原発禍の中でスペイン文化を読む

硬軟自在の、と言うより硬軟ごった混ぜのモノディアロゴスです。今日は硬の方です。前にも一度(?)お知らせしましたが、五月初め『スペイン文化入門』が出版されます。編集など出版にまつわるすべてを友人の碇順治氏がやってくださったので、私としてはせめて宣伝係りでも務めなければ、このところ友人や教え子たちにメール攻勢をかけてきました。ということは、これを読まれるかなりの人にはもう既にお送りしたことになりますが、日にちも近づいてきたことだし、今回新たに書いた「まえがき」とやらをここに紹介させていただきます。少し長いので、お時間のあるときにでもゆっくりお読みください。
 なお店頭に出回るのは来月初旬ですが、アマゾンでは現在予約受付中なので、宜しかったらどうぞ。 


原発禍の中でスペイン文化を読む―「まえがき」に代えて   

 この出版不況の中、十年以上も前に現役をしりぞいた老教師の、しかも中には一九七〇年代に書かれた論考までもが収録された本書が、なぜいま出版されることになったのか、その間の事情を説明することが、おそらく本書の「まえがき」でしなければならないことでは、と考える。
 筆者は二〇〇二年、定年前に教師職を辞して父祖の地・南相馬に帰った。簡単に言えば、当時少子化に伴って志願者漸減の中で筆者の勤めていた大学だけでなく大学教育全般に及び始めた「貧すれば鈍する」式の、建学の精神や大学の理念そっちのけの経営優先の風潮に嫌気がさしたとでも言おうか。しかしそれと同時に専門のスペイン思想研究からも遠ざかってしまったのは、なんとも節操の無い話と思われても仕方がない。ともあれそれ以後、そのころ覚えたインターネットを通じて「モノディアロゴス」というブログを発信すること、地元の文化会館などのスペイン語教室や文学講座でボランティアとして教えること、そして高校生たちとの「メディオス・クラブ」という地元文化の研究サークル活動が筆者の主戦場となった。
 その間、最後の勤め先で始めた「人間学紀要」誌の最終第七巻を完結させたり、それまで雑誌や紀要などに発表したスペイン文化・思想研究に関する記事・論文、さらには「青銅時代」という同人誌に発表した創作なども含めて、実に簡単な用具を使っての私家本作りに精を出した。袋とじ印刷だから一枚一枚手折りの、完全に手造りの私家本である。そのうちスペイン研究関係のものには、本書の原本である『スペイン文化入門』以外に、『飛翔と沈潜 ウナムーノ論集成』、『すべてを生の相の下に オルテガ論集成』、『内側からビーベスを求めて』、『スペイン精神史の森の中で』などがある。
 ここでようやく本書の原本(二〇〇六年作製)にたどりついた。実はこれはもともとスペイン語教室受講者のために作ったもので、確たる編集方針に拠るというより初めてスペイン文化に近づく人のために適当と判断した文章を集めたものである。もちろん現在まで数十部しか作っていないし、読者(と言えるなら)の反応などもほとんど聞こえてこなかった。だからあるときスペイン語学の泰斗・原 誠氏から思いもよらぬ大賛辞をいただいた時はびっくりしたし嬉しかった。また田舎に引きこもっていらい、たえず声をかけてくださった、スペイン思想研究の大先輩、西澤龍生氏からの温かな励ましも忘れられない。だがそれでも中断し放置したままのスペイン思想研究を再開する気力はないままだった。
 そうこうしているうちあの東日本大震災そして原発事故を被災したのである。その間のことは『原発禍を生きる』(論創社、二〇一一年)に書いたが、幸いなことにこれは中国語、朝鮮語、そしてスペイン語に翻訳され、それぞれ香港、韓国、スペインで出版された。この未曾有の原発事故(幸い大津波の難は避けることが出来た)に遭遇したことはもちろん不運だったが、しかしこの被災体験の中でいろいろなことが明確に見えてきたことは不幸中の幸いというべきか。簡単に言えば、日本という国が明治維新以降、西洋近代の価値観・世界観を丸ごと無批判・盲目的に模倣し追いかけることに急で、おのれの本質・アイデンティティを見失ったまま現在に至っているという悲しくも憂うべき現実が見えてきたのである。今回の原発事故は、そうした迷走による想定内の帰結(敢えて天罰とは言うまい)だとの苦い認識である。
 そしてそんな覚醒と内省の日々、それまで生涯の大半を割いて学んできたスペイン思想が、この益体も無い現実を打開するための強力な指針になり得るということが徐々に分かってきた。そこで得られた確認事項のすべてをここで述べることは差し控えるが、ただ一つどうしても触れておきたいことがある。それは震災・原発被災からの復興を叫ぶ声の中に、かつての状態を一日も早く取り戻せ、という声だけは喧しいが、自然災害の方はともかく、なぜこのような悲惨な事態に陥ったのか、そのこと自体を根本から究明する声はほとんど聞こえてこなかったことである。そんな折、一八九八年の米西戦争の敗北を契機として生まれたスペイン再生をめぐる運動、すなわちウナムーノなどを中核とする「九八年世代」の思想が当然のごとく想起された。つまりかつての繁栄・栄光への回帰でもなく、ヨーロッパ先進諸国に追随しての前進でもなく、深く己れの内部へ進め、という姿勢がこれから進むべき道として自分の中で強く共振したのである。
 今さら言うまでもなく、かつてスペインは陽の沈まぬ国として世界に君臨したが、近代に入って間もなくフランスやイギリスに追い抜かれた。要するにスペインは近代化競争に負けてヨーロッパの廃嫡された長子となったわけだが、しかし意に反して負けたとだけ言うと真実の半分しか言わぬことになる。つまりもともとスペインは近代そのものに対して対抗もしくは抵抗した国だからでもある。この問題については本書の中で再三触れているのでここでは繰り返さない。要するに、被災体験の中で、ヨーロッパ近代の廃嫡された長子スペインと、片やその最優秀な養子日本の対照的な姿が今さらのごとく際立って見えてきたのである。
 そういえば現役時代にもスペインについて学ぶことはちょうど合わせ鏡を見るように日本の実像を知ることに繋がる、とは言っていたが、それが今回の被災体験の中でより一層の実感を持って迫ってきたのだ。拙著『原発禍を生きる』が翻訳出版された三国のうち、スペインでより多くの共感を得てきたという事実は、僻目かもしれないが、以上のことと無縁ではないと考えている。ということは、逆に言えば、スペインもまた日本ほどではないが、黄金の半世紀とも言われる「九八年世代」の覚醒から一世紀以上過ぎた現在、己れの本質・アイデンティティから逸脱しているのではないかとの不安の中にあるからかも知れない。
 こうして語り始めると、まるで教場に戻ったかのような錯覚にとらわれ、思わず話が広がっていきそうなので、もう一度本書誕生のいきさつに大急ぎで戻ることにする。実は編者の碇順治氏と初めて会ったのは、大震災の翌々年、『原発禍を生きる』のスペイン語訳出版の際、ヒホンのサトリ出版社との橋渡しをしてくれたマドリード在住の翻訳家佐藤るみさんと一緒に碇氏が南相馬の拙宅を訪ねてきたときである。それ以来、氏との主にメールを通じての付き合いが始まったのだが、あるとき氏から、『スペイン文化入門』を市販本として出版する気はないか、もしあれば心当りの出版社に話してみるとの誘いを受けた。実に望外の話である。その時、前述の原 誠氏の私信の中に、「どこの出版社もこの本を我が社から出版させてくれって言ってこないなんて、私には考えられません。日本の出版社、目はどこについているの、と言いたくなります。これは大変な名著です」と書いておられたことを思い出した。
 つまりこのとき、氏の憂慮は、碇氏の尽力によって竹内淳夫氏率いる彩流社の出現によってめでたく解消することになったのである。ここでやっと本書が碇順治氏の編集によって彩流社から出版の運びになった次第までたどりついた。ところがこの話はまだ完結しない。というのは、昨夏碇氏がわざわざその打ち合わせのために再度南相馬まで来たり、「日西翻訳通訳研究塾」経営という激務の合間を縫って着々と索引作製などの編集業務を進めているというのに、あまつさえ本書の出版予告がアマゾンの広告にまで出ているというのに、肝心の私自身がまだ半信半疑で重い腰を上げなかったのである。長い不遇の時代を経て、さらに原発事故に遭遇して、すべてに疑い深くなっていたと言えばちと大袈裟だが、要するに認知症を患う妻の介護に明け暮れる毎日の中で、暇な時間はあるものの毎日のルーティンから少しでも逸れることに臆病になっていたせいかも知れない。
 ところが(ここでとうとう結論に近づきます)数日前、それまで読み返したこともなかった本書の原書を八年ぶりに読み返したのである。そして原氏の褒め言葉や碇氏の根気強い慫慂がようやく自分なりに納得できたのだ。つまり本書のそれなりの価値を自分でもようやく納得できたわけだ。そんなことを言うと、ここまで読んでくださった読者諸氏は何をたわけたことを、と驚かれるかも知れない。実は私自身もそのとき、そうした心の動きの反面、ついぞ使ったこともないスペイン語が頭に浮かんだのである。それは egolatría つまり「自画自賛、自我礼賛」という単語である。なぜそんな言葉が思い浮かんだか。これを説明することが「まえがき」の締めとなる。つまり確かにオメデタイ自我礼賛には違いないが、しかし私がスペイン思想から、とりわけウナムーノなど「九八年世代」の思想家や次代のオルテガなどから学んだ最も重要な思想の一つは、自我礼賛とまでは行かなくとも少なくとも執拗な「私」へのこだわりだったからである。黄金世紀最大の文人の一人ケベードは、署名の代わりに大きく「Yo(俺)」と書いたのは洒落の一種としても、ウナムーノは『小説はいかにして作られるか』(一九二七年)の冒頭に

「私には私自身が問題となった」(Mihi quaestio factus sum)

というアウグスチヌスの言葉をエピグラフにした。つまりウナムーノたちは生涯「スペインとは何ぞや」という難題に立ち向かったが、実際のところ問題としてのスペインの根底にあるのは、問題としての我にほかならないからである。事実、私も被災体験の中での暗中模索で最終的にぶつかったのは、近代とは、日本とは、という大きな問題の奥に、あるいは底に、さらに難しい「私とは何か、何者か」という問いであった。父方には会津(現首相の先祖・長州藩に滅ぼされた)、そして母方には八戸(もしかしてさらにその先はアイヌ?)の血が流れていることを今回初めて強く意識することになったが、その「私」を求めての遡行は、とうぜん東北とは、近代日本とは、という難問と分かちがたく結びついていく。
 「まえがき」の終わりを告げながら、またしても話題は広がりそうなので、ここで強引に幕を引かせていただく。つまり最後になって申し訳ないが、以上回りくどく説明したように、本書誕生には編者・碇順治氏の終始変わらぬ出版への熱意と、そしてそれを快く受け入れてくださった彩流社の竹内淳夫氏の存在抜きに不可能であったことを改めて申し上げ、ここに原著者として深甚なる謝意を表して、いささか型破りの「まえがき」を締めさせていただく。


二〇一五年二月十五日、東日本大震災四周年を間近にして
佐々木 孝

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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原発禍の中でスペイン文化を読む への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     人間にとって真剣な境地を具現化するためには苦悩を伴わない限り、おそらく、難しいのかなと漠然と考えていました。苦悩や窮地に身を置いて初めて、人間に真剣味が出て来るように私は感じます。「深く己の内部へ進め」という意味をここ数か月考え、『スペイン文化入門』を拝読しながら暗中模索しています。先生はこの本の中でこう言われています。

     「歴史をたんなる出来事として見る視点を離れて、それを生成の状態において、つまり、内ー歴史の視点から、<内部から>見るなら、雑然とちらばっていた諸事実は有機的に結び合わされて新たな意味を獲得する。」 

     人間の生きる意味への意志は、おそらく、人生の真剣な境地からでしか生まれて来ないのかも知れません。その意志は他者を認識させるものであり、その認識の延長線上に他者を思いやる心となって広がっていくように私は感じます。物質的豊かさを限りなく求め続けた結果として四年前の原発事故が引き起こされたことを考えると、戯れの中で毎日を安穏に生きてきた私たち日本人に徹底的に欠落しているのは、人生の真剣な境地であり、その境地に至るためには苦悩(自分自身に向かって)が必要なのかも知れません。先生がまえがきに代えて敢えて「原発禍の中でスペイン文化を読む」とされたのは、深い意味があるように私は感じます。                

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