pillo(いたずら坊主)

今朝とつぜん思い出した言葉がある。ピージョというスペイン語である。大昔、或るスペイン人からつけられたあだ名のようなもの。ところがそのスペイン人が誰であったか、それが思い出せない。おそらく今グラナダの修道院にいるマルドナード神父さんではなかったか。
 思い出すための伏線はいろいろあった。しかしそれらをすべて書くとなると複雑だし、そしてすべてはまさに今ペンディングになっている或る大事な計画に関わること(先日の話とは別の計画)なので、それには直接触れないで、そのきっかけとなったことだけに絞って言うと、三年前『原発禍を生きる』のスペイン語版の訳者を探していたとき、決め手になった一通のメールのことである。それは大震災の年の夏、拙宅を訪れたハビエルさんからのこんなメール。

 先日勝手にお邪魔しました Javier de Esteban です。
南相馬の静かな町、道印になることでやっと役に立った高田金銀堂、佐々木先生のところの宿命論的(?)ともいえる袋道、意外に広くて気持ちがいい玄関、上がって下がり、またどこで、いつ上がるか分からない階段と廊下、佐々木先生の espiritu と amor でいっぱいになったあの部屋の空気、あの奥様の優しい表情とかわいいらしいしぐさ、冷蔵庫の小ささと絶妙な位置、そのままオブジェになるからいざという時にネットオークションに出品できそうな、あの製本マシン、家族の遺影がかかっているはずの場所に顔をのぞかせるウナムーノ…、
 全てが思い出になり、セシウムに負けないしつこさでいつまでもいつまでも心に残りそうです。ブラック・ユーモアはご免なさい。とにかく、muchas gracias というのは、今の私の心から、いちばん自然に出ることばです。」

 どうだろう、この達意の日本語、いやそれよりも見事な細密描写、絶妙なユーモア。旧棟と新棟を繋ぎ合わせた複雑な構造の拙宅の描写を、その後訪れた小説家 J. J. ミジャス氏もしているがハビエルさんには敵わない。しかし私が翻訳者は彼しかいないと決めたのは、実は高田金銀堂についての彼の言及の仕方なのだ。駅通りから拙宅への道の曲がり角にある時計屋さん、私の同学年の友人が経営している何でもない(失礼!)店が彼の辛口の紹介によって一気に文学化(?)されてしまった。
 予想にたがわず彼の翻訳によって私のモノディアロゴスも見事文学化された。スペイン語圏で拙著が好評裡に迎えられたのはもちろん原作が良かったからだが(んっ?)、しかしそれ以上に彼のスペイン語の素晴らしさに負っていることは原作者が言うんだから間違いない。
 つい先日も、およそ五ヶ月前に仙台に移った孫娘・愛から初めて電話があったことを知らせた私のメールにスペイン語で返事が来た。その一部を訳すと

「ふたたび孫娘の声を聞くことが出来たこと、とても喜んでいます(グラモフォンの商標に描かれた、蓄音機に耳を傾けるあの子犬ちゃんを思い出しました)」

 つまり、少し強引な言い方をすれば、文学の価値なんてものも、他の人なら気づかない、いや気づいてもそれを敢えて表現するだけのユーモア感覚、適切なメタファーの使用……要するに究極的には「優しさ」に極まるのでは? それはまた細部へのこだわり、そう「神は細部に宿りたもう」、のその細部こそが命ではないかな?
 で、表題のピージョとの関係ですか? それも強引、牽強付会、つまり究極的には我田引水になりますが、そうした「優しさ」はときに「いたずら坊主」的に現れるんとちゃいます? スペイン映画の不朽の名作『汚れなき悪戯』のマルセリーノ坊やのように。むかし小生を「ピージョ」と呼んだスペイン人が、その言葉を発した時の優しい笑顔を思い出すと、そう結論せざるを得ないわけです、はい。
 つまり時々その優しさは、皮肉、毒舌、辛口となって出てくることはあっても、その根底には「優しさ」、最終的にはこの世や人間たちに対する「愛」があるのだ、と。これってウナムーノから学んだエゴラトリーア(egolatría 自己礼賛)、あるいは辞書ではすぐその下に出てくるエゴティスモ(egotismo 自己中心・自己崇拝)かも。でもエゴティスモはエゴイスモとは違い末世、おっと間違えた、違いまっせ。まったく反対、似て非なるものだす。もう一人偉い人の例を出せば、我が漱石先生の「自己本位」。

★追記 ハビエルさんの言うグラモフォンの絵のことだが、perro(犬)を「いーと巻きまき(古い童謡!)」して、つまり -ito という縮小辞をつけて perrito としたので子犬ちゃんと訳した、つまり孫娘に見立てたが、改めて絵を見てみると子犬というより成犬。となるとそれは愛情を込めつつも、可哀想な老犬を、つまり私を指していたのかも知れない。耳の遠くなった老犬が必死に孫娘の声を聞こうとしてるの図。もしそうだとしたら私としてはちと辛いところがあるが、甘受せねばなるまい。それに比喩表現としてはその方が格段に優れている。あの皮肉屋のハビエルさんのことだから、たぶん、いやきっと後者だろう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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