道に迷ったアラブ人

イスラム国の兵士の話ではない。摩訶不思議な記憶についての話である。

 最近物忘れが一段と進み、今さっき薬を飲んだか飲まなかったかさえ忘れてしまう。だから目の前に下げられた小さなカレンダーに、飲み終わったら即座に鉛筆で印をつけることにしている。クリニックで処方された四種類の薬の他、朝はその他に「おなか活力」というお通じの薬と「アリナミンEX Plus」、さらに朝晩「グルコサミン&コラーゲン・セット」という錠剤を飲むから大変だ。
 でもその一方で、半世紀以上も前に覚えたスペイン語の文章が不意に出てきたりする。今日も美子の夕食時、「今日は木曜日、明日は金曜、それであさっては?」などと咀嚼を促すまじない代わりの意味の無い話をしているとき、確か大学一年か二年の時に暗記させられた文章が口をついて出てきたのだ。

Un árabe que formaba parte de una caravana que atravesaba el desierto tuvo la desgracia de extraviarse. Pronto empezó el infeliz a sentirse tormentos de hambre.

 その意味は「 砂漠を横断する隊商に加わっていた一人のアラブ人が運悪く道に迷ってしまった。可哀想に彼はまもなくひどい空腹に襲われ始めた」。だがその後が続かない。でも半世紀、正確には55年前の記憶が蘇るとは、脳のメカニズムはどうなっているんだろう。
 美子に食べさせながら意味の無い言葉を連ねるのは、意味のある文章を続けるのが意外と難しいからだ。つまり相手が理解し、それに応じてくれるなら、語り甲斐もあるが、いっさい理解もせず反応もしないとなると、それこそ話が尽きてしまう。苦し紛れにアイウエオやイロハニホヘトを唱えてみたりもする。
 いや美子はともかく、私自身の記憶がどんどん消えていくのではないかと不安に駆られる時がある。美子がその不安を感じ始めたとき、苦しかったんだろうな、と今にして思う。たぶんその頃私にすすめられて書いた紙片が先日見つかった、『モノディアロゴスⅡ』に挟まっていたから2004年のものだろうか。


「11月5日(金) 書くことがありすぎてどうにも手がうごかない。心を静めてゆっくり自分の内面を深く見つめてみたい。」

 おそらくこれが美子の書いた最後の文章だろう。翌2006年6月に中国に旅したときにはパスポートにサインすることも出来なくなっていた。
 この私は55年前のスペイン語を覚えているんだから、まだ人並みの記憶力は保持してるんだろう。それに8冊の日記と11冊の『モノディアロゴス』があるのは強みである。ともかく美子のためにも頑張らなきゃ、ボケてなんぞいられません。

★追記 昨日あたりから、煮物などが沸騰した時に加える水のことを何と言うのかどうしても思い出せなかった。鉄砲水? 目覚まし水? 違う。以前なら人に聞くしか方法がなかったと思うが、今ではインターネットで何とか検索できる、ありがたい。そうっ「びっくり水」でした。これでスッキリ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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道に迷ったアラブ人 への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が言われている薬の飲んだか飲まなかったかのお話は、美子奥様の介護に日夜神経を使われていて、そのことに集中されているからだと思います。ご心配されることはありません。私も母の状態が悪い時は同じような経験が何度もあります。一年二年続けることは比較的容易ですが、何事も五十年続けることは大変なことで、先生だから続けられるんでしょう。また、モノディアロゴスを拝読していると感じるんですが、日常のありふれた光景から人情の機微の描写までも文章の流れの中から的確に結びつけられ、時にはユーモアを交えて書かれている豊かな表現力は到底私にはできません。そして、そのユーモアの中にこそ、先生の一番言いたかったことがあるように私はしばしば感じることがあります。

  2. 中野 恵子 のコメント:

    以前、母の介護のことでメール差し上げたものでございます。
    又その後、山田神父の著書(教皇フランシスコ)をお送りしたおり、私家本を頂戴し、その節は本当にありがとうございました。
    実は昨年末、27日に母を送りました。96歳の大往生でございました。
    あれから3ヶ月、未だに時間の組み立てや気持ちの整理が出来ずに、ぼんやりと暮らしております。お薬を飲んだかも毎回???で怖い思いをしています。
    約15年、母を介護していました時は、それなりに緊張感・充実感があったようです。何やら一気に空虚感に襲われています。(空の巣症候群?)時間が出来たらあれもしたいこれもしたいと思っていたのに~。気力が湧いてまいりません。 
    今まで、奥様の介護のご様子にどれだけ励まされてきたことか、
    本当にありがとうございました。
    一日でも長く、ご一緒の日々を重ねられますように、お祈り申し上げております。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    恵子さま
     コメントありがとうございます。そして何よりもお母様のご冥福を心からお祈りいたします。現在の貴女の空虚感、私には容易に想像できます。私も、もし今妻に先立たれたら、どうして生きていけば良いのか、とつぜんつっかえ棒を外されたような気持ちになるでしょう。だから勝手な願いですが、一分でも妻の後に死ねれば良いと思ってます。
     それはともかく一日も早くもとの調子を取り戻してください。それが天国のお母様の一番の願いのはずですから。
     元気が出るように、孫娘・愛の写真メールで送りましょう。お元気で!

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