長い夜の過ごし方

先日、どこかでとても痛ましい事故があったようだ。おじいちゃんが運転する雪掻き車(?)がバックする際、幼い孫をひき殺してしまった事故。詳しく調べる気にもならないほどショッキングな事故だ。轢かれた孫(さて男の子だったか女の子だったかそれさえ確かめる気にもなれない)はもちろん可哀想だが、そのおじいちゃんのことが気になって仕方が無い。
 私だったらどうしただろう、と考えてしまう。介護しなければならない美子がいなかったら、もしかして巡礼の旅に出たかもしれない。事故のことは忘れて、などとはとてもじゃないけど言えない。だいいちそれは無理だ。心休まる日など一日、いや一瞬たりともない余生。
 そんな痛ましい事故とはまるっきり別次元の、ちょっぴり残念な出来事もあった。テレビをほとんど見なくなって久しいが、それでもサッカー・アジアカップの日本戦だけはなんとなく見ていた。UAEとの準々決勝戦、もちろん見ていた。大苦戦の末のPK合戦で香川が失敗して4対3で敗退した。準決勝、決勝と楽しみにしていたのに残念至極。
 ただ最初に失敗した本田と香川の対照的な性格が印象に残った。香川はひたすら謝り、号泣したようだが、本田は失敗したあと、顔色一つ変えなかった。そこが勝負師と言えば言えないことも無い。まさに勝ち負けは時の運である。失敗のあと後続の仲間を思ってか動揺のそぶりも見せなかったのは天晴れ、という見方もあろう。しかし試合後、「われわれは未熟だった」とのコメントしか聞こえてこなかったことについては疑問を感じる。楽しみを奪われたたくさんの人たちのために「われわれ」ではなく「私は未熟だった、応援してくれた方々に心からお詫びしたい」くらいの言葉を言ってもいいのでは、と思う。
 香川には、あのおじいちゃんには言えなかった慰めの言葉をかけてあげたい。「いいよいいよ香川。一日も早くこの失敗を忘れたまえ。必ずこの失敗を完全に帳消しにする活躍の機会がやってくるから」と。
 もしかすると本田もだれも見ていないロッカールームかどこかで髪をかきむしって悔しがり、同時に多くのファンに向かって心からの謝罪を、いややはりそれは人前で表現してほしい。そうすることは決してかっこ悪いことではないはずだ。本田のトレードマークのカッコマンの殻を破って欲しい、とは無いものねだりか。
 このごろテレサ・テンの歌謡名曲集をCDで聞きながら、ときおり変な合いの手を入れるクセがついてしまった。たとえば江利チエミの「酒場にて」で、

「死ぬことも出来ず今でもあなたを想い、
 今日もひとり酒場で 泣いてる私
 また長い夜をどうして すごしましょう」

ときたら、間髪を入れず「知るかーっ」と叫ぶクセ。美子は分からずキョトンとしてるが。
 もしも私が、

「今日もひとり無聊をかこつ私
 サッカー戦が消えてしまったいま
 また長い夜をどうして すごしましょう」

と歌ったとしたら、どこかでだれかが即座に「知るかーっ」と叫ぶかもしれない。おーこわー。でも、ごもっとも。

※蛇足
「アジアカップのことを言って、例のイスラム国日本人人質事件に触れないって訳にいかんしょ」
「なぜ? 僕はなにも時事評論家じゃないぜ」
「いや、そうは言っても…」
「ほんとのこと言うとね、何も言いたかない。でも自己責任論が出てくる頃合いだとは思ってた」
「やっぱり気になってたんだ」
「もちろん気にはなっていた。でも先ほどの本田選手についても言ったことだが、カッコマンは困ったもんだね。つまり積極的平和主義とかなんとか勇ましいことを言ってた人の本当の狙いは、自分も大国の大統領や首相と肩を並べて、国際舞台でかっこいいとこ見せよう、といった程度のことで、それに当然伴う危険や責任についての覚悟が出来てないことだけははっきりしたね。2億ドルだかの援助云々のことだって、なにも出先の舞台で派手に宣伝することもないと思うよ。これまで日本の政治家は自己宣伝が下手だと言われてきたが、下手の方がいいこともある。例の【おもてなし】だって、言葉に出さずに無言でやるところに奥床しさがあるわけで…」
「首相はともかく人質本人についてはどう思ってる?」
「ジャーナリストの方はともかく、なんだいもう一人の民間軍事会社の最高責任者とかいう人、銃を弄ぶただのガンマニアにしか見えないけど」
「それこそ自己責任?」
「それについては、ノーコメント。君だったら分かるしょ、ボクの言いたいこと?」
「まあね」
「ともかくこの問題については、あまりしゃべりたくない。ただ、またぞろ出てきた論評に、日本という国、そして日本人だって、このような問題多き国際社会の一員なんだから、拱手傍観は無責任だ卑怯だ、という意見に対しては、こう言いたい。もともと人間社会は,とりわけ近代国家というものはすでに賞味期限が切れて金属疲労もいいとこ。先ほどの【おもてなし】じゃないけれど、ずるいことをしたり漁夫の利を占めることさえしなければ、あまり出しゃばらずに、争わずに、静かに笑いながら、国際社会の安定のために必要なことを真面目にやっていく、という国のあり方もある、いやその方が結局は自国のみならず世界の平和のために貢献できると思うよ。まっ、そんなとこかな」
「なんだかうまーくはぐらかされたような気がするけど」
「気にしない気にしない」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

長い夜の過ごし方 への1件のコメント

  1. 守口 毅 のコメント:

    私が知ってる佐々木孝兄いへ
    最近もう一人登場しましたので・・

    サッカーアジア杯と云い、イスラム国の人質事件と云い・・愚弟のひとりとして、まったく同じ感想を抱いています。特に人質事件のほうは、戦後70年、自身の身を晒したことのない国際政治の修羅場にどうやって相対できるというのでしょう。日本の国内でしか通用しない論理を展開するだけならば、ひたすら謙虚に行動するしかありませんね。ええかっこしいの”積極的平和主義”は危ないことこの上なしです。

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