今朝方、寒さで眼が覚めた。直前、夢の中で一生懸命四文字熟語を探していたようだ。そしてついに見つけた、「そうだ竜頭蛇尾だ!」。夢うつつの中で、頭の部分は暖かなのに足の部分が寒いことをなんとか表現しようと思っていたらしい。足の方の掛け布団がずり落ちて毛布だけになっていた。朝方の目覚める直前の夢とも現ともつかぬ中で(以前この状態を表すために半覚半睡などという新語を作ったこともある)いろんなことを考えるクセがついてから久しい。中には後から役に立つアイデアもあるが、もちろんその大半は、今朝見た夢のように後から考えると何のことか見当もつかぬガラクタである。
今日の午後は、と話は変わるが、いつのまにか雪になったり、何気なく見た衛星テレビの映画に泣かされたりで気が紛れたが、このごろ夕方近くなるとやけに寂しくなる。これも以前作った言い方だが、「まるで酢漬けになったような」寂寥感に襲われる。或る人に「あなたには愛する奥さんがいるから」と言われたが、その奥さんは一切の意思表示もできないので、もしかすると独り身の寂しさよりさらに過酷な寂しさかも知れない。
そんなわけで(?)、以前より増えてきたと思われる独居老人のことを考えることが多くなった。ともかく良く耐えている、「偉いな」と思う。私など書くことによって幾分その寂しさを紛らわすことが出来るが、その手立ての無い老人はどのように耐えているのだろう、と感心してしまうのだ。
ところで今日の午後観た映画は以前も一度さらっと観たことがあって、その時は変わった映画だな、くらいの印象しかなかったが、今回、それも途中から見たのだが、とうとう最後まで観てしまった。おまけに、最後あたり、いつの間にか涙が出るほど感動させられた。その映画とは、ラッセ・ハルストレム監督、ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ主演の映画『ショコラ』である。非常に保守的な村長が支配するフランスの小さな村に、ある日謎めいた母娘がやってきてチョコレート・ショップを開店する。禁欲的なこの村には似つかわしくない店だったが、母ヴィアンヌが客の好みにあったチョコを見分ける魔法のような力で、次第に村人たちをチョコの虜にしていく。当然のように、村長や村人からの反撥をくらい、いくつか騒動が持ちあがるが、最後はハッピーエンドで終わってほっとする。
私の言う「平和菌」も彼女のショコラのようなものだが、それについていつかまた話す機会もあるだろう。
ともかくアメリカ映画としては異色の雰囲気と内容を持った映画だが、自分自身のこのごろの精神状態に波長が合ったのか、最近にないほど感動してしまった。北風に導かれるように諸国を旅してきた女主人公にも惹かれたが、そんな個性的な母親に健気について歩く小さな娘アヌークに自然と眼が行った。このごろ、スーパーなどで小さな女の子を見かけると、ついその姿を追ってしまう。なにロリコンか、だって? とんでもない、ハイジの、ネロの、あるいはピノキオのおじいちゃんたちと同じ純粋な祖父愛どす。
話はまたぐーんと飛んでしまうが、例の名古屋の女子大生が犯した殺人事件にもいろいろと考えさせられている。これまでだって異常で猟奇的な事件がなかったわけではないが、この女子大生の深い闇に震撼させられている。確かに異常な事件だが、彼女が長いあいだ彷徨していたその出口のない深い森は、だれの心にも幾分かの影を落としていて、決して無縁とは言い切れない怖さがある。『ショコラ』の村長のように、世の穢れ、罪を糾弾するに急のあまり、おのれの中にもあるその闇を自覚しない傲慢…いかなる教育、説教、説諭も届かない深淵…忌避し隔離するだけでは決して治癒することのない人間社会の病巣…その事実に思いを致して謙虚になること…
【息子追記】立野正裕先生(明大名誉教授)のコメント転載(2021年3月13日記)。
「おのれの中にもあるその闇を自覚しない傲慢…いかなる教育、説教、説諭も届かない深淵…忌避し隔離するだけでは決して治癒することのない人間社会の病巣…」いずれも深く考えさせられることばかりです。