ほとんどテレビを見ないと言っても、たまたま点けたチャンネルから気になるニュースが飛び出てくるのは避けられない。この数日間で一つ気になる報道があった。どこかの小学校(もしかすると中学校か)で授業中に例の人質処刑の映像を子どもたちに見せた教師が、父兄からもマスコミからも集中砲火を浴びているというニュースだ。
私が学校の先生だったら、さあ見せただろうか。たぶん見せなかったかも知れない。しかしそれは単に面倒臭いからであって、現今の世界状勢を生徒たちに真剣に考えてもらう熱意があり、そしてそのための教材としてその映像が効果的だと判断したら見せるかも知れない。
要するにそうした映像を見せることそれ自体が絶対的にしてはならぬことではないはずだ。つまりそれが教材として適当であるかそうでないかは、その教師の判断と力量次第だということである。もちろん見せるからには、それ相当の配慮が必要である。といって特に難しいことではない。要するにこれを見せる教師と生徒が、こうした残酷で無残な事件も自分たちの生きるこの世界で起こっていることであり、自分たちとも無関係ではないことをしっかり認識すること。つまりこうした出来事を臭いものには蓋式に無視したり避けたりするのではなく、こうした悲惨な事件がなぜ起こるのか、それを防ぐためには何が必要なのかを一緒に考えることである。赤信号、みんなで渡れば怖くない、とは違うが、共に立ち向かうことで悪影響から身を守ることが出来るはずだ。
今の時代、教室で見せられなくても、テレビやインターネットを通じてそうした映像はいくらでも児童の眼に入ってくる。深夜、一人でそんな映像を見たら確かに問題であろう。しかし教室で教師の適切な解説と問題点の指摘がきちんとなされるなら、凡百の教材をも凌ぐ立派な教材になりうるはずだ。この場合大切なことは、先ほども言ったように、教師を含めて多くの友人たちとその体験を共有することである。
つまりこの世には眼を背けたくなるような事件なり出来事があることを、あたかも無いかのように避けるのではなく、しっかりそれを認識し、それについて共に考えること、共に立ち向かうことが大切なのだ。件の学校が小中いずれか分からないが、小学校高学年だとしたら、子どもであってもそのくらいのことをしっかり理解できる強さを持っている。
これもたまたま眼にした番組だったが有名な女性キャスターAが、そんなことをする教師がいるなんて信じられない、といったようなコメントをしているのを見て、そのキャスターの見識が見掛け倒しでお粗末であるかに初めて気がついた。
ともあれいま日本はあらゆるところで臭いものには蓋、といった風潮がはびこっている。すべてはパフォーマンス、見掛け倒しである。先日も日本マクドナルドの総責任者とかいうアメリカ人女性が、例のペコリ・パフォーマンスをやっているのを見て世も末、と感じ入った。
こうして出来上がるのは、先日の辻明典君の言葉を借りるなら「とりあえずの生」であろう。すべてが宙に浮いている生、まるで旅先でのような不安定でとらえどころのない生。つまり限りなく重心が高く、メダカかイワシの大群のようにみな同じ方向を目指して迷走する社会に成り下がっている。オルテガの言う大衆化社会の極みである。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 【再掲】「サロン」担当者へのお願い(2003年執筆) 2023年6月2日
- 再掲「双面の神」(2011年8月7日執筆) 2022年8月25日
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 1968年の祝電 2022年6月6日
- 青山学院大学英文学会会報(1966年) 2022年4月27日
- 再掲「ルールに則ったクリーンな戦争?」(2004年5月6日執筆) 2022年4月6日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 【ご報告】家族、無事でおります 2022年3月17日
- 【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」 2022年3月10日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 82歳の誕生日 2021年8月31日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- オルテガ誕生日 2021年5月9日
- 再掲「〈紡ぐ〉ということ」 2021年4月29日
- ある追悼記事 2021年3月22日
- かけがえのない1ページ 2021年3月13日
- 新著のご案内 2021年3月2日
- この日は実質父の最後の日 2020年12月18日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 母は喜寿を迎えました 2020年12月9日
- 新著のご紹介 2020年10月31日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 浜田陽太郎さん (朝日新聞編集委員) の御高著刊行のご案内 2020年9月24日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- La última carta 2020年5月23日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- ¡Feliz Navidad! 2019年12月25日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 最後の大晦日 2019年9月28日
- 80歳の誕生日 2019年8月31日
- 常葉大学の皆様に深甚なる感謝 2019年8月11日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- 今日で半年 2019年6月20日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 私の薦めるこの一冊(2001年) 2019年5月15日
- 静岡時代 2019年5月9日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 鄭周河(チョン・ジュハ)さん写真展ブログ「奪われた野にも春は来るか」に追悼記事 2019年3月30日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- かつて父が語っていた言葉 2019年2月1日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- 【家族よりご報告】 2019年1月11日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日
いつも拝読しております。このことにつきまして、おっしゃる通りのように考えておりました。思い出したのは昨年か一昨年か、広島の原爆を描いたマンガ「はだしのゲン」が図書館で閲覧制限がかかったことが問題視されたこと。そのときは、そう判断した図書館や学校に対して逆の集中砲火が浴びせられたわけですが、さて今回と、どう区別するのでしょう。
また、「教師の判断と力量次第」という点に強く強く首肯しましたが、これについては、昨今の教師にそれを求めるのは無理筋とも思ったり。そうすると結論は変わらなくなっちゃうんですけど。。
みもころさん、初めまして。
仰るとおり最近の教師にそれだけの判断力と力量があるのか、私も危惧しています。いや、そのような教師が育たない仕組みがいまの教育界の現状だと思います。でもこういう事態に苦しみ、なんとかそれを打開したいと願っている教師も少数ながら必ずいるはずです。私の友人にもそのような青年教師がいますが、彼には今のような時代を自滅しないで行き抜くには、省エネ泳法で泳ぎきれ、と変な助言をしています。つまりことの本質が見えない、分からない人たちや組織との摩擦や小競り合いでエネルギーを消耗せず、いちばん大事なこと、つまり教場や課外での指導や触れ合いを通じて生徒と真剣に渡り合うこと、に専心して、他のつまらぬ約束事や規則などはことさら逆らわず「右から左へ」(なんだかそんな替え歌を流行らせたお笑い芸人がいましたね)適当に受け流す(もちろん揚げ足をとられないように最低限のことはやりながら)省エネ泳法を勧めています。
私ももと教師だからでしょうか、いま最も危機的な様相を呈しているのは政治やマスコミ以上に教育現場だと思っています。目覚めた有為・有意の青年教師たちを側面から応援するにはどうしたらいいのか、そんなことを考えています。みもころさんもどうぞ応援してください。
コメントありがとうございます!
私は教育現場とは縁がなく、(幸か不幸か?)子供もないので、学校・教師と直接かかわるということが残念ながらほぼありません。それでも、政治よりもマスコミよりも教育現場が大切ということ、本当におっしゃる通りと思います。「目覚めた有為・有意の青年教師たちを側面から応援するにはどうしたらいいのか」という視点、とりあえず持つだけでも、ただ政治家やマスコミに文句を垂れているよりずっと建設的かもしれません。
かつて学校でユネスコ憲章「戦争は人の心 の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」を習ったとき、友人と何より大切なのは「(平和)教育だね~」と言っていたものです。うん、正解だ(^^)
現職の教師として
事なかれ主義の現場に疲れ果ててます。
変えたい、そう思っても
一人では無力と感じます。
教員の根本的な考え方を変えさせるような研修を免許更新研修でやるべきです。
企業勤務経験者を教員としていけたたら、リスクマネジメント始め、現状不足している能力を補えるでしょう。
大学生から教育界へ来た者が大半では、保護者の考えを理解出来てないと感じます。世襲制も多いと、私学中高大、企業&主婦などを経て教員になった私など変わり者扱いです。
担任の前で良い子集団にしたい彼らからは、担任のYesMan集団が理想の学校であると言います。
担任には甘えて良いが、
他ではきちんとさせている私は、出来の悪い教員です。子供らとは本音で 話し、
学級はHOME(家庭)ROOM(部屋)とすると、統制が取れてないと見られるようです。静かに学習しても、担任に対等に意見を言ってはいけないのでしょうか。
押さえつけの生活が、いじめを生むと感じます。強者が弱者を支配する見本です。
意見の言える風通しよい思想は、いじめを抑制する力をもちます。
皆さんは、どう思われますか。毎日のように非難されるとわからなくなってきます。
あ!さん
あなたのおっしゃっていること、本当にそうだと思います。まともな教師にとって、実に受難の時代だと思います。これまでも何度も言ってきましたが、今、とりわけ震災・原発事故の後で、本当の改革が必要なのは先ずは教育界だと思います。どうしたら現状を変えることが出来るか、皆で本気に考えていかなければなりません。他の人からも考えを聞きたいですね。ともかく、どうぞ頑張ってください。