記憶三題噺

埴谷さんのことを考えていたときだった、難解という言葉が先ず浮かび、それからの連想で南海という言葉が続き、そしてむかし帯広三条の家の近くに、病上がりの本好きのお兄ちゃんが物置みたいな離れに住んでいて、彼の蔵書の一冊に南洋一郎の『南海の孤島』とかいう本があったことを思い出した。
 さっそくアマゾンで検索してみると、そんな本はなく、あったのは『緑の無人島』という海洋小説。記憶なんぞ当てにならないものだ。その小説は「少年小説大系」という三一書房のかなり立派な叢書に池田宣政と一緒の巻に入っている。待てよ、この叢書の一冊、我が文庫にもあったぞ、と探してみたら、第3巻「山中峯太郎集」が見つかった。確かこれはさほど遠くない昔(原町に戻って来てからのはず)『敵中横断三百里』という、題名だけが頭にこびりついていた少年小説に惹かれて購入したまま、まだ読んでいない本だ。
 敗戦をはさんでのあの時代、少年たちがどんな本を読んでいたのか、なぜか気になる。震災後、日本人の原型(?)を知りたくていわゆる「国民文学」と言われる小説類をかなり購入したが(アマゾンの破壊された価格で)まだ一冊も読んでいない。それなのに今度は当時の少年たちの愛読書? ところが彼(って私のこと?)三一書房やほるぷ出版の児童文学リストを見ながらしばし思案投げ首の体。(ここで、もういい加減にせーよ!の声かかる)
 次は確かな記憶が役立った話。昨日マドリード在住の翻訳家■さんから一冊の本が届いた。彼女が最近訳してヒホンのサトリ出版社から出た吉本ばななさんの “Un viaje llamado vida(人生の旅をゆく)” で、なんと「佐々木孝先生♡ よしもとばなな」のサイン入り。さきほど「さん」呼ばわりをしたのは、それこそ大昔、田端にあった吉本隆明氏宅へ或る夜、島尾敏雄・ミホ・マヤさんの三人と一緒に訪ねた時の写真があったことを思い出して、■さんに電送したところ、彼女がそれをマドリードの出版エージェントに伝え、それがばななさんに届いて喜ばれたということがあったからだ。■さん、サトリのアルフォンソとマリアンさん、そして私へサイン入りの3冊をばななさんが送ってくださり、そのうちの1冊が今回届いたわけだ。その写真には吉本ご夫妻、ミホさん、マヤさん、それに6歳と4歳くらいの吉本姉妹と私が写っている。敏雄さんが撮ったものらしい。お姉さんは後の漫画家ハルノ宵子さんである。恥ずかしいのは(いや別に恥ずかしくはありませんが)私がまだ還俗前だからローマンカラー姿なのだ。あゝ遥か昔のことなりき。
 最後は記憶というより夢である。今朝がた見た夢のなんと奇妙なこと! どこか小高い岡の上にある大学の蒙古語(?)学科に、こんどスマップの草彅君が入学するというので、女の子たちが長蛇の列を作って押しかけている夢である。えっどうして草剪君が? スマップなんて好きでも嫌いでもないし、考えたこともないのに。夢の中の私は実在の私とどういう関係にあるのだろう? まったく無関係とも言えないだろうが、実在の私なら絶対に考えられないようなことを勝手にしやがる。
 ただ岡の上、長蛇の列ということでは昨夜テレビで観た『単騎、千里を走る』の中国雲南省のシーンが関係していたかも知れない。ただし映画そのものは張芸謀監督作品ということで大いに期待していたのに半ば裏切られた感がある。主演の健さん、死者の悪口は言いたかないが(だったらやめたら?)、まるで引きこもりを絵に描いたような演技で(あれって地?)もっとしゃきっとしゃべれよ、と言いたくもなる場面が何度もあった。任侠映画ではあれが「売り」だったのであろうが。でも狂言回しの瘦せた人の善さそうな中国人と、あの雲南省の厳しくも壮大な風景に救われた。健さんの息子役、声だけなので気づかなかったが中井貴一さんだったそうな。健さん、中国では絶大な人気があったようだが、『ヘブン・アンド・アース 天地英雄』の貴一さん、あれは実によかった。男ながら(?)惚れぼれするようないい男だった。
 以上互いに脈絡のない三題噺のお粗末、おあとがよろしいようで…♬♫

※追記
 そんな声がかかったものだから意地になって、次の7冊注文しちゃいました。
ほるぷ出版「日本児童文学大系」の
 5. 小川未明集、9. 島崎藤村・有島武郎集、12. 秋田雨雀・武者小路実篤・芥川龍之介・佐藤春夫・吉田弦二郎集、13. 浜田広介集、16. 豊島与志雄集、19. 佐藤紅緑・佐々木邦集、23. 石森延男・山本有三・川端康成集
 以上蛇足の蛇足でした。♬♫

※再追記(2月21日)
 届き始めた「日本児童文学大系」がなかなかの美本なので、回り始めたはずみ車が止まらず、さらに以下の9冊を発注。でもほとんどが例の破壊された価格なのでご安心(だれに向かって言ってる?)。
 6. 与謝野晶子・尾島菊子・野上弥生子・吉屋信子集、7. 北原白秋集、10. 鈴木三重吉集、14. 山村暮鳥・青木繁集、15. 千葉省三集、25. 坪田譲治集、26. 村山籌子・平塚武二・貴司悦子集、27. 塚原健二郎・小出正吾・佐藤義美・与田準一集、29. 南洋一郎・江戸川乱歩・海野十三集

https://monodialogos.com/archives/2153
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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