ひさびさに G. グリーンの『おとなしいアメリカ人』(1955年)という小説のことを思い出している。書棚から持ってきてはみたが、果たして読んだかどうか、すでにして定かではない。だったら読み直そうか、といえば、実はその気もない。ただ漠然と、この小説は一人の善意のアメリカ人がサイゴンの町を歩く先々で彼を狙うテロが勃発し、無辜のベトナム人が次々と死んでいくというストーリーであったことだけは覚えていた。つまりこれは、ひとりよがりの善意のアメリカがインドシナ問題に介入することによってあのベトナム戦争という底なし沼のような悲惨な戦乱を招き拡大したことを批判した小説というわけだ。
でも思い出したきっかけは、そんな大仰なことではない。ある一人の善意から発した行為が思わぬ展開になったこと、つまりあるものの崩壊(とでもボカシておく)のきっかけとなった或る出来事である。その事実を彼に何回かメールで指摘したが一向に返事がない。なにか性質(たち)の悪いヤクザにでも絡まれたと思っているらしい。しかしどうしても連絡したいことがあって、直接電話してみた。そして恐れていた通りの展開になってしまった。つまり当方のロートル湯沸かし器が一気に沸騰したのである。
いや善意から発したものであることは当方も認める。しかしそれが思わぬ結果をもたらしたことに対してちょっとでも遺憾の意でも示せば、沸騰は起きなかったであろう。などとおのが沸騰器を絶対視するのも可笑しな話ではあるが。要するに相手は、しつこいクレイマーを前にしたどこかの店員のように、ひたすら責任逃れの態度に終始したのである。相手が一般人であったからいいようなものの(?)、もしも彼が教員とか坊さんとか神父さん、つまり生徒や信者さんの、時には家庭のことにまで相談に乗るべき人だったとしたら、それだけで彼の態度はその資格を疑問視させるに充分である。
それなら他人に対する善意の発動を控え、他人事には口を挟むな、とでも言いたいのであろうか。いやいや決してそうではない。善意は最後まで、つまり途中で我関せず焉と逃げるのではなく、とことんその善意を貫く、つまり最後まで責任を取るべきであるということである。例えばあのドン・キホーテである。彼はときに善意の思い込みでおよそ場違いな行為に及んだ。宿場のいかがわしい職業の女たちを官女ととり違えて、丁重に扱う。女たちはそんな彼を笑いものにするが、しかし彼はあくまでその「信念」を貫き通す。するとどうなったか。そこに不思議な奇跡が起こるのだ。つまりそのうち彼女たちの内面に隠れていた気高さ、人格本来の資質が現れ出てきたのである。
先の話とうまく繋がらなかったかも知れないが、要するに人に善意を示す時は、それが思わぬ展開になって、その善意が事態の悪化を招くような時は、その状況を出来うるかぎり修復することにも力を尽くすべきであるということである。ならば面倒、他人のことに容喙するのは差し控えよう、と言う人にはあのドン・キホーテの無償の愛を思い起こしてほしい。なーんてこれは自戒の意味も込めて言ってます。
話は例によって突然変わるが、昨日久しぶりに鹿島の寺内によっちゃんを訪ねた。ところが何たることか「ホームなごみ」は無人となっていた! 慌てて近くの集会所を訪ねて聞くと、先月末をもってそこは閉鎖され、老人たちはそれぞればらばらに分散したという。誰がどこに行ったか全く知らされていないらしい。それで家に帰ってから、仙台に避難している彼女の長男の J に電話で聞くと、現在は石神にいると言う。
出来るだけ早く本を渡したいので、今日の昼前、ベッドに寝ている美子のことを心配しながら、その「グループホーム石神」とやらを探しに行った。住所は大木戸。駅前通りを四葉通りを越えてまっすぐどこまでも進むと石神に入り、見当をつけていた辺りにあったコンビニで聞くとそこを左折して5、6百メートル行った右側にあるという。最初は行き過ぎて、通りがかりの人に聞きながらようやく見つけた。
今度は仮設ではなく一昨年だかに出来た新しいホームで、案内されて広間に入ると、いたいた元気なよっちゃんが。最初きょとんとしていたが、「たーちゃんだよ」と近づいていくと分かって喜色満面のいつものよっちゃんになった。ばっぱさんの『虹の橋 拾遺』と司馬遼太郎の『竜馬が行く』の文庫本を4冊の合本にしたものをお土産として差し出した。95歳なのに私より耳はいいし、頭もはっきりしている。しかし可哀想なのは、さんざたらい回しにされて今自分がどこにいるか分からないことである。
お昼の食卓の準備が始まったようなので、近くまた来るからと別れを告げた。別れ際、思い付いてコピーしていった四人のいとこたちの二十歳ごろの写真、すなわち健次郎と敏雄(後の作家島尾敏雄、二人は同い歳のいとこ同士)と誠一郎と千代(長男と長女)の二枚の写真だ。たぶんよっちゃんの今夜の夢は、仲の良かったいとこたちとの青春の思い出だろう。よっちゃん、千代ねえちゃんは青森くんだりまで連れて行かれて向こうで死んじまったが、よっちゃんは健ちゃんと同じく百歳を軽ーく越えて長生きすっぺー。今までは一緒だった愛はもう来れなくなったけんちょも、前より近くなったぶん、これから何度も訪ねてくっから、と言うと、よっちゃん心から嬉しそうな笑顔になった。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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