紡ぎ人のつぶやき(三題噺)


1.ネット社会の様変わり

 先日ここに、古い伝言板を再録した。それを知ったそのときの仲間からそれぞれ便りがあったが、うちの一人、現在は東大大学院の教授である■さんからの、「何だかひところとはすっかりネット上での人付き合いのあり方は変わってしまいました…ツイッターやFacebookなど新しいSNSを使うようになってから、確かに、ブログのチェックも怠りがちになっておりました」というコメントが胸にこたえた。確かに十二年前、新しいメディアとしてのもの珍しさもあったが、基本的には、適度な緊張感と新鮮さを感じながら真剣に渡り合ったものだ。それが今ではあまりに普通のこととなったからだろうか、あの時のような律儀さとか互いに対する適切な距離感、要するに礼儀をわきまえた意味の濃い交流が急速に無くなってしまったような気がしてならない
 ちなみにSNSとはソーシャル・ネットワーキング・サイトのこと、つまり出会い系サイトのことらしく、今回初めて覚えた言葉だ(遅れてるーっという野次が飛ぶかも)。
 たとえば先日、横のコメント欄にオルテガについて教えを乞うてきた若者、こちらから個人的にも応諾の返事をしたのだが、以後ぱったりと連絡が途絶えた。おそらくネットサーフィンか何かでたまたまここにたどり着き、気まぐれに挨拶してみたが、即座の返答がないため、再びネットの海を漂い去っていったのであろう。それにしてもこちらのメールに答えないのは礼儀知らずだ。「ご教授させていただく」などと奇妙な日本語を見て最初から悪い予感はしていたが。
 ネット社会に詳しい■によれば、いまの若者はリアルタイムの反応がなければ出会い系サイトなどでは置き去りにされる、つまり仲間はずれやイジメの機会になるそうだ。コミュニケーション機器が普及し多様化することで、かえって真の、本音の付き合いが出来なくなってきたという現実。さてこの傾向はどこまで進むのか、考えるだに寒気のする世界になってきた。


2.眼は心の窓

 次はとんだ自慢話ととられそうだが、真意はそこにはなく、先のテーマと微妙に繋がっている。実は例の伝言板の一人、名古屋で大学講師をしながら翻訳・ 演劇・執筆と活躍している、東外大大学院のかつての教え子・古屋雄一郎君に孫娘の近影を送ったところ、「愛ちゃんの瞳の輝きが美しく、心が洗われるようです」との賛辞をもらった。「心が洗われる」などと言う表現は、近ごろめったに聞かれない言葉だ。だいいち「眼は心の窓」という言葉自体、もしかすると死語に近くなっているのではなかろうか。
 私の眼は「瞳」などという言葉とは縁遠い老眼、時に目脂が溜まった汚い眼になってしまったが、若いとき一度だけ褒められたことがある(褒め言葉は絶対に忘れない)。広島での修練時代、数人の修友と喜捨をいただきに商店街を歩いていた時、或る一人の商店主から「あなた方の目は近ごろめったに見かけないほど澄んでいるね」と言われたのだ。たぶんローマン=カラーをつけていたからそう思ったのかも知れないが、でもどんな褒め言葉より嬉しく受取った。今じゃアニメの中の少女たちの眼は飛び出るほど大きく輝いているが、生身の(?)若い女性たちはたいてい色つきコンタクトで誤魔化さない限り澄んで輝いた瞳にならないのか。もちろん幼い子どもたちの目はむかしどおり澄んで輝いているが、それが成長するにつれて徐々に輝きを失ってしまう(のかな)。


3.新たな師弟関係の誕生

 最後は20代後半の三人の若者の話。実は我が家に先週の土曜日から今日まで、韓国の写真家・鄭周河さんが泊って、連日西内さんの案内で被災者たちの写真を撮ってきた。そんな或る日の夜、いや歴史的な夜だからはっきり記録しておこう、4月21日の夜、以前サンプラスイチ語学塾について語りながら、将来有力な若手メンバーとなりそうな三人の地元の若者を紹介したが、実は彼ら三人とも今まで一度も互いに会ったことがなかったのである。それが鄭さんや西内さんそして私の三人の先輩たち臨席のもとに初めて出会ったのだ。別にイニシャルでぼかす必要も無いので実名で紹介すると、我らメディオス・クラブの創立メンバーでパソコンの専門家■、阪大大学院で哲学を学んだあと地元の中学校の先生になった辻明典君、そして現在山形の東北芸術工科大学大学院で映像を専攻している■の三人である。
 メディオス・クラブとサンプラスイチ語学塾の関係など、これから皆で協議しなければならない問題が山積しているが、しかしともかく初めて一同がそろって会した記念すべき夜となった。お見合いでもないのに互いの相性が合うかどうか気にしていたこの老人の心配など何のその、彼ら初めから打ち解けて互いのアドレス交換まで進んで、正直ほっとした。
 最後は記念撮影となり、鄭さんがカメラマンを買って出たが、彼も入ってもう一枚、だれか代わってもらおうとしたら、いやいや大きな鏡を背にしていたので、カメラを構えた鄭さんの顔はちゃんと映っている、となった。これではまるでベラスケスの「ラス・メニーナス(官女たち)」のようだと一同大笑いの幕切れとなった。

 ベラスケスが描いている王と王妃はベラスケス自身や王女や官女たちの後方にある大きな鏡の中に映っているという構図の絵で、画期的な空間処理で有名。

 さて今日は鄭さんの五泊六日の最後の日。十時ごろ■が車で迎えに来た。大きな荷物を三個持った鄭さんを彼が福島まで送っていくことになっているのだ。しかし同じベラスケスの「ラス・イランデーラス(織女たち)」とはちょっと違うが、人と人を結びつけることを天命と思っている貞房さん、つまり紡ぎ人(イランデーロ)を自認する貞房さん、おもむろに二人を食卓につかせ、厳かに師弟関係成立の儀式を行った(もちろん大袈裟な言い方ですよ)。つまり今回の出会いで■がそのうち鄭さんのところに武者修行に出かける決意を固めたからだ。もちろん写真術の修得がメーンだが、貞房氏たっての希望で同時に朝鮮語も勉強することを約束させたのである。そして貞房さんが昨年買ったまま使わないでいたシャープの韓日電子辞書をこの儀式の記念として■に進呈した。

 このとき鄭さんにお願いしたのは、どうぞ厳しく指導してやってください、ということだった。鄭さんも■もこの余計な老爺心を快く受け入れてくれた。

 かくしてメディオス・クラブやサンプラスイチ語学塾の中心的な存在となるメンバーのそろい踏みがここにめでたく実現したわけだ。これまでこのモノディアロゴスを通じて貞房さんに兄事や師事を表明してくれた奇特な方が数人おられるが、彼らの応援も得ながら、この南相馬を発信基地とする遠大な計画をゆっくり始動させたい。
 ちょうど時を同じくして、鄭周河さんの日本各地での写真展で行われたギャラリートークが本になるというので、その校正刷りが送られてきていた。そこで、つまり二年前の南相馬中央図書館のトークで、貞房氏こう発言していた。

「震災後にいろいろな言葉が飛び交って、嫌になるほど【絆】という言葉を聞いて、実は食傷気味でした。けれども、浜田【当時朝日新聞論説委員】さんが、そういう人と人とをつないでいくことを、佐々木さん、それは『紡ぐ』ということでしょう、と言ったのです。一つ一つの糸を紡いでいく。それが、今このような形につながっているわけです。私はそういう形のつながりを、先ほど徐さんがおっしゃったように、南相馬を一つの起点として広げていきたいと思います。もっと広げて、韓国の人たちや東南アジアの人たちと、これからどうしたら望ましい世界像に近づけるのか、ということを話し合うべき時期だと思います。」

 私たちの挑戦は始まったばかり。どうぞ皆さんもぜひ応援してください。いや応援だけでなく、一緒に挑戦してください。
 いつのまにかお願いになってしまいました。で、その若者たちの瞳は輝いてましたか、ですって? もちろん、末来に向かって決意新たな凛とした瞳でしたよ。
 ちょうど時間となりました、お後が宜しいようで。♬♫。

【息子注】文章の中の数名の人物については思うところあり敢えて伏字にした。忘恩もいいところの輩たちだからである(2020年10月8日)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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紡ぎ人のつぶやき(三題噺) への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     ひとり一人の人生は、確かに先生が言われる通り「答えのない問い」なんでしょう。自分の欲望に従って自分のためだけに生きる人もいるでしょう。しかし、人生には必ず終点があり、二十年後、三十年後ここに集まっている読者の大半は、この世にはいないと思います。一度きりの人生をどう生きるかの答えはありませんし、どう生きようと個人の自由です。確かに歴史に名を残し、地位や名誉を得て、使い切れないほどの金銭を所有すれば、この世に生きている間は幸福でしょう。けれども、心の奥底では、やがて来る死の前にはそれらが無力なことを誰もが暗黙のうちに悟っていると思います。一度きりの人生の中で、自分と出会った人たちに誠実であったか、両親の面倒を看たかとか、死に臨んで自分の良心を自分に問う瞬間が必ず来るように私は思います。その時良心に従った生き方であれば心は安らかなはずです。この世で万人が望んでいる宝は何一つ満たされずにこの世を去っても心安らかに旅立てるんでしょう。生きるということは、死への準備とも言えると思います。死に臨んで無力なものを追い求めるのではなく、死をも乗り越えさせてくれるものを先生はモノディアロゴスを通じて教えてくれているんだと私はいつもそう思っています。メディオス・クラブの若い人たちが先生の謦咳に接して大成されることを読者の一人として切望しています。

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