみっちい規則である。
つまりでんな、「国歌斉唱」と言ったら、隣りの人が「口ぱく」かどうかなど詮索しない。「信書」は送れません、と言ったら、入ってるかどうかを疑うようなみみっちい心根を捨てること。もっとおおらかに生きませう!
それに二日と日を置かずに利用しているお得意さんに対して、その良心(?)を疑うような「調べ」をするなんてことは、アキンドの風上にも置けぬ失礼千万なふるまいだということ。民営化など言葉だけのものであることはこの一事をもってしても一目瞭然…
おっと他の二つのちっちゃい沸騰まで書いていたら、またもやポコポコ沸騰し始めちゃうんで、この辺で止めておきます。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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