雑感いくつか

我が家はゴールデンウィークのあいだも、いつもと変わりなくひっそりと静まりかえっていた。唯一例外だったのは、五日の日、昼過ぎから四時間ほど客人を迎えたくらいだ。ただし客人といってもスペインはマドリードからの珍客。しかも初対面の女性二人。震災後知り合ったアンヘラさんと、今回初来日という連れのオルガさんの二人である。
 終生周囲1キロ四方の世界に生きることを思い定めた私にとって、こうして西の果てからの友人を迎えられることは大いなる喜びであり贅沢である。スーパーで買ったピザと果物・飲み物だけのもてなしだったが、私の下手なスペイン語でもスペインと日本の過去と現在、ときにポスト3.11の状況もからめて熱く語り合った、あっという間の4時間。帰りも駅前のバス停まで見送ったが、車中から手を振る二人を乗せて、バスは爽やかな空気の中を、まるで西陽を追いかけるように去って行った。
 ところで舎弟・守口さんからも嬉しい便りが届いた。最近一念発起して主にラジオを通してスペイン語の勉強を始めたそうだ。さっそく先日ここで紹介した漱石の句の朝顔が ipomea という辞書にも出ていないスペイン語になっていることについて質問してきた。実はこの単語、私も初めて見るスペイン語で、ネットで検索してみるとヒルガオ科サツマイモ属の植物らしい。ふつう朝顔は dondiego de dia(サンシキアサガオ)というが、しかし dondiego de noche つまり日中(dia)から夜(noche)になるとオシロイバナを意味するように、植生に関しては一筋縄にはいかない。ロドリゲスさんが dondiego とせずに ipomea にしたのは何故なのか、実は私にも分からない。音節の長さや音を大事にしてそうしたのか。それとも日本のアサガオはスペインではイポメアなのか。
 もう一つ。先日ここでネット世界の最近の風潮について苦言を呈した際に槍玉に挙げた当の若者から丁重な詫びの言葉と、真面目に指導を受けたいとの決意が届いた。そう、いま時の若者も捨てたものではない、と嬉しい逆転劇があったのだ。いつか改めて紹介することもあるかと思うが、しかしまだ研修(?)期間。しばらく様子を見るつもりである。
 ところで話はまた大きく変わるが、最近、明治初期の産業施設の世界遺産登録の話が持ち上がっているようだ。そしてそれに対して、そのうちのいくつかは朝鮮人を強制的に使った歴史があり、申請に断固反対するとの韓国側の動きも伝えられている。
 詳しい事情を調べたわけではないが、とうぜん起こり得る問題だとの認識は持っている。震災後とくに考え始めたのは、近代日本の誕生の経緯をしっかり検証しなければならないのでは、ということである。もちろん繰り返し言ってきたように、歴史を逆回転させることは不可能である。しかし現代日本の迷走があの時期に始まったとするなら、近代日本誕生の陽の部分だけではなく、陰の部分も直視しなければならないのは当然であろう。韓国側の反応も理解できる。
 もちろんそもそも「世界遺産」なるものが何を目指しているのか、つまり人類の光の部分だけでなく、以後人類が間違いの無い歩み方をするように影の部分をも敢えて記録し記念するものなのか。このことさえ私は未だ確認していない。例えば近代世界、というより近代ヨーロッパの動力源となったボリビアのポトシ銀山はどう評価されているのだろう。インディオたちの過酷な強制労働があったはずだが、果たしてそのことをきちんと明記しての世界遺産登録があったのかどうか。
 万が一、その暗い事実を伏せての登録だとしたら、世界遺産などミシュランの星評価となんら変わらない、というよりそれ以下のただのお祭り騒ぎに過ぎない。いまテレビではやたら番付けをテーマにした番組が流行っていて、それはそれで面白いが、でもよくよく考えるまでもなく、学校での学力競争みたいで、小さなものや味のあるものが粗末にされ無視されていく。先日の芭蕉さんの句ではないが、「なにやらゆかし」いものが捨て去られていく。

         山路来て 何やらゆかし 菫草

 そうした格付け重視の思想が極まったもの、それがわが国最高権力者の最近の動向であろう。アメリカ両院議会でのあの得意満面の姿。まさに大向こうから、「いよーっ大統領! いよーっミスター功名心!いよーっポンポン・ダリア!*」の声がかかりそうだ。

*音だけでいかにも驕慢な花と思って選んだが、調べてみると何と花言葉は「感謝」。そうっ大統領、感謝を忘れちゃいけませんぞ。誰に? もちろんひっそりと咲く民草に対してさ。

※ dondiego を dandiego と間違って表記してました。訂正します。ついでに言いますと、もともとの意味はディエゴ殿の意味です。ところがこのディエゴは聖ヤコブのスペイン語読み San Diago の言い間違いで変化したもの。あの聖地巡礼で有名なサンチアゴのことです。だからアメリカ西海岸の San Diego も、もともとの意味は聖ヤコブの町というわけです。(5月9日)
※※ なぜ「ポンポン・ダリア」などという花の名前が出てきたか、それはおそらくスペイン語のポンポソ(pomposo=派手やかな)からの連想だったらしい。(5月17日)


【息子追記】明大名誉教授・立野正裕先生からFacebook上でいただいた言葉を以下にご紹介します。

「現代日本の迷走があの時期に始まったとするなら、近代日本誕生の陽の部分だけではなく、陰の部分も直視しなければならないのは当然であろう。」
日本近代史をかじっていて、毎度痛感せざるを得ないのが陰陽両面をしかと見るという逞しい視力の欠如欠落ですね。わたしの郷里も製鉄所の熔鉱炉跡を、日本近代の黎明期を画した複合遺産として登録し、観光客誘致をもくろんだためにバカ丸出しの恥をさらしています。

世界遺産などというものは、登録されて後世に遺産が保存されるという面よりも、たちまち俗化して目も当てられない大きながらくたになり果てるネガティヴな面のほうが顕著です。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

雑感いくつか への2件のフィードバック

  1. 守口 毅 のコメント:

    佐々木兄い どの
    ipomeaについて、丁寧なご説明ありがとうございます。
    dandiegoも覚えておきます。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    守口さんの書き込みで間違いに気付きました。 dandiegoではなく dondiego でした。あやうく間違いを教えるところでした。よろしく。

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